騎士とたわわ 〜 今宵、夢にて逢いましょう
恋する乙女のおまじない。
今宵、夢にて逢いましょう。
どうかどうか、愛しいあの人に逢えますように。
古今東西、恋する乙女は夢の中でも意中の人に逢いたいものである。
いや、乙女だけでなく恋をする者はすべからく、現実では無理かもしれないけれどせめて夢の中では憧れのあの人と恋人になりたい! などと考えるはずだ。
それはヴェルトラント皇国天涯騎士団に所属する騎士とて同じである。フランセスカ・モレノ三等騎士曹も常々同じ密かに想い慕う殿方の夢を見たいと思っていた。
事務職ではなく血生臭い騎士業を本職としている女など恋愛とは無縁であるということは置いといて、夢の中ではすべてが自由なのだ。二の腕の筋肉がそこらへんの市井の男よりもたくましいとか、腹筋が六つに割れているとか気にすることもなく、心ゆくまで恋い慕う人といちゃいちゃべたべたできるのだから。敵対する国の王子と姫の禁断の恋から魔王に攫われた神子姫を颯爽と救いに来る勇者との恋、果ては組んず解れつ汗まみれの濡れ場まで、主人公を自分たちに当てはめて妄想するのだ。
しかしながらそう都合良く夢を見ることができるわけではない。フランセスカが寝る前にひたすら妄想……いや、密かに恋い慕う人が夢に出てくれるように祈ってもそう簡単には成功はしなかった。
『絵姿を枕の下に入れて寝る』や『彼の髪の毛を枕の下に入れて寝る』や『名前を百八回唱えて寝る』などといった恋まじないは一通り試してみたが効果はなく、ごく稀に夢に出てきてくれたとしてもフランセスカの姿は現実と同じように彼の人の眼中にない。極東の国では自分のことを愛しく想う者が夢に出てくると言い伝えられているらしいが、彼の人がフランセスカのことを想うなどまかり間違ってもない。その前にフランセスカのことすら知らないのではないか。無い無い尽くしでかなり虚しい。虚しいのでせめて夢くらい自分の好きにさせて欲しい。口付けの一つや二つくらいは経験したい……夢の中でだけど。
だから今、フランセスカが見ている夢も、いつものように思い通りにいかないただの夢だと諦め半分でいたのだが……。
「な、何という眼福……いえ、破廉恥な夢なのっ!! 」
思わず声を上げたフランセスカの目の前には下履き一枚の姿で微睡む男が一人。
フランセスカが敬愛してやまない、ヴェルトラント皇国天涯騎士団が誇る遊撃隊長アーゼント・ベルクロウ一等騎士尉が横たわっていた。程よく日に焼けた隆々たる肉体美を惜しげもなく晒しているアーゼントはどうやら寝ている設定らしい。
「待って、落ち着きなさいフランセスカ、と、とりあえず深呼吸……」
すーはーすーはーと意味もなく深呼吸をしながらもフランセスカの目はアーゼントの喉元から、濃い茂みが見え隠れする臍の下辺りをウロウロとさまよった。規則正しく上下する厚い胸が憎らしい。
「夢、よね? ゆ、夢にしては肉感的だけど」
フランセスカが立っている場所は見慣れた野営天幕の中だ。隊長用の天幕なのか若干広めに造られており、ご丁寧に簡易の執務台まで設営されている。よく夢で見る模擬訓練の場面のようだが、簡易の寝台にほぼ裸で寝ているアーゼントの姿がこれは現実ではないことを示していた。
なぜならばフランセスカとアーゼントは別の部隊に所属している為ほとんど接点などないのだから。さらに言えばフランセスカは自分に充てがわれた寮の部屋で寝ていたはずなのだ。
「隊長、意外と睫毛長い……ってこれ夢だし、妄想だし」
しっかりと閉じられた切れ長の目を縁取る濃い睫毛はフランセスカの妄想の産物だろう。フランセスカはアーゼントの顔を間近に見たことはない。少しパサついた硬そうな黒髪も鼻梁の高い鼻も意志の強そうな唇も呼吸と共に微かに動く筋肉も、いやに生々しいが。
「今日のおまじないって『夢見石を枕元に置いて好きな人のことを考えながら寝る』だったけど、これって成功した、のかしら」
こんなあられもない寝姿のアーゼントを夢に見るななんて、自分はそんなにまで欲求不満だったのだろうか。
