九話・流されて離岸流
乗っていた船に向かいルリコは泳いでいたが、何か変だと気付いた。前方を見ると、小さな岩の島がある。
「何か進まねぇ気がすんだよな?沖に引っ張られるみてぇな……」
ルリコは船に近付こうとクロールに変更するが、進むのは沖の方だ。
「まさか……ここまで離岸流?ヤベ!どーしよーもねぇ!」
ルリコは呆然としながらも、船に向かい両手を振ってみた。離岸流で流され、高くなって来た波では留まるのも難しい。
手を振っていると気付いたのか、船員が手を振った。ルリコがいる海面からでも赤い服が認識できる。血で染まったのだろう。
「助けてくださー……わぷっ!」
波に晒されながら叫ぶのは難しく、ルリコは被害を抑えるように浮き沈みを繰り返す。救いは海水が冷たくない事だけ。
勢い良く海面に出て酸素を吸い込むと、小さくなった人影が四人に増えていた。
白い袋を投げたが、ルリコには届かない。
「もっと紐長くしないと!ってあー、ここで言っても聞こえねーよな!」
ルリコは文句を言ったが、状況は好転しない。流されてきた流木に捕まり、沖に流され離れゆく船を見ながら、海上警備団の救助を待つしかなかった。
しばらく流されると、波の合間に船も見えなくなった。一面に広がるのは、ただ、波。
「あれ?…………もしかして、あたし見失われた?」
ルリコは流木に捕まりながら呟いた。
アタミは傷を負った船員を女性陣と共に手当てしていた。刺さった矢も出血は少なく、島に到着したら医者の手当てを受けるつもりである。
「腕を固定したから、動かすなよ」
「はい……」
まだ少年の船員は白い顔で頷いた。アタミは立ち上がり、赤黒く変色した帆布で覆われた端を暗い目で見る。
(三十人程の襲撃で、二人の死亡……重傷者は三人、か)
「幸運なものか……」
苦々しく呟くと、血に染まったジャケットを脱ぎ捨てた。べちゃり、と音がする。
「副船長……」
アタミが振り向くと、エウラが青い顔で立っていた。いつもの快活さが全く無い声で、小さく呟く。
「ルリコは、どこですか?」
アタミはエウラから視線を逸らすように、黒い海賊船を見た。
「一人で、海賊船に行った」
その言葉に、エウラは悲しそうに叫んだ。
「何で止めてくれないんですか!あんなに身体中打ち身だらけなのに!何で、ルリコだけで行かせたんですか!」
「私だって止めた!」
アタミが怒鳴ると、エウラはびくりと肩を震わせた。アタミは目閉じ、返り血で固まった髪を掻き毟る。
「――すまない。何としても止めるべきだった」
「いいえ。アタイも、何も出来なかったので」
エウラは少し落ち着いたのか、着ているシャツの裾を握りしめている。
「手当て手伝ってきます……」
とぼとぼと歩いてゆくエウラを見送り、アタミはため息を吐いた。船首に向けて歩いてゆくと、見た事がない口元に傷のある金髪の男が手当てを手伝っていた。
海賊の一員の様だが、全く戦意がないので、アタミは気にせず歩き続ける。
「船長」
アタミの言葉に、ペルッツは甲板に広げた草の選別から顔を上げた。
「ア、タミ……」
ペルッツは白い鉢から赤い花をぶちぶちとむしった。
「この、もり、っツエの花を、つぶして、みず、とあわしぇてのむ。血が、ふえ、るんだ、な。みんなに、飲ま、しぇてほし、い」
ペルッツは清潔な白い布にむしった花を置いてゆく。
「ど、るしあ。しーむろ、ぉーじも持って、きて。葉っぱ、をつ、ぶしてしるをき、ずにぬる。さっきんな、んだ」
「わかりました」
ドルシアは素早く立ち上がり、船長室へ向かう。
「私も手伝います」
アタミの申し出に、ペルッツは勢い良く首を振った。
