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異世界における転生者の必要性  作者: 前田香菜
異世界における転生者の必要性
4/11



「お嬢様……」

「ごめん……なさい」



 セバスチャンはコーディリアが言いきる前に彼女を抱きしめていた。火の中に飛び込んでいく主人と、それを止められなかった自分を責めて責めて外で待ち、そして無事だった少女に安心した声だった。



 そしてすぐに体は離される。それが、使用人と主人の距離だった。本来ならこんな風に抱きしめられることもない関係だ。

 それが、小さい頃から棘のように心に刺さる。



「一度ならず二度までも、ありがとうございます」



 ちらりと、青年に視線を注ぐコーディリアをみて、セバスチャンは目を閉じる。コーディリアは背筋を伸ばし、頭を下げる。



「先ほどは助けていただき本当にありがとうございました。私はコーディリア・メイデ・ストックウィルと申します」

「ストックウィル……」



 その名を聞いて、青年は居住まいを正した。



「ジルベルト・ウォリナーと申します。既にご存知のことと思いますが、ソレイユ医術学校に通っています」

「ということは、お医者様ですか。まだお若いのに」

「いえ、歳は二十二歳ですが、去年入学したばかりの1年生ですよ。医者になろうと思えば簡単になれますが、ちゃんとした医者になろうと思えばまだまだ時間がかかります」

「二十二といえば、まだお若いでしょう。特に、あの学校に入学するだけでも厳しいと聞いております」

「ありがとうございます」

「あ……」



 セバスチャンに褒められたときのジルベルトは、心からの笑みを浮かべていた。彼はこんな風に笑うのだと、コーディリアは頬が熱くなる。



「どうされました?」

「い、いえあの、ここで長話するのもどうかと思って」

「そうでございますね」

「なら、私はここで……」

「あの!」



 立ち去ろうとしたジルベルトを引き止める。コーディリアは必死で、彼を引き止める言葉を探した。なぜそんなに必死だったのか深く考えずに。



「あの、お、お礼をしたいので、よかったら、我が家に……」



 そこまで言いかけて、声が尻すぼみになった。我が家には彼をもてなすようなものがないことを思い出したからだ。

 声が小さくなる彼女にジルベルトが首を傾げる。

 主の心の内を悟ったセバスチャンが、そういえば、と言葉をつないだ。



「なぜ、燃え盛る火の中に飛び込もうとされたんですか?」

「あ、そうですね。かなり危ないことをしたという自覚はあるんです。ただ……」



 ジルベルトはしっかりと握った、黒い塊を見下した。



「大事な本があったんです。燃えてしまう前に回収しようと思ったのですが、半分くらいは燃えてしまいました」

「失礼ながら、それは医学書ですか?」

「あ、はい」

「同じ本かはわかりませんが、我が屋敷にも数十冊ほど医学書がございます」



 はっと、コーディリアは顔を上げた。



 借金を返済できたおかげで、家具類は失わずに済んだ。それでもできるだけ経営費には手を出さずに済むように、売っても問題なさそうなものは全てお金に換えている。ただ、祖父が残した書斎の物は、一切手を出していなかった。祖父の書斎には、医学書がたくさんある。



「あの、よければ我が家の医学書をご覧になりませんか?もし気になるものがあればどうぞお持ちください」

「え、そんな……」



 祈るようにぎゅっと手を握る。ジルベルトは少し迷う素振りだったが、燃えた本を見下し、顔を上げた。



「それでは、お言葉に甘えさせていただいてもよろしいですか?」

「はい!」



 コーディリアのあげた、嬉しそうな声にジルベルトは驚いたあと、穏やかに微笑んだ。一方のコーディリアは思わず大きな声が出た自分に驚き顔を赤くする。



 セバスチャンはそんな様子の2人に、穏やかな眼差しをおくっていた。















 ジルベルトは大きな屋敷を眩しそうに見上げた。



「立派なお屋敷ですね。こんな広いお屋敷に入れていただくのは初めてですが、こんなに広いんですね」

「どうなんでしょう。私はあまり他の貴族の方のお屋敷を訪ねたことがないのであまりよくわからないのですが、私の叔父のお屋敷はもっと広かったと思います」

「そうなんですか?比べるのもおこがましいですが、私の実家が8つくらい入りそうですよ」



ジルベルトは目を輝かせていた。これまでの落ち着いた様子とは違う、子供のような表情に嬉しくなり、コーディリアは頬を緩める。そして彼は案内されるまま屋敷の中に入った。



