十話・人間やめました
「こりゃあ、本格的にマズい……」
ルリコは真剣に呟く。
高波に流されながら泳いだが、流木に右目をぶつけてしまった。髪を縛っていたゴムも流された。片目では視界も安定せず、丁度流れて来た扉の破片に苦労しながら体を乗せた。水分をたっぷり含んだ制服は重く、体力をかなり消費してしまった。
「海が時化てんじゃ、船も安全な所に泊めてるか。マズい………って言うよりヤバイな…わっぷ!」
波をまともに受け、流されかけるがドアの破片を必死で掴む。呼吸をしようと空を見るが、真っ黒な雲に覆われていた。雷雲なのか、不規則に光を放っている。
耳に水が入ってしまったせいで音ははっきりと聞こえないが、今にも雷鳴が響いて来そうだ。気付いて見れば周りが薄暗い。ルリコは体が冷えていくのを感じた。嵐になったら、まず助からないだろう。
「じ、……冗談じゃねぇ…」
胸から上を扉の上に乗せ、ルリコは低く声を漏らした。気温が下がったのか、冷えて張りつく制服の感覚に、体が震える。
(次に目が覚めたら…公園に戻ってるとか………普通に考えてねぇよ!水死体になって魚の餌!)
周りを見渡しても高波しか見えず、海水が顔にかかり視界が滲む。横から大波が迫り来る事に気付き、ルリコは扉の破片に鞄の紐をかけ、深く息を吸い海中へ潜る。力を抜き波に身を任せ、勢いが緩んだ所で海面に顔を出した。
「…ぷあっ!ごほっ、けほっ!…は、はあっ」
息を止める限界に近かったのか、少しむせながら扉を掴むと、手の甲に温度が違う水がかかった。目をこすりながら上を見上げると、大粒の冷たい雨が顔にかかる。
「くそっ!降ってきやがった…!」
ルリコは忌々しげに舌打ちをし、鞄の紐を外してから、力を振り絞り扉の上に体を乗せた。先程よりも波は落ち着いたが、不安定な事に変わりはない。周りを必死に見渡しても、雨で更に視界は狭まり、海面には流木や何かの破片しか見えなかった。
「…マジで魚のエサ決定じゃんかよ」
ルリコは顔に張りついた髪を後ろに撫で付けながら、苛立ちをぶつける様に前方を睨んだ。すると、高くなってきた波間に木と白いものが見えた気がした。腫れた右目を抑え、左目のみを細めて見ると、流木に捕まった人間のように見える。
「テメェのことで限界だけど、しゃーねぇ!」
ルリコはよし!、と気合いを入れると、海に飛び込もうとした。が、鞄に通した白ボストンにゴーグルが入っている事に気付き、急いで取出し装着した。水着と共にチャック付ビニール袋に入れていた為乾いている。
「待っとれよ!」
ルリコは平泳ぎで進もうとしたが、速度重視でクロールに変えた。
(早く…もっと、早く!)
そう思うと、気分的には速度が上がった気がした。
あっと言う間に流木に着くと、ルリコはゴーグルを外して大声を上げた。
「大丈夫ですかー!」
血の気の失せた、真っ白な人がいた。まだ小さいから子供だろう。
「……!子供に、ひでぇ事しやがって…」
子供には首と手に鎖で繋がれた枷が付いていた。鎖が流木に絡まっている。無反応な事に不安になり、ルリコが手を触ると、冷たい。
間に合わなかったか、と震えそうになる体を叱咤し、口元に耳を寄せると微かに一定感覚で感触がある。まだ、息がある。
「誰か!いねぇのか!」
ルリコは叫んだ。悔しいが、今の自分には何も出来ない。
「誰か!」
無力感を打ち消す様に叫び続ける。
「いないのか!」
時化た海上に誰もいない事も理解している。
「誰か!!」
声が擦れる。
「助けてくれ!!!」
喉に血の味が混じり、ルリコは咳き込んだ。 子供を庇うようにしたせいか、冷たい雨がルリコの体力を奪う。足も動かしにくい。
(もう、終わりなのかよ…)
ルリコは冷えた子供の体を抱きしめると、目を閉じた。
すると、浮いた何かに乗り上げたのか、海面の上に出た体に制服が重くまとわりつく。バランスを取る為に手を付くと、つるつるして驚いた。
<姐御、間にあったか!?ったッ!いて!痛ェ>
ルリコと子供が乗り上げたのは、傷だらけのイルカだった。流木の枝が刺さるのか、痛いと騒いでいる。ルリコは慌てて、子供の鎖に絡んだ流木の枝を折る。
<いやー、助かった>
