異国の姫の新たな生活 1
『こうして、お姫様は王子様と幸せに暮らしました』
本を閉じながら言った母様。その膝に座っていた私は、顔を上げて母様を見る。
『ねぇかぁさま。おひめさまはおーじさまにあうものなの?』
『そうね。運命の王子様に出会うのよ』
『なら、わたしもうんめいのおーじさまにあえる?』
母様は少し悲しそうな笑みを浮かべ、私の頭を優しく撫でてくれる。
『もちろんよ、リリア。運命の人に出会えたなら、きっとその人が幸せにして下さるわ』
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馬車がガタリと大きく揺れ、微睡みから現実に引き戻された。
あぁ、寝てしまったのか。
窓の外を見ると、夜にもかかわらず明るく賑やかな城下の大通りの景色が広がる。歩く市民は馬車を物珍しそうな目で眺めていた。
そんな彼らを視線の端に映しながら、私の目はその先に見える城に向かう。
あれがルギウス城。大陸一美しいとされる純白の城は、まるで星の光を吸い込んだかのように輝いている。
だけどそれは私にとっては眩しすぎて、窓から視線を外した。
馬車が城に到着する。
揺れの止まった車内で大きく息を吐く。
大丈夫。いつも通りにしていればいいだけ。
ガチャリと扉が開き、御者が顔を出した。
「到着しました。外へ」
私は頷き、立ち上がる。
外に出た瞬間、明るさで目が眩んだ。
目を閉じて慣れるのを待ち、ゆっくりと目を開けると、先程見えた真っ白な城が目の前にあった。
「お待ちしておりました、リリア様」
話しかけられ前を見ると、キッチリとした服装の男が頭を下げていた。
彼は顔を上げ、眼鏡越しに私を真っ直ぐに見つめる。感情の篭っていない目に、ドキリと身構えてしまう。
「長旅でお疲れかと思いますが、このまま大臣様の元へご案内しても宜しいでしょうか」
「ええ、大丈夫です」
「ではこちらへ」
促され、後について歩く。
「あ」
いけない、お礼を言ってない。
ピタリと足を止め、踵を返して御者の元に駆け寄る。
馬の様子を見ていた御者は戻ってきた私に気付いて振り返る。
「ここまでありがとう。少ないけど、帰る途中で何か美味しい物でも食べて」
ポケットからお金を出して渡す。御者さんは目を丸くして困惑したが、金をポケットに仕舞って軽く頭を下げた。
執事の元に戻ると、彼は私と御者を一瞥したが何も言わず歩き始めた。
中に入ると、城内は外装に負けないくらい美しく装飾に彩られていた。
圧倒されて、足がすくんで歩みが止まってしまう。
「どうかされましたか?」
立ち止まってしまった私に、執事は歩みを止めて振り返る。
私はハッとして首を左右に振った。
「いえ。なにも」
ニコッと笑みを作って、気合で動こうとしない足を無理やり前に出した。まだ少し足が震えているけど気付かないふりをしておく。
執事は何も言わず視線を進行方向に戻した。
「あの、会うのは大臣様なのですか」
「ええ」
「王ではなく?」
「ええ。王は現在病に伏しておりまして、第一王子が代行して国を治めております。しかし、王子も他国へ視察に行かれていて、今は大臣が議会を任されているのです」
「そうなんですか」
実質今この国で偉いのは大臣ってことなのか。
なるほど、と思いながら周りを見渡していると、背後から冷たい視線を感じる。振り返ってみたけど、人影は見当たらない。
気のせい。いや、この感じは……
「つきました」
執事の言葉にハッと歩みを止める。
ドアノブに手を掛けた執事は、こちらの様子を伺っていた。
だめだめ。今は他のことを気にしている場合じゃない。目下の事に集中しないと。
私は他国に来てるんだから、粗相のないよう、ちゃんと姫らしく……
ふぅと息を吐いてからコクリと執事に向け頷くと、彼はドアを開けた。
部屋の中に入ると、大きな空間の中に机と椅子が置かれていて、扉に向いている椅子に強面の男が腰掛けていた。
男は私達に気づくと、ニヤリと笑みを浮かべて立ち上がった。
「ようやくおいでになられましたか。お待ちしておりましたよ」