「どうぞ。なんのおもてなしもできませんが」

「いえ、おかまいなく。あの、お父上は不在でしょうか?一言だけでも挨拶しなければならないかと……」

「父は……」



 コーディリアはゆるりと唇に笑みを刻み、振り返った。



「父は不在です。お気遣いありがとうございます」

「そうですか」




 よくよく考えてみれば、貴族令嬢が質屋にいたところを見られている。そしてコーディリアの父の不在となると、おそらくジルベルトは多くの疑問を持っているだろう。

 王都にいる貴族達はともかく、コーディリアが伯爵代理を務めていることはまだアーレンシャールに公表していない。公表せずともいずれ広まるし、あまり公にしたくないという理由もあった。

 残念ながら、時間の問題ではあるけれど。



 いろんな疑問があると思うのに、ジルベルトはその先をなにも尋ねなかった。



「こちらでございます」




 祖父の書斎はセバスチャンが毎日欠かさず整えている。セバスチャンは祖父の代から仕えてくれている執事で、祖父のことを本当に慕っていたようだ。彼が旦那様、と呼ぶときはコーディリアの祖父を指す。彼女の父のことは旦那様とは一切呼ばなかった。



 長年仕えている執事が開けた扉の部屋の中は、皮張りのソファーや、磨かれた黒檀の机、そして窓以外の壁の前には本が隙間なく詰め込まれたたくさんの本棚が置かれていた。



「これは……すごいですね」



 入ってもいいですか、と一言断り、ジルベルトは足を踏み入れる。その瞬間感じる、この部屋の神聖さのようなものに、ジルベルトは感心した。



「こんなにたくさん。医学書もこんなにそろっているのは初めて見ました」

「ソレイユ医術学校の開校を許可されたのは、旦那様でしたからな」

「そうなの?」

「はい」



 セバスチャンは懐かしそうに見上げる。



「先代の校長が訪ねていらして、旦那様にご相談に来られたんです。医学の考え方、学問としての価値、技術についてなど、様々なことを熱心に話されて。それで旦那様は医術学校の開校を許可されたのです。同時に興味も持たれてまして、その際集められた本がここに収められております」

「そうですか」



 ジルベルトは嬉しそうに、本棚に並ぶ本を眺めた。



「どうぞ手に取って、お気に召したものがあればお持ちください」

「しかし、これはご祖父様の大事な本なのでは」

「私は、申し訳ないことに医術の心得はありませんし、きっとちゃんと使っていただける方の手元にあったほうがいいと思うんです。確かに祖父の大事な本ですが、それを持つのがあなたなら安心です」

「そうですか。では、大切に使わせていただきます」



 ジルベルトは軽く頭を下げ、本棚と向き合った。



「お嬢様。私は少し、下がらせていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ」



 セバスチャンを見送り、コーディリアは飽きもせず、じっとジルベルトの背中を眺め、ときどき言葉を交わした。



 一通りジルベルトが本を見繕ったとき、まるでこちらの様子を窺っていたようなタイミングでセバスチャンが声をかけた。

 1階の応接間に案内され、そこの机にはお茶の支度がしてある。コーディリアがふとセバスチャンに視線を向けると、彼は気づかれないようにウィンクして返した。

 ジルベルトをもてなせるような用意はないはずだったが、どこから出したのかセバスチャンは魔法のようにクッキーと紅茶を用意していたようだ。



「どうぞ、おくつろぎください」

「あ、はい。ありがとうございます」



 コーディリアの向かいに腰を下ろしたジルベルトは、上着を脇に置いた。それからしばらく、2人はみつめあい、コーディリアがなにを話したらいいかわからなくて俯くと、ジルベルトがいただきますといって、紅茶に口をつけた。