合同模擬訓練で見かけたアーゼントの姿に見惚れ、遠巻きに目で追っていくうちに本気になってしまってからはや一年と八ヶ月。アーゼントとお近付きになりたい、と何度も何度も機会を伺いながら未だなんの成果も得られない日々。あの低い声で自分の名前を呼んではくれないだろうか。太い腕で自分を抱きしめてはくれないだろうか。筋肉で覆われた厚い胸に頬ずりさせてくれないだろうか。あわよくば酔いに任せて熱い一夜を過ごしてはくれないだろうか、と邪な視線を送り続けるも、知識ばかりで現実の恋に奥手なフランセスカは、たまに食堂や訓練場で見かけるアーゼントの視界に入るくらいの行動力しかなかった。
事務職の若い女性たちは華やかで可愛らしく、すぐに男性騎士と仲良くなるというのに。フランセスカは一般的な女性にない残念な筋肉が発達しており騎士として優秀でも可愛らしい見た目の女性にはなり得なかった。唯一の自慢だったたわわにふるんと実った豊かな胸も武骨な胸当ての下に隠されてしまえば誰からも賞賛されることはない。だから彼らの同志には成り得ても恋人にはなれそうにもなかったのだ。
炎のような紅い髪の毛を振り乱して魔槍を振り回し、火炎魔法で魔物や敵を殲滅するフランセスカは、烈火大猿騎士という女として致命的なあだ名を付けられてしまっており、男性騎士たちからもはや女として見られていないことを知っている。同僚たちはフランセスカが居てもお構いなしに服を脱ぎ散らかし、半裸になって酔い潰れ、男女の卑猥な話を平然とするのだ。女に見られてない証拠だろう。
フランセスカもそれで良かった……恋をするまでは。
「烈火大猿なんて狂暴な魔物に例えられる女とか隊長も嫌よね」
諦めたように呟いたフランセスカは、それでも夢は夢として堪能しようと拳をグッと握り込む。
伊達に年を重ね続けたわけじゃない。あーんなことやこーんなことまでいちゃいちゃべたべたきゃっきゃうふふな大人のいけない妄想を今ここでやってしまおうではないか。同僚たちが自慢気に話して聞かせる卑猥なあれやこれやを実践してみようではないか。自分の好きなようにできる夢の隊長を目の前にして放置するなどという選択肢はフランセスカにはなかった。
「隊長……ア、アーゼント隊長」
妙に緊張し上ずった声になったフランセスカがアーゼントを呼ぶ。これは夢だ、勇気を出せと気を奮い立たせながらアーゼントの横に膝をつき、震える手で頬をそぉっと撫でる。
やばい、なんだか温かい気がする。
夢見石のおまじないって凄い。
無精髭の生えたざらりとした頬から男らしい喉仏を通って鎖骨までを指でなぞり、うっとりと目を細める。もはや痴女以外の何者でもない行為だが、夢なのだからと段々ど大胆になっていくフランセスカ。素晴らしい肉体美に夢中になったフランセスカは、目の前で横たわる存在が目を開けたことに気がつかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ああ、まただ。
アーゼントはぼんやりとした意識の中、いつの頃からか度々夢に見る女性の姿にもどかしい思いをしていた。炎のような紅い髪、キラキラと輝く緑の瞳、蠱惑的な桃色の唇。そして、薄いレースで縁取りされた深緑色の夜着からこぼれ落ちそうなくらいに盛りあがるたわわな白い胸。アーゼントの理想を体現したような彼女は妄想の産物なんかではなく実在する人物だ。騎獣部隊に所属する女性騎士で、名前はフランセスカ。快活な彼女は人気者で、いつ見ても仲の良さそうな男女入り乱れた同僚たちに囲まれている。
そう、彼女を狙った男どもが群がっているのである。
将校という立場から気安く話かけることができないでいるアーゼントは、いつも歯痒い思いでジリジリとしてその光景を見ていた。今まで自分の夢に出てきたフランセスカも現実と同じように距離があり、アーゼントはそれが不満だったのだが、今宵の夢のフランセスカは今までで一番距離が近く、かつ今までで一番煽情的な装いをしている。
この彼女は自分の妄想、でも、なんて大胆なんだ!