見た目に似合わぬ高い声で喋った男。
言葉とは裏腹に冷たい視線を送る彼に、背筋が凍る。
湧き上がる逃げ出したい気持ちを押し込めて、部屋の奥へと真っ直ぐ向かう。
目の前に行くと、男はゆっくりと腰を曲げた。
「お初にお目にかかります。ルギウス国の大臣を務めさせて頂いております、ニギルと申します」
「ジルベルト国第二王女、リリア・ジルベルトよ」
「存じております。さぁ、おかけになって下さい」
促されるまま椅子に座る。ニギルも座り、膝に肘を置いて指を組んだ。
「リリア様は、今回本国に来られた理由は把握しておいでですか?」
「王子の婚約者となる為、と聞いているわ」
「リリア様には、第二王子であるアルフレッド様の婚約者となられる予定でございます。しかし、いきなりというのもご負担が大きいかと思いますので、暫くは留学という形で留まっていただき、時期をみて婚約者として公表する予定なのですが、宜しいでしょうか?」
「ええ、構わないわ」
第二王子。てっきり第一王子の元に嫁ぐのだと思っていた。
「では私のご挨拶はこれくらいで。アルフレッド様は別室にてお待ちですので。おい。姫様をお部屋に案内しろ」
「かしこまりました」
ニギルが執事に指示をしたので、部屋を後にしようと立ち上がる。
「あぁ、そうだ」
ニギルは思い出したように呟き、不敵な笑みを浮かべながら見上げてきた。
「あまり自由に動き回らないようお願い致します。ここ城は何分迷いやすいですから」
心配しているような言葉。だけど、声色は余所者である私に対しての警告のようだった。
また背筋に寒気がする。
ニギルに対してなんとも言えない恐怖心を感じた。
私はそれを悟られぬよう急いでその場を後にした。
「お部屋へご案内致します」
歩き出した執事の後を慌てて追いかける。
執事は黙々と歩いて、私も黙って後を歩いているから二人の足音だけが廊下に響く。
歩く間誰ともすれ違わないけど、視線だけはずっとまとわりついてくる。
「あの……」
沈黙に耐えきれず、前へ声をかけた。だけど声が届かなかったのか執事は返事をしてくれない。
「あ、あの、執事さん」
先程よりも大きな声を出すと、次は声が届いたようで執事は顔を後ろへ向けた。
「どうかなさいましたか?」
「え、えっと。貴方お名前は?」
「レオと申します。アルフレッド様の執事を務めておりますので、これからも何かあればお申し付けを」
「ええ。ありがとう……」
沈黙。
なんとか話題はないかと頭をフル回転させる。
「えっと。一体どこまで行くのでしょうか。かなりお城の端まで来たように思うのですが……」
ニギルと会った部屋は入り口の近くだった。そこから反対方向に歩いてきて、そろそろお城の端まで来てしまうんじゃないだろうか。
「もうすぐ着きますので、どうかご辛抱を」
「あ、いえそれは全然大丈夫なんですけど……」
首を振ると、レオはまた前を向き歩きだす。取り敢えず着いてこい、ということかな。
私は会話を諦めて黙って着いていくことにした。
少し進むと、ずっと廊下を道なりに歩いていたレオが小さな扉を開けて庭に出る。追って外へ出て、足を止めた。
城の末端の庭というよりも森のような場所。そこにポツリと小さな屋敷が建っていた。
「こちらはアルフレッド様のお住いである東の離宮です。今後リリア様にもこちらで過ごして頂きます」
「え……」
驚いた。北大陸の3分の2を有する大国ルギウスの王子が、まさか城ではなく離宮に住んでいるとは。
目を丸くする私をレオはジッと見つめる。その目は一瞬悲しみが混じったが、ひとつ瞬きををした後、業務用の無機質な瞳に戻った。
「参りましょう」
建物の中はさっきまでとは違い質素で静けさに包まれていた。ここだけが世界から取り残されたような錯覚に陥る。
「アルフレッド様。リリア様がご到着になりました」
いつの間にか扉の前に立っていて、恐らくここにまだ見ぬ婚約者がいるのだ。
私は慌ててスカートの裾を整えた。
「入れ」
扉越しに聞こえたくぐもった声して、レオが扉を開ける。
私は深呼吸を一つして部屋の中へ入った。
