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東京カクテル  作者: 黒田
3/4

天道虫と割りばしと爪楊枝-天道虫の場合-

 冬の東京では空がすぐに暗くなり、冷たく乾いた風がアスファルトやビル、行き交う人々を凍えさせています。

 東京の西側にある高い灰色のビルに挟まれた、澄んだ空を思わせる鮮やかな水色をしたビルも居心地悪そうに東京の冬空の下で、寒そうに佇んでいます。

 このビルの2階には寡黙なマスターが一人で営むバー、Schnaps-シュナ"ッ"プスではなくて、シュナプス-があります。このお店にはいろいろなお客さんが通っていました。

 自分の咲く場所を探す蒲公英や、正直者の熊、時間にルーズな腕時計、マスターと同じぐらいの年齢の落ち葉。

 みんな、このお店の顔馴染でした。いつも誰かが、このお店に通って楽しい時間を過ごしていました。


 今日は天道虫(てんとうむし)と割りばしと爪楊枝が、バーにいました。みんな、お酒を次々と飲んでいて「出来上がっている」様子でした。

 爪楊枝は持ってきたアコースティックギターを慣れたように弾き語りを、割りばしはハーモニカで、目を閉じてほっぺを膨らませて爪楊枝と一緒に音楽を奏でていました。天道虫は、二人の心地よい、気持ちが晴れ晴れする音楽を心から笑いながら、時折涙を流して、一緒に歌い楽しんでいます。





 今から、数時間前に天道虫が静かに扉を開きました。中を伺うように一度、目を左右に配ってから店内に入ります。厚ぼったいベージュのコートを壁にかけて、奥から5番目の席に腰を下ろします。冷えた外によほどいたのか、天道虫は冷たくなった手をこすり合わせたり、顔に当てたりと忙しく動いています。

 マスターは凍える天道虫のために、バダード・ラムをそっと差し出します。ラムにお湯とバターを入れて軽く混ぜたシンプルな飲み物でしたが、冷たく震える天道虫にはありがたいものでした。一口飲むと、バターとラムの香りが広がり、寒くなった体がポカポカと温まりました。よほど気に入ったのか深い赤色の羽をパタパタと機嫌よく動かします。


 天道虫は飲み終えると、ふううと深い息をつき空いたグラスをテーブルに置きます。凍えそうな体が内側から温まり、少し元気が出てきます。

 しかし、今日の、悲しい出来事を思い出すと、しょんぼりと頭を下げてテーブルを見つめます。下げた顔は悲しく、今にも泣きだしそうでした。


 天道虫は、今日、失恋したのです。これまで多くはないですが、天道虫は色々な相手に恋してきました。が、今日の失恋ほど心を痛めるものはありませんでした。だって、天道虫はその相手に、溶けてしまうような、恋をしていたからです。





 相手は天道虫よりも1つ年下の女性でした。細くすらっとした身体に白い肌、大きな瞳の愛らしい顔をした美人-と天道虫は断言します-でした。笑うとほっぺが小さく丸く盛り上がるのも彼女の魅力でした。いつもイヤホンをつけていて、天道虫が聞かせてもらった時は、英語の音楽が流れています。若く、ハスキーな声の女性が何かを-天道虫はからっきし英語がだめでした-力強く歌い、メロディーに合わさると心地よい気持ちでした。


 百合、としばしば天道虫は彼女を表現します。天道虫ですからお花は大好きです。それで道行く人をお花に例える、といった癖をこの天道虫は持っていました。

 天道虫はこれまで多くのお花を見てきました。一人もの寂しげな(すみれ)、上品でおしとやかな、でも近寄りがたい睡蓮(すいれん)、小さな花同士が集まって道いっぱいに広がって歩く紫陽花(あじさい)など-そういえば、このバーにも明るく元気に、でも時々、思い悩むような蒲公英(たんぽぽ)がいたことを天道虫は思い出します-都会にはたくさんの花が個性豊かに咲いています。


 天道虫が百合に出会ったのは昨年の秋です。図書館で司書として働く天道虫は、その日も返却された本の整理をしていました。几帳面な天道虫ですから本が美しく、きれいに整列しないと気がすみません。よく棚の一番端で横になっている本を見つけると、すぐにその場所に飛んでいき優しくそっと立てかけました。

 その日もたくさんの本を棚に戻してました。政治の本、経済の本、料理の本、野球の本…この図書館は天道虫の住む街で一番大きな図書館ですから、それだけ本が膨大にありました。


 海外小説の文庫本を棚に戻している時です。

 「すいません」

 と、声をかけられたので天道虫はそちらを振り向きました。

 細くすらっとした身体に白い肌、大きな瞳の愛らしい顔をした女性が困ったように話しかけてきました。

 -なんて、美しい女性なのだろう!!-

 天道虫は、心の中で、でもちょっとだけ驚きの表情が顔に出て、口をぽっかりと開けました。

 「この人の小説は、ここの図書館に置いてありますか?」

 女性は、口の開いた天道虫に、相変わらず困った顔をして聞いてきました。


 女性の探す小説は2つほど先の棚に置いてありました。もう亡くなっていましたが、今でも世界中で、人気のある小説家の本でした。女性は、お目当ての本を見つけると、ぱあと明るい顔になります。小さく丸くほっぺを盛り上げた笑顔に、天道虫は恋に落ちました。俗にいう、一目惚れ、というものでした。


 それからも女性は度々、図書館に通いました。天道虫は今までのように几帳面に本を整理していました。が、海外文庫の棚に来るといつもより、ゆっくりと、丁寧に、時間をかけて本を整理しました。目だけはいつも女性を探していました。