ゆっくりと思わせぶりに身体に触れてくるフランセスカにアーゼントはゴクリと生唾を飲む。待って、今は演習中だから、ちょっと仮眠してるだけだから、フランセスカさん、それはヤバい、俺どんだけ欲求不満なのっ?! あぁ、でも触ってどうぞ!というアーゼントの脳内の混乱をよそにフランセスカのザラつく指先が遠慮なく腹筋の割れ目をなぞった。
「おっふぅ! 」
思わず恥ずかしい声が漏れ出てしまったが、仕方がない。声を出してしまったことでフランセスカが緑の瞳が溢れんばかりに目を見開いて手を止めてしまったのでとっさに「いや、なんでもないので是非とも続けてくれないか」とアーゼントはその先を促す。しかし、フランセスカはピタリと止まったままだ。
アーゼントは自分の情けない妄想力を呪った。もっとこう、夢というからには大胆にガツっとできないものなのか。それとも現実のフランセスカに申し訳なく思う深層心理でも働いているのか。
動かなくなったフランセスカをアーゼントは遠慮なくまじまじと見つめた。濃ゆい紅の睫毛一本一本まで細密に具現化されたフランセスカは、その日焼けで赤くなった頬には薄っすらとそばかすまで浮いている。そしてそのそばかすは魅惑の胸あたりにも星のように散っていた。
それにしても、なんて凄く、深い谷間だろう。
白くまろびやかでたわわに実る膨らみが二つ。その二つが寄り添う間は深い谷間となっていて、フランセスカがまごうことなき豊乳の持ち主であることを示している。が、当然ながらアーゼントはフランセスカの胸など見たことはない。ただ、野郎どもの飲み会の場や風呂場の更衣室なんかで繰り広げられる猥談で「騎獣部隊の烈火大猿騎士は乳がデカい」と話題になっていたのを知っているだけだ。フランセスカは大猿なんかではなく絶対に不死鳥の方が似合っている。女性に不似合いのあだ名には眉をひそめたものの、大きいことは良いことだ。アーゼントもご多分に漏れず、豊かな実りは大好きだった。
不意に自分の指がどこまで沈み込むのか試したくなったアーゼントは、何気なく、フランセスカの魅惑の谷間に右示指を突っ込んだ。第ニ関節が難なく谷間に吸い込まれ、さらに第一関節まで飲み込まれる。
「なんと言うことだ……理想郷はあったのか」
これはもう、是非とも色んなものを挟み込んで欲しい。とりあえずそこに顔を挟んだら十歳くらい寿命が延びるかもしれない。指にかかる素晴らしい弾力と圧力が……。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 」
「あ、ちょっと、まだ待って! 」
意識が覚醒しつつあるのか、フランセスカが叫び声をあげながら消えていく。まだ堪能していたかったアーゼントは消えゆくフランセスカのたわわな胸を一房もぎり、いや掴んで、
「なんだちくしょう、後ちょっとでっ! 」
「なんだはこちらですからっ! 何なんですかいきなり、人の胸に指突っ込んでっ!! 」
「え、あ、ま、マトーヤ君? 」
「マトーヤですよ、何か? 」
ハタと気がついたアーゼントは目の前でプルプルと震える超豊満な胸を持つ巨漢の治癒術師マトーヤと、そのマトーヤに右示指を伸ばした状態の自分に愕然とした。
「あれ、確かに掴んだはずなのに」
「……あまつさえ掴もうとするなんて。ベルクロウ隊長、頭も打ちましたか」
「ああ、ん、いやそれは大丈夫。右手も大丈夫だよ」
「…………痺れとか強張りが出たらすぐに治療しますからね」
ついでに頭も、と言われたような気がしたが、多分気の所為ではない。
「すまない、君の治療魔法術が気持ちが良くてうっかり寝てしまったみたいだ」
マトーヤに馬糞でも見るような目つきで見られいたたまれなくなったアーゼントは乾いた笑いでお茶を濁した。ついでに、演習中に騎獣がひっくり返り、それに巻き込まれたアーゼントは右手を負傷して衛生部隊の天幕で治療していたことを思い出す。
やはり、夢だったのか?