嬉しそうにイルカが言うが、普通じゃない異世界でも、常識的に考えてイルカは人語を話すような生き物じゃない。ベレニケ、エウラ、ドルシア、アタミなど出会った人達も『イルカは喋れるよ!』とは言ってなかった。
ルリコは取り敢えず、イルカの背鰭を殴った。手加減無しで。
<あ痛ァァァ!姐御!酷い!>
「夢じゃないんだな」
ルリコはぽつりと呟くと、イルカが生意気にも反論してきた。
<ふ、フツー自分を殴ったりするんじゃねぇの!?で、姐御!コイツ…ヤバそうだ>
ルリコは子供を見ると、唇や手の先が紫色に変色していた。口元に手を当てると、呼吸も弱い。
「おい!イルカ!近くに医者のいる島はあるか!?」
緊急時なので、ルリコは構わずイルカに話し掛けた。
<あるけど………遠い。きっとコイツは保たねえ。姐御!オレの背鰭に鎖引っ掛けて、ちょっと降りて>
「…わかった」
ルリコはイルカに従い、背鰭に鎖をかけて海へと落ちた。意外とイルカはでかい。四メートルはありそうだ。
<よし!えー、海神ニエルドの血族セタ、偉大なる父の力を借りこの者と姐御をを癒す事を願う!>
イルカが何かごちゃごちゃ言うと、子供の体が薄赤く発光した。顔色も良くなった気もする。
ルリコの顔も右目の腫れが収まったのか、視界が良くなった。
<これで暫く保つ。体力を底上げしただけなんで、早く医者に見せた方がいい。島まで飛ばすから姐御も頑張れよ!>
イルカはそう言うと、一気に泳ぎ出した。かなり離されてから、慌てて叫ぶ。
「ちょ、あたしも限界!」
急いでイルカに呼び掛けると、イルカはかなり距離を離して停止した。
<姐御、気付いてないの?>
「何が」
<……足>
イルカに言われるまま従うのは癪だったが、ルリコは足を見た。
自分の足は二本あった。紺のハイソックスも安全靴も履いていた。
しかし今は、ロングスカートの裾から何故か、魚の様な鱗が付いて透ける尾鰭が
付いている。
「……」
ルリコは瞬きをした後、大きく息を吸い込んだ。
「靴ーーーー!!」
<な、なんで靴?大事なの?じゃあ回収するよ。来い!野郎ども!>
子供を乗せた傷だらけのイルカは五回高く鳴いた。暫くすると、キイキイ音がし、五匹のイルカが海面に顔を出した。キイキイ鳴いていたイルカどもは、ルリコに気付いて鳴くのを止めた。留まっていられないのか、ごちゃごちゃて動き回っていた。
<兄貴!>
<姐御の>
<気配が付いたもの>
<持ってきた>
<きやしたぜ!>
イルカはそれぞれ何かをくわえている様で、頭部を上に向けた。安全靴、靴下片方ずつと――
ルリコは無言で下着をくわえた黒いイルカの前に行き、下着をひったくり容赦なくぶん殴った。
<痛ってえよ!姐御!>
「うるせえ」
ルリコは瞬時に鞄へ下着をしまった。
<…姐御、もうそろそろ雷が来る。イル!テホ!ゴリ!ハン!ヤム!トビエイの陣ッ!>
<了解でさあ!>
<姐御はゴリ……黒いイルカに荷物かけて、オレの前!>
ルリコは色の違いが微妙すぎて分からなかったが、目の前の殴ったイルカに鞄を載せた。
<姐御はもぐって呼吸を慣らしておいて。十数えたら出発するよ>
ルリコは傷だらけのイルカに言われるまま、海に潜った。ゴーグルを付けなくても、先程と違い視界は良く下には珊瑚礁が見える。魚は岩下にでも隠れているのか、見当たらない。 海中でくるりと体を反転させると、五匹のイルカがV字型に並び、一際大きなイルカが少し離れてVの尖った部分にいた。
<五、四、三、二、一……行くぜ!>
V字連隊になったイルカが同時に泳ぎだす。
ルリコも同時に泳ぎだした。クロールの泳法のまま腕も動かしていたが、腕を動かさずとも、かなりの速度で進む事に気付いた。膝――見た目膝は無いが、膝下からウェーブをする様に動かすと面白い程進む。
(すげ!全然息苦しくないし!)
<姐御!飛ばしすぎ!若干左だから>
傷だらけのイルカの声が聞こえ、ルリコは速度を落としつつ、方向を修正した。
海面を見上げる様に泳ぐと、下方にイルカの連隊が見えた。暫くすると合流し、速度を合わせて泳ぐ。
<早ぇえなー!>
<さすが姐御>
<半端ねぇ!>
<負けてらんねぇ!>
<速度アゲるぞ!>
イルカ達は楽しそうに言い合いながら速度を上げてゆく。海中では音が伝わらないので、イルカらしくパルスで会話してるのかもしれない。
(あれ……じゃあたし人間やめちゃった?)