「あ、あの」

「はい」

「本が燃えてしまったということは、あの燃えたところに住んでらっしゃったのですか?」

「はい。あそこに下宿していたんです。まさか火事が起こるとは思いませんでしたが」

「災難……でしたね。本も燃えてしまって……」

「そうですね」



 痛ましげに目を伏せるコーディリアとは違い、ジルベルトは落ち着いていた。



「下宿先には知り合いも多かったんですが、彼らも無事のようでしたし、彼らほど私の荷物も燃えたわけではありませんでした。燃えて惜しかったのは医学書くらいですが、こうしてもっと貴重な本をいただきましたから。むしろ私にとっては幸運だったかもしれません。不謹慎でしょうか」

「いえ、そんなことは」



 最後は彼が茶化して言ったことに気づき、コーディリアは頬を緩める。



「……お怪我は、大丈夫ですか?」

「はい。これでも医者を志している人間ですから。この程度の火傷ならすぐ治りますよ」

「なんとお詫びしたらいいか」

「そんなにお気になさらないでください。大丈夫です」



 コーディリアを庇ったときに負った火傷は、あの火事脱出後にすぐ手当された。

 あのとき、火事の現場には慰者が呼ばれていたのだ。慰者とは、医者とは違い、魔法によって人を癒す者を指す。しかし、彼は慰者の治療は断り、自分の手で治療していた。今更お詫びだと言って慰者を呼び、手当するのは(はばか)られる。

 コーディリアは話題を変えた。



「下宿先が燃えてしまわれたのなら、次の下宿先はどうなさるのですか?」

「ああ、下宿先のあてなら友人に聞こうと考えています。今日は……そうですね。どこかの宿に泊まろうかな、と」

「そう……ですか……」



 下宿先を紹介できればいいいが、そんなアテはコーディリアにはない。ちらりとセバスチャンをみれば、彼も首を横に振った。

 さすがに、そのあたりの繋がりはないようだ。



「……でしたら、そろそろお戻りにならないと、宿を探す時間がなくなってしまいますね」

「そうですね」



 応接間の窓からは、柔らかい夕日が差し込んでいた。

 もう少し話していたい気持ちはあったけれど、なによりジルベルトに迷惑になるようなことはしたくなかった。



「それでは、そろそろお暇させていただきます」

「はい」



 2人は立ち上がり、玄関へ向かう。

 扉の前で、コーディリアはジルベルトを見上げた。



「あ、あの……。よろしければ書斎の本にご用の際でも、またおいでください。ジルベルトさんなら、いつでも歓迎しますから」

「ありがとうございます」



 礼は言いつつもジルベルトの笑みは、もしかしたらもうこの屋敷には来ないのではないかと、そんな予感をさせた。

 セバスチャンは1枚の紙を彼に差し出す。



「この宿でこの紙をみせれば、もし満室でも融通してもらえると思います。よろしければお使いください」

「ありがとうございます。助かります。それでは……」



 宿屋の名の書かれた紙を受け取り、ジルベルトが扉を開けようとしたところで、呼び鈴が鳴った。



「誰か来たのかしら?」



 セバスチャンがコーディリアを下げて扉を開けようとしたとき、勝手に扉が開いた。



「どーもー!取り立て屋でぇっす!」

「っ!」



 中に乱暴に入ってきたのは、2日前にこの屋敷に差押えに来た男だった。あのときと同じように、彼の後ろにはガラの悪そうな男達が控えている。



「どんなご用でしょうか」

「いやー、こちらがお宅のお父上にお貸ししたお金はきっちりいただいたんですがね、利息分を受け取るのを忘れとったんですわ」

「そのようなお話、先日はなにも仰っていなかったではありませんか」



 急に目の前に現れた嵐に、コーディリアは毅然と立ち向かう。



「それはこちらの落ち度でしたんでね、少しこちらも割引いたしまして、そのお支払いただく利息分がこれになるんですわ」



 ルドヴィックが差し出した紙に書かれていたのは、前回の320万シギンを超える額だった。



「……」

「耳を揃えてきっちりお支払いいただけますよね?伯爵位を継がれた今の(・・)あなたなら、それくらい払えるでしょう。ねぇ?」



 コーディリアは唇を噛みしめる。

 舐められている。

 こんな無茶苦茶な要求を、普通の貴族なら突き返すことができるだろう。だが、コーディリアには知識が圧倒的に足りない。無茶苦茶ということはわかっても、押しの強い彼らを押し返すだけの反論をする言葉を持っていない。