魅惑のフランセスカは幻だったのか、と残念に思い右手を見つめてため息をついたアーゼントを、マトーヤが残念なものを見る目で一瞥していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「掴まれたぁぁぁぁぁぁぁっ! 」
全力で飛び起きたフランセスカは夢の中のあり得ない出来事に心臓が飛び出しそうなくらいに驚いた。フランセスカの夢の中で微睡んでいたアーゼントがいきなりフランセスカの胸の谷間に指を突っ込み、さらには竜のようにぐわしっと胸を掴んできたのである。
「いやいやいやいや、夢だし、夢だしーっ! 」
アーゼント隊長ってば大胆! とゴロゴロジタバタ、フランセスカは一人用の寝台の上で恥ずかしさにのたうち回る。
「色気ダダ漏れ、理想郷って何?何なの? 私? 私が理想郷かーっ?! 」
ひとしきり暴れ回ったフランセスカは、やがてピタリと静かになった。
何してんだろ、私……所詮妄想の産物じゃん。
夢は願望のあらわれである。破廉恥なアーゼントも胸を触られたことも、全てはフランセスカの願望なのだ。胸の谷間に指を突っ込まれるのがフランセスカの願望なのかと言われれば少し違う気がするが、組んず解れつきゃっきゃうふふをしたいのでまあそういうこともあるだろう。アーゼントの「理想郷」との呟きも多分どこかの男たちの猥談で聞いた台詞をフランセスカが覚えていたのだ。
急に虚しくなったフランセスカは枕元に置いてあった夢見石に手を伸ばした。怪しげな町占い師から安価で購入した夢見石。今までで一番効果があった恋まじないだが、好きな人を夢に見るだけで満足できるのは年若き女学生だけね、とため息が出た。
しかしそれから、フランセスカはかなりの頻度でアーゼントの夢を見るようになった。
次に見た夢でフランセスカはアーゼントの部屋と思しき場所にいて、アーゼントは湯浴みの直後なのか髪を湿らせ、上半身裸で寝台に横になっていた。風邪を引いては大変と乾いた布で頭を拭いてあげていたところ、アーゼントがいきなりフランセスカを抱き締め、濡れた頭をぐりぐりと胸に押し付けてきたところで目が覚めた。
さらにフランセスカが自室で寝ているところにアーゼントがいきなり現れることもあった。何故いつもいいところで逃げるのかと文句を言われ、自分がいかにフランセスカを魅力的に思っているか、長々と語られた。これには流石のフランセスカも「ないわー、自分の魅力を語って欲しいとか痛いわー」と早々に目覚めた。
任務先で仮眠を取っている時もアーゼントが夢に出ることがあった。任務の内容やどうすればいいか悩んでいることを話すと、夢のアーゼントは親身になって聞いてくれ、さらにはフランセスカが思いもつかないような助言をしてくれた。半信半疑で実行すると不思議なことに全てがうまくいくのである。私の潜在能力ってすごい! と喜ぶ一方で、何故、自分が学んだことのないはずの知識を知っているのか気になった。そして、アーゼントが出てくる夢の不自然さにも気がついた。
喧嘩をしたこともある。フランセスカがいつも男たちを侍らせていると突拍子も無いことを非難されたのだ。フランセスカとしては仲の良い同僚であるが、夢のアーゼントは同僚の皮を被った下心満載の獣だと言い放った。ついムカッときてアーゼントはどうなのか聞いたところ、ギラつく顔で押し倒され、胸を噛まれた。けしからん、誘うように見せびらかすフランセスカが悪い、こんな魅惑のたわわな膨らみを持っているのがいけないんだ、と噛んだ跡を執拗に舐められたところで目が覚めた。何故か胸に赤い跡が付いていてかなり焦った。