部屋はそこそこ大きな客間で、窓際に男が一人立っていた。彼は振り返り、私へと目を向ける。目が合った瞬間、体が凍りついたように固まった。
夜の空で染めたような綺麗な黒髪。整った顔立ちに、吸い込まれそうな黒い瞳。程よく鍛えられた体つきは、気高い王子の雰囲気を漂わせている。
彼は恐らく、この世の女性の視線を奪うことなど容易だろう。
目が離せない。けれど、それは彼の魅力に当てられただけじゃなくて、向けられる射るような真っ直ぐな瞳から目が背けられないのだ。
私はゴクリと唾を飲み込む。
「ルギウス王国第二王子、アルフレッド・ルギウスだ」
少し低い、だけど良く通る声にドキリと心臓が跳ねる。
私は慌ててお辞儀をした。
「は、初めまして。ジルベルト国第二王女、リリアン・ジルベルトに御座います。こちらこそ、お会いできて光栄で御座います」
アルフレッド様は私を一瞥したあと、何も言わず扉の傍に控えているレオの方へ顔を向ける。
「少し外にいろ」
「はい」
レオは頭を下げ部屋を出ていく。パタリと扉が閉まり、部屋は2人きりになってしまう。
「あ、あの」
戸惑いつつ声をかけると、アルフレッド様は私に目線を向けた。その目は酷く冷たい。
「気安く声をかけてくるなよ」
「え……?」
アルフレッド様は嘲笑うかのように鼻で笑う。
「お前がリリアか。随分と貧相な格好だな。俺からの憐れみでも勝ち取ろうとしていたのか?」
「な、なにを」
ドレスの裾を握り締める。
確かに、身につけているドレスは華美な装飾もなく流行からは外れたものだ。
だけどこれは母の形見で、私の持つ数少ないドレスなので、彼の言うように憐れみを得ようなんてそんなこと微塵も考えていない。
誤解だと言おうと口を開こうとしたが、距離をつめてきたアルフレッド様に肩を掴まれソファーに押し倒されてしまった。
あまりの予想外の展開に頭がついていかなくて、私はただ唖然と見下ろしてくる彼を見つめる。
「残念だったな。お前の企みは成功しない。お前は俺の駒となるのだからな」
「こ、ま」
「そうだ。俺が王位に就くための捨て駒となってもらう」
「お、お言葉ですが、この国には既に王位継承者がいるのでは? 確か第一王子、お兄様のウィリアム様では……」
そう口にした瞬間、アルフレッド様の視線が更にキツくなる。
「うるさい。お前は黙って俺に従え」
そう怒鳴り、アルフレッド様は私の上から退いた。
固まったまま起き上がれない私を見下ろしながら、彼は顔を歪める。
「憐れだな。俺なんかに嫁ぐなど、計算違いもいいところだろう。お前が描いた生活など諦めることだな」
そう呟くように言ってアルフレッド様は、部屋を出ていってしまった。
扉が閉まる音を天井を見上げたまま聞く。
「アル、フレッド様……」
去っていった彼の名を呼ぶ。
頭の中は大混乱だ。
冷たく言い放たれたアルフレッド様の言葉は、予想外のものばかりだった。
何故彼は私が憐れんでもらおうと思っていると言ったのだろう。捨て駒ってどういう意味?
寝転んだままグルグルと頭の中で考えていると、いつの間にか部屋に入ってきていたレオが傍に立っていた。
「お部屋へご案内致します」
「こちらがリリアン様のお部屋になります。夕食はどうなさいますか? お部屋にお持ち致しましょうか」
「いいえ。食欲がないので、今日はもう休むわ。ありがとう」
レオの目も見ず、早口でそう言って部屋へ逃げ込んだ。
真っ暗な部屋。窓から入る月明かりだけが部屋を照らす。
ユラユラと歩き、ベットに横たわる。体が重たくて、ベットにめり込んでしまいそうだ。
張っていた緊張が解けて、ここに着いてからの記憶がどっと襲いかかってくる。
ずっと感じた視線、ニギルの威圧、そしてアルフレッド様が放った言葉。
「ハハハッ」
乾いた笑いが漏れる。
アルフレッド様は、描いた生活など諦めろと言った。彼が一体どう思っているかは知らないけど、そもそと私はここへ来ることになんの希望も抱いてはいない。
「だって私は、物語のお姫様にはなれないんだから」
吐き捨てるように言った言葉は、誰も届くことはない。