ルリコは悲しく思いながらも、泳ぐ事に集中した。真上のV字連隊に速度を調節しながら泳いでいく。
<来たぜ!>
<見えてきたぜ兄貴!>
<近いのは正面>
<正面は船だらけだ!>
<よっしゃ!裏回る>
<おまえら、人少ない所行けよ。見つかったらめんどい>
ルリコにも前方に黒い影が見えてきた。複雑な岩場が奥に行くにつれ、緩やかに狭まっていた。
<右手は砂地だ!左回っぞ!>
<了解!>
イルカの連隊は左に勢い良くターンした。ルリコもほぼ同時にターンする。
(この体だと、普通の泳ぎ方忘れそうだな…)
ルリコはふう、と息を吐いたつもりだったが、気泡は出なかった。
<お!いいとこめっけ!>
<小さい船着場。誰も居ない>
<上に登る階段見えるぜ!>
<おっしゃ!そこにすっか!>
イルカの連隊は速度を急激に落とし、左右に広がった。広がった間を海中にいるルリコと、子供を載せた傷だらけのイルカが進む。海面に浮上し、息を吸おうとしたが上手く行かずむせる。
<姐御!深呼吸!ダメだったら海に戻って!>
傷だらけのイルカに言われ、ルリコは息苦しさをこらえ深呼吸をする。すると、いきなり呼吸が楽になった。前方を見上げ張りついた髪を掻き上げると、階段の上に灯りが見えた。
(人が、たくさんいる……)
イルカばかりと会話をしていた為、人間の気配が懐かしい。無意識に涙が流れた。
<あ!姐御!ダメ!>
声――正確にはパルスを発した傷だらけイルカの方を見ると、流れた涙が海面に落ちた。
すると、金色がかった大粒の球に変わる。
「な、何?塩分摂り過ぎ!?」
手伸ばし掴むと、真珠に似たヌメリ感があった。二つ三つ、四つと落ちるのに慌て、目をこする。
<あっちゃー。やっちったか……。人魚の涙は真珠になるんだ。今は貴重だから、売るときは注意して>
傷イルカが船着き場に乗り上げ、器用に子供を下ろす。連隊を作っていたイルカ達も順々に荷物を置いてくれた。
「あんまり、涙売る気にはならねぇな……所詮、老廃物だし」
真珠とゴーグルを制服のポケットに突っ込み、ルリコはぼやいた。
<姐御!ヒトは金が必要でさぁ!>
<使えるものは使った方が良い>
イルカが騒ぎ立てるのを聞き流し、ルリコは船着き場に手をかけ、体を乗り上げる。下半身はまだ魚状だった。
「…で、足、治せんのか?」
<多分、擦ったり揉んだりすると治るぜ!オレはコイツの枷取っちゃうわ。変な枷だし>
傷イルカは海に戻り、先程と同じ様に何か唱え始めた。ルリコは足を下から擦ってみる。
<海神ニエルドの血族セタ、異なる地を生きるモノが造りし、枷を滅す事を望む!>
ルリコは足を擦っていると、尾鰭が足の形になって来た。急いで揉んでみる。。
<ん……しつこいな。滅せよ!滅ッせよッッ!メエェェッセヨォォォォ!!>
傷イルカが叫ぶと、枷は砂になって海へ消えた。ルリコの足も二つに分かれ、別々に動かせる。ルリコは石造りの船着き場の上で正座をし、イルカ達に頭を下げた。
「あんたらには、とても世話になった。傷もいつの間にか治ってるし。礼は後で必ず返す」
<イイって姐御!そいつ早く医者に見せて!
あ……後、そいつ男だからね>
「……そう、分かった。ありがとう」
ルリコは鞄を下げ安全靴を履き、子供を抱き上げた。気を失っている為、かなり重い。日々の筋トレがここでも役に立った。
<おっと!待って姐御!>
傷イルカがパルス――言葉を送ってきた。
<オレは海神ニエルドの血族セタ。困った時は力になるから呼んでくれよ!>
「分かった。頼るぜセタ」
<おうよ!行くぜ野郎どもッ!>
傷だらけのイルカ――セタは五匹のイルカと共に海中へ消えた。
「………さて、気張って階段昇るか」
ルリコは四十段程の階段に、気合いを入れなおし、手袋を脱ぎ捨てた。
宿屋で久しぶりに風呂に入りたい。そう思いながら。
風呂こそ、命の洗濯だと勝手に思っています。