仲直りした後のアーゼントはとても優しかった。嫉妬した自分が悪いとこうべを垂れ謝罪するアーゼントに、ついほろっと絆されてしまった。烈火大猿騎士とあだ名されている自分に嫉妬するなんて、と冗談めかして笑い飛ばしたところ、アーゼントはフランセスカのことを不死鳥のように美しいと言ってくれた。恋愛経験などなきに等しいはずのフランセスカが夢の中の奇妙な擬似恋愛を不思議に思っていることを話すと、アーゼントも同じことを考えいたとは言ったものの、現実ではこんな風に素直になれないから夢でも嬉しいと優しく笑っていた。
最後に見た夢で、アーゼントはドゥーエ領の魔獣討伐任務につくからしばらくは夢を見られない、と残念そうに伝えてくれた。フランセスカも任務でメヌエ領に出向くので同じだと言うと、アーゼントにいきなり抱き締められ、胸を枕にされた。夢のアーゼントはフランセスカの豊かな胸がお気に入りらしい。ことあるごとに触れられて不埒なことをされてきたが、これが全てフランセスカの願望であるのでなんだか無性に虚しさに襲われた。
それからすぐにヴェルトラント皇国天涯騎士団が総出で行う秋の魔獣討伐任務が始まったので、忙しさから本当に夢を見なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「この時間にこんなに混んでるなんて」
遅めの昼食を取ろうと食堂に向かったフランセスカだったが、ドゥーエ領に魔獣討伐に出ていた部隊が帰還したらしく、閑散としていた本部の食堂に活気が戻っていた。いつもならば空いている将校用の食台も今日ばかりは溢れた下士官も一緒になって座っている。なんとか本日の定食を注文できたはいいものの、ゆっくり座って食べるのは難しそうだ。
食堂内で食べることを諦めたフランセスカは、仕方なく外の椅子に座ることにした。ここでも日除けがある椅子は先客で埋まっていた為、日除けがなく太陽の光をたっぷり浴びることができる人気のない椅子に腰を下ろす。
あーあ、せっかく帰ってきてるのに、しばらくは姿を拝めそうにないわね。
フランセスカの部隊もメヌエ領から明け方に帰ってきたばかりで、報告や騎獣の世話、装備品の手入れなどやることは山積みだ。落ち着くまで四、五日はかかるだろうし、任務疲れで気持ちに余裕がない。アーゼント率いる遊撃部隊も同じことだろう。寝不足ということもあり、ぼんやりと目の前の紅く色づき始めた樹木を見ていると、ふいに影がさした。
「やあ、フランセスカ。横いい? 」
「あ、隊長お帰りなさい。どうぞどうぞ」
フランセスカが鳥肉の煮込みを半分ほど食べたところで、食堂に入れなかったのであろうアーゼントが昼食の器を両手に持って現れた。こちらも寝不足なのか全体的に覇気がなく、二重のはずの瞼が三重になっている。
「ずいぶんお疲れですね」
「厄介な魔毒を持った魔獣が大量発生してね。根絶やしにするのに手間取ってあまり眠れなかったんだ」
見てこの目、充血してるだろ? とフランセスカに向けた顔は酷いくらいに疲弊していた。
「そういうフランセスカも目の下の黒いの、大丈夫かい? 」
「今年は魔獣の当たり年なんですかね……メヌエ領の方も地走り竜が大量発生して酷いもので、夢を見る暇なんてありませんでした」
「自分も同じ」
お互いに疲れた顔を見合わせて微笑んだ二人であったが、同時に違和感に気がつく。
フランセスカとアーゼントはこれが初対面である。なのに何故、こんなにもすんなりしっくり馴染んでいるのか。確かにそれぞれの夢の中では親しい仲となった、だが、それはあくまで夢の中での妄想の産物であり、現実には面と向かって話したこともなければ親しげに「フランセスカ」「アーゼント隊長」など名前呼びできるはずがなかった。
「……ふ、フランセスカ、さん。あの、一つ聞いてもいい、かな? 」
「わ、私も、お聞きしたいことが、ありまして……」
「君と、どこかで会ったこと、あったかなぁ? 」