 なんとかしなければ、なんとかしなければ、と頭の中は急くのに、なにも考えられない。真っ白なままだ。



「この紙によると借りた金額は320万シギンですよね」



 こんな姿を相手にみせたくないのに、悔しさで体が震えるコーディリアを背に庇い、ジルベルトは前に進み出た。



「なんすかあんた?」

「誰でもいいでしょう。320万シギンを借りた利息がこの額というのは、どう考えてもおかしいですね。この国の利息率は国法において定められている。借用期間から逆算しても、この利息率は国法の定める利息率を大きく逸脱している。つまり、騎士団の取り締まり対象ということだ……」

「ふん。それがどうしたっていうんですかい?こちとら、その金利で借りても構わないっていう、契約書にサインをいただいているんでね」

「たとえその契約書があったとしても、あなた達が取締り対象であることは変わりないでしょう。もちろんこちらは契約書がある限り、そちらに支払わなければならない。だが、あなた達は営業していること自体が違法だ。こちらが払う前に、あなた方が捕まると思うんですが……どうでしょうね?」



 ジルベルトは口元に手を当てる。その表情は、これまで通り落ち着いていた。



「これは騎士団に相談しても問題ない案件です。特に、伯爵(・・)である彼女からの相談ならすぐに動いてくれるでしょう。この契約書通り実行して騎士団にこの話を耳にいれることと、なかったことにして沈黙すること。果たして、あなた方にとってどちらが得でしょうね?」



 ルドヴィックの視線は上を向いていた。いろんなことを考えたのだろう。



「なるほど。どうやらこの契約書は手違いだったようです。お邪魔しやした」



 そう言うとあっという間の出来事で、彼らは引き上げていった。



「大丈夫でしたか?」

「あ、あの……」

「申し訳ありません。しばらくお嬢様をお頼みしてもいいですか?」



 セバスチャンは厳しい顔で、扉の先を睨みつけていた。



「あ、はい」



 ジルベルトが頷くと、セバスチャンは早足で出ていく。

 コーディリアは呆然としていて、そして一気に力が抜けて体が傾ぐ。それを受け止めたジルベルトは、優しく背をさすりながら応接間に戻った。



「座れますか?」

「あ、はい」

「うまくは淹れられないんですが、どうぞ」

「あり……がとうございます」



 ジルベルトから紅茶を受けとったが、彼女は口をつけない。



「お見苦しいところをお見せしてすみませんでした」

「いえ」

「また、助けていただいて……」

「微力ですが」



 コーディリアは首を横に振る。



「ジルベルトさんがいなかったら、どうなっていたか」

「……たぶん私がでしゃばらなくても、セバスチャンさんがなんとかなさったと思いますよ」



 コーディリアはジルベルトを見上げる。



「随分と、怒っていらしたようですしね」

「そう……ですか」



 日はとうに暮れて、蝋燭に火を灯す。



「すっかり遅くなってしまいましたね」

「そうですね」

「あの……我が家の騒動に巻き込んでしまって申し訳ありません」

「とんでもないです。たぶん、あなたはなにも悪いことはされていないんでしょう。今日は、災難が続いただけですよ」

「……。よかったら、今日はここにお泊り下さい」

「え?」



 そこで、ジルベルトは驚きを浮かべる。



「あの、もう遅いですし。あ、夕食はご用意します。ですからあの、あの……」

「……そうですね。セバスチャンさんも戻られないようですし、あなた1人では心細いでしょう」



 コーディリアは今日会ったばかりの男性に甘えてばかりで恐縮していたが、彼とまだ一緒にいられることを、嫌がってはいなかった。




















かなり長くなりました。その割に話が進まず申し訳ないです。


これ、大丈夫かな。2人きりなんだけど。結構思ったよりコーディリアが積極的かも。

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