 天道虫は、いつもそうでしたが、何にしても奥手な性格でした。石橋を叩くように、慎重になりがちなのです。女性を見つけると、それだけでドキドキしてしまい、声をかけることもできません。でも、あの女性とお付き合いしたい気持ちも日に日に強まります。恋に身を焦がれるような日々はしばらく続きました。





 ある日、天道虫は、思い切って女性に声をかけました。なんて声をかけたか、後になって振り返っても天道虫は覚えていませんでした。それだけ、緊張して頭が真っ白だったのです。

 女性は天道虫に始めはびっくりして目を丸くしました。が、だんだんと笑顔になってきて最後には丸いほっぺをしていました。


 それから、二人はいろいろなお話をしました。高校生の頃からこの人の小説が好きになったこと、英語はあまり得意でないこと、実は高校生の頃は同じように英語が苦手だったこと、英語が苦手なのに英語の小説を読むなんてすごいこと、高校の同級生に英語がすごくできる人がいたこと、知り合いに翻訳家がいること…。二人はとても盛り上がり、図書館の静かで厳粛な雰囲気を忘れるぐらいに話を続けました。


 プライベートでも二人は会うことが多くなりました。ほとんど女性の方から天道虫を誘いました。たまに、天道虫も、勇気を出して女性を誘いました。どんな誘い方をしたのか、やはり、緊張していて覚えていませんでしたが。


 話を重ね、お出かけを何回もして、すっかりと二人は打ち解けていきました。ほっそりとした彼女の身体の隣を歩くと、とてもいい匂いがします。

 -百合のような人だ-

 天道虫は照れながらも、でも、幸せな日々を過ごしていました。





 百合のような彼女は、でも、時々ですが天道虫のいない遠くを見ることがありました。お話をしていても、お出かけをしていても彼女は気が付くと遠い遠い、ここではないどこかを見つめています。

 天道虫もそんな彼女の様子に気が付いていました。が、どこを見ているのかを聞くことが、なんだかとても怖かったので黙っていました。

 彼女が違う世界を見つめるとき、天道虫は世界で自分一人だけになったような寂しさを感じます。目の前にいるのに見られないことは、恐ろしく悲しく淋しいことです。


 ある晩のことです。いつものように天道虫と彼女が冬の空の下を並んで歩いています。夕焼けに照らされた空は見事な茜色に染まっています。

 「ごめんね」

 彼女は突然、天道虫に小さく呟きます。

 「私、一緒にいたい人がいるの」


 突然の別れ話に天道虫は足を止めて、黙って彼女を見つめます。彼女は申し訳なさそうに天道虫を見つめています。天道虫たちは近くの公園に行くと、ベンチに座りました。

 天道虫と彼女の話は、長く続きました。茜色の空は次第に濃い群青に、暗闇に色が変わります。街灯の下、二人は同じような話を繰り返していました。


 女性には、どうしても忘れられない男性がいました。女性はその男性に「溶けるような」恋をしたと言います。その男性のことを思って今でも彼が好きだった海外の小説を読むぐらいに。

 天道虫は時に情熱的に、時に絶望的に、時に泣き叫ぶように女性に自分の思いを伝えました。が、その声は、この話をしている最中にも、どこかにいるであろう男性を探すように遠くを見つめている女性には、ほとんど伝わっていないようでした。

 とうとう天道虫は受け入れざるを得ませんでした。溶けるような天道虫の恋は、冬の肌寒い空の下で終わりを迎えました。


 「友達でいようね」

 女性は最後に天道虫に言うと、ほっぺにキスをして公園の出口に向かいます。

 天道虫は、というと、ベンチに座ったまま女性の方を振り向きもせず暗闇を見つめます。涙が流れているのを女性に見られたくないのと、いま彼女を見たら未練が残ると思ったからです。

 しばらく天道虫はベンチに座ったまま、静かに涙を流します。冷えた頬に伝わる涙は、ほのかに温かったです。


 天道虫は、何とか気持ちを整理すると歩き始めました。

 -こんな日は飲むに限る-

 それが天道虫の出した答えでした。流れる涙を袖口で拭うと、まっすぐに東京の西側を歩き始めます。





 天道虫がバーの扉を開くとマスターがこちらを少し振り向き、視線をまた手に持ったグラスに移します。まだ誰も来ていないようです。内心、天道虫はほっとしました。声の大きな正直者の熊がいたら何を言われるか分かりませんし、それを冷静に受け止められる程の余裕は今日は無いことを天道虫はよく分かっていました。が、不安な天道虫は伺うように一度、目を左右に配ってから店内に入ります。

 コートを壁にかけて席に腰を下ろします。冷えて、心が傷ついた天道虫は恐ろしいほどの疲労を感じます。眠らないように冷たくなった手をこすり合わせたり、顔に当てたりしました。


 マスターの出したバダード・ラムを飲むと体が温まります。同時に不安や寂しさが少しづつ溶けていくように、天道虫の心は落ち着きを戻しました。よほど気に入ったのか深い赤色の羽をパタパタと機嫌よく動かします。

 これなら正直者の熊に会っても、少しは笑顔で対応できそうです。

 が、やはりショックだったのか天道虫は俯き悲し気な顔になってしまいました。


 カランカラン


 扉のベルの音がしたと思ったら、ドタドタ、と勢いのいい足音がします。天道虫がそちらを振り向くと割りばしと爪楊枝が、何か言い合いをしながらお店に入ってきました。



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