フランセスカは首を左右に激しく振り、それを否定した。会ったことなんて、ない。まったくお近づきになれない日々は現在まで進行形である。
「あの、隊長。変なことをお聞きしますけど、最近、夢を見ませんでしたか? わ、私の」
アーゼントの息が一瞬止まったのをフランセスカは見逃さなかった。
「ど……どこから、覚えてる、のかなぁ? 」
その一言に、信じられない思いでアーゼントの顔を見たフランセスカは夢とまったく同じ顔の作りをしているアーゼントに度肝を抜かれた。まさか、あの夢は現実であったのかと心配になるくらいに。
妄想ではなかったのかとフランセスカの顔を見たアーゼントは扇情的で蠱惑的なフランセスカと目の前のフランセスカが同じであることにおののいた。もっとも残念ながら素敵にたわわで白い胸は制服の下に仕舞われているが。
「お互い身に覚えがあるみたいだ、けど、どうしてだろう」
お互いを探るように見て沈黙し、先に折れたのはフランセスカだった。あの不思議で不自然な夢はもしかしたら自分の所為なのかもしれないのだ。
「正直に言います。まず、私は、隊長に少しでも近づきたくて、でもそんな勇気が持てなくて、気休めにこ、恋まじないで、隊長の夢でも見られたらって」
『絵姿を枕の下に入れて寝る』や『彼の髪の毛を枕の下に入れて寝る』や『名前を百八回唱えて寝る』という眉唾ものの恋まじないに必死だったこと。
「そしたらある日、まるで現実の世界のような夢を見ました。私、それだけで舞い上がって、隊長に少しだけ、ふ、触れました! 」
偶然手に入れた怪しい夢見石を使った日、今までになく鮮明にアーゼントの夢を見て興奮し、大胆になったこと。
「その時から度々、同じような夢を見たんです。場所は隊長のお部屋みたいなところだったり、わたしの部屋だったり、任務先だったり」
あまりにも不思議で不自然な夢に流石に変だと思ったものの、夢で逢うアーゼントにますます惹かれていくことが止められなくて。そんな思いをポツポツと語るフランセスカにアーゼントもいたたまれなくなった。アーゼントも変だ、とは思っていたのだ。悪い呪いにでもかかったのかと思うくらいには怪しんでいたのに、そのまま放置したのは心地よかったからで。
「夢とは言え、自分は君に対して大変失礼なことを、だな、その、なんというか」
「えっ? そんな、どんなことか分かりませんけど、夢の中のことは私自身の願望なのではないですか? 」
「いや、実は、君が今話してくれた内容の夢……自分も同じものを見たんだ」
「えっ? 」
「まぁ、なんだろう……夢の共有? 」
何かを思い出すように眉をひそめたフランセスカはハッとして己の胸を両手で掴んだ。
「それじゃ、胸の谷間に指を突っ込んだり竜掴みしたり、顔を突っ込んだり、か、噛み付いたりしたのは、私の願望じゃ、なかったってことですか? 」
「いや、それは君の願望かな」
改めて自分のしたことを本人の口から告げられると自分がとてつもない変態のようで、アーゼントは咄嗟に否定した。たとえ夢の中でもこれは駄目な部類である。真実を知らない方がフランセスカにとってもアーゼントにとっても都合がいいはずだ、と考えたのだ。
「君に偉そうに説諭したり、君と親しくなりたいと口説いたり……それはまぎれもない本心なんだけど」
アーゼントの苦し紛れの弁解に、未だ自分の両胸を掴んだままだったフランセスカは顔面蒼白になって、絶望に顔を歪ませた。
「ねぇ、フランセスカ」
「忘れてください」
「えっ?」
「私が今話したこと、忘れてくださいっ!! 」
「フラン」
「あー、わー、わー、私っ、痴女じゃありませんからっ!! 」
「待って、もう少し話を聞いて」
「いやーっ、私のお馬鹿ーっ! 」