「アタ、ミはたた、かった。血、がいっぱ、いで、たからやしゅむ、ん、だな。おれは、こ、れしかでき、ない」
ペルッツは再び鉢植えを抱え、茎ごとむしってゆく。隣のおばさんに渡し、磨り潰すよう指示を出す。
アタミが赤い花が入った布を持つと、素早く来たおばさんにひったくられた。
「……昔、は、こんなふうにし、てやくそう、をふねにつんだ。おじい、さ、んか、ら聞いた」
「……そうなのですか」
「おれ、で、も役にたててう、れしいん、だな」
「船長は……、充分」
嬉しいような悲しいような複雑な表情をするペルッツからアタミは目を逸らした。
ドルシアが鉢を抱えて戻ってくると、シャツを真っ赤に染めた船員が急いで走ってきた。
「副船長!」
船員はアタミの前まで来るとむせた。ドルシアが背中を擦ってやる。
「無理するな。傷口が開く」
「っは、はっ、ごほッ!す、すいません!けほっ、大変なんです!」
船員はドルシアに礼をしながら、擦れた声で話し始めた。
「海賊船の方から、っごほ!ひ、人が……流されてます!長い、金ぱっげほッ!」
その言葉を聞くと、アタミは走りだした。
「ロープこんだけしかねぇのかよ!届かねェぞ!」
「何でもいいからやってみろよ!」
「早くしないと見失うぞ!」
「あー!もうあんなに遠い!」
ザンギルは舌打ちしながら、救助用の浮き袋を投げた。しかし、届かず、手を振っている金髪の人物は波に攫われ沖に流されてゆく。
「くそッ!海上警備団はまーだ来ねぇのか!?」
「波が高くなって来たから沈んじまうぞアイツ!」
船員が言い争っていると、アタミが来た。船員は言い争いを止め、俯く。
「流されているのはルリコか!?」
「――おそらく」
ザンギルが渋い顔で言うと、腕で沖へと流されている人物を指した。
アタミの目にも、小さくなった金色のものが見える。
「浮きは届かないのか!?」
「ロープがもう、無いんです。帆を下ろしてロープを足しても……間に合いません」
船員が俯きながら言うと、アタミは一度目を閉じ、開く。
「……縄ばしごと小舟の用意を。私が泳いで助ける」
「無理です」
アタミが振り向くと、左腕を吊った血の気のない顔のイオシフが立っていた。
「このあたりの海流は西の半島まで続いています。流れが早い為、落ちたら助からないとは皆知っている筈。海も荒れてきましたし、たとえ海竜でも救助は難しいでしょう」
淡々と言うイオシフに、アタミは低い声で唸る。
「…………見捨てろ、と?」
「そうです」
イオシフは流されてゆく金色を見ながら呟いた。
「副船長、あなたは実質的に皆の命を預かってるのです。一人の為に皆を危険に晒すのですか?重傷の者もいますので海上警備団の力を借り、一刻も早く島に着く事が重要です」
イオシフが淡々と諭すと、アタミは光の無い目で見つめた。
「そう――わかっている。わかっているんだ」
アタミは冷たい言い放つと、やっと来た海上警備団の方へ向かった。船員達も暗い顔で散り散りになる。
イオシフが目線だけで見えなくなった金色を探していると、ザンギルが渋い顔でイオシフを見ていた。
「何ですか?」
「いやあ、おまえも大変だと思ってよ」
「いつも大変ですが」
イオシフは海から目を逸らし、ザンギルを静かに見た。ザンギルは深くため息をつき、瞼に手のひらを当てる。
「しっかし、後味悪いよなァ。何にも出来ねェってのは」
「………………」
イオシフが船長のいる方に視線を向けると、一人の船員が問い詰められていた。
問い詰めていた女性は、その場で力なく崩れ落ちると、三人程に抱えられ船室へと消えていった。
イオシフは三人が船室に消えるのを見届けた後、波打つ海面をぼんやりと見つめ、ぽつりと呟いた。
「……私もこれ程後味悪いのは初めてですよ」