アーゼントは失敗したと頬ぞを噛んだ。数々の破廉恥行為は相手ではなく彼女自身の願望だと断定することは、フランセスカがそういう行為を望んでいることを肯定しているようなものである。胸の内を明かしてしまったフランセスカにとっては最悪の事実だ。それがアーゼントが身の保身の為についた嘘によるものであっても。
「違う、違うんだっ、君の願望なんかじゃない」
「ひーっ」
「ごめんっ、自分が悪かった」
「うーっ……えっ?」
「違うんだ、自分が卑怯だった。正直に言うからどうか聞いて欲しい」
羞恥心と絶望から涙目になって耳を塞いでいたフランセスカの両手を掴み、真剣な表情で見つめる。さらにごめん、と言うと大人しくなったフランセスカと目が合った。
「嘘をついてごめん、フランセスカ。君の夢で、その、あれは君の願望なんかじゃなくて、自分の願望なんだ」
「う、そ」
「ごめん、君のことが気になって、夢で親しくなれて、調子に乗った自分が悪かった」
「指を突っ込んだり、掴んだり、顔を突っ込んだり、噛んだりしたのは、アーゼント隊長の願望? 」
「否定はしない」
「それはそれでちょっと……え、遠慮願いたいかも」
「フランセスカっ! 」
「うーっ、やっぱり忘れてくださいっ」
いきなり言われて受け入れられるほど、恋愛経験値がないフランセスカは脱兎のごとく逃げ出そうともがく。
「嫌だ、覚えてる」
「そんなっ」
「君が髪を拭いてくれたことを忘れたくない。君の相談に乗ったり、嫉妬して喧嘩までしたことも」
俯いてしまい、頑なにアーゼントを見ようとしないフランセスカに辛抱強く語りかける。
「現実の臆病な自分は今日でおしまいにしたい。夢で、君が見せてくれた優しさは本当のことだと、現実でも感じたい」
それでもなお、顔を上げないフランセスカはしかし、耳が真っ赤になっていて小刻みに震えていた。
「忘れて欲しいなら、最後に、今夜、夢で逢いたい」
「っ!! 」
全てを白状したアーゼントは開き直り、半ば脅迫するように畳み掛ける。眼光鋭く、ギラギラした捕食者の顔付きになるもなりふりなんか構っていられない。この様子だと絶対に逃げられると嫌な確信があった。
「でも自分は、忘れたくない。だから、待ってる……フランセスカ、一緒に、夢の続きを実現しよう」
「……は、話し合うだけですからねっ」
「うん」
「ふ、不埒なことは禁止ですからねっ」
「……善処する」
「わ、私だって、触りたいんですからねっ」
「うん……うん? 」
「ぐりぐりしたり、噛んだり、な、舐めたりしたいんですからねっ」
「えっ?! 」
アーゼントの隙をついて両手首を返し、まんまと拘束から逃れたフランセスカはお返しとばかりに真っ赤な顔で睨みつける。噛んだり舐めたりってどこを、と聞いてみたくなったアーゼントは羞恥に染まったフランセスカを見て言葉をぐっと押しとどめた。
「わかりました! 今夜、夢で逢います」
「フランセスカ! 」
「でも、完全装備で来てください」
「完全装備? 」
完全装備とは全身を防具で覆うことだ。
「念のため、念のためですから」
「えぇ……あぁ、はい」
今夜は見事で豊かな胸を見られないことに少しだけ落胆してしまったアーゼントはフランセスカにギッと睨まれ、内心渋々ながら承諾した。それに満足したのか、今夜逢ったら全部忘れてください、と言い残したフランセスカは食べかけの昼食ごとアーゼントを残して騎獣よりも早く走り去っていく。昼の太陽に照らされてキラキラと輝くフランセスカの紅の髪は、不死鳥の炎の尾羽のように綺麗だった。
「完全装備、ね。今から防具を手入れしたらなんとか間に合う……ん? なんで自分が完全装備? 惜しいけどあの素晴らしい胸を隠すだけならフランセスカが完全装備すればいいんじゃ……」
恋する乙女のおまじない。
今宵、夢にて逢いましょう。
どうかどうか、愛しいあの人に逢えますように。
そして、願わくはーーーーー