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あれ、予定していた話と違うぞ。
仮にとはいえ、領主が質屋に行く姿をみられるわけにはいかない。普段の引きこもり生活のおかげでもとからあまり姿が知られてはいないが、コーディリアはいつもと違う髪型に髪を結い、化粧もいつもとは少し変えた。
そんな事情では馬車でいくなどとんでもなく、歩いていくことにする。いつもなら主人の後ろに控える執事も彼女の隣を歩き、また服装を領民の中でも違和感のないものにかえていた。
茶色いベストを着てハンチング帽を被ったセバスチャンは、領民を装っていてもいつも通り背筋がピンと伸びているので、お洒落なおじいさんといった印象だ。
「まるでお散歩に来ているみたいね、おじいちゃん」
「そうだな、ディリー」
設定は祖父と孫の散歩といったところで歩く。呼び方はおじいちゃんと、コーディリアの愛称であるディリーだ。少し緊張気味のコーディリアとは違い、セバスチャンは難なく祖父役をこなしている。
いつも馬車から見ていた風景とは違う、実際に歩くアーレンシャールにコーディリアは目を輝かせた。
不慣れな場所であるから迂闊なことはできないと気を引き締めながらも、きちんと整った石畳、その両側に並ぶ露店市、石でできた家や店で、服や食べ物など様々なものを売る専門店。
少し離れた場所にあるのは、西にリュミエール美術学校と、東にソレイユ医術学校があった。
アーレンシャールは少しマイナーな学問の学び舎が多く、美術と医術はその代表と呼べるものだった。
もちろん、この2校ほどの規模ではないにしても、一般の教育機関にあたる普通の魔法学校やパブリックスクールなどもある。
アーレンシャールは広い。特に領主は町とはかなり離れた場所に住んでいることが普通なので、最寄りの町まで歩いて10分ほどで辿りつけるストックウィルの屋敷は珍しいのだが、これからは歩いて来ることが多くなるだろうこの距離を、コーディリアはありがたく思った。
そういえば、リュミエール美術学校やソレイユ医術学校も近い。
最寄りの町であるこのヴェントは、おそらく多くの学生が歩いているのだろう。
「ディリー、疲れてないか?」
「大丈夫よ」
「そうか。ああ、用があるのはこの店だよ」
普段出歩かないコーディリアを気遣うセバスチャンに、彼女は笑って返した。彼が示した店には、確かに質屋と書いてある。そのとき、質屋の道の先から大声が聞こえた。
「どうしたのかしら」
「どうやら、喧嘩のようですね」
遠目でみると若い男が2人、取っ組み合いの喧嘩をしているようだった。
「だ、大丈夫かしら。怪我したりとか……」
ハラハラと心配そうに喧嘩をみつめるコーディリアに、セバスチャンはため息をついた。
「ディリー。私が様子をみてくるよ」
「え?」
「気になるんだろう?だから、ここでじっと待っているんだ。決してどこかへ行ってはいけないからね」
セバスチャンは喧嘩を納めに、ドレスを包んだ風呂敷を彼女に渡して行った。
セバスチャンが行けば安心だと、コーディリアはほっと息をつく。荒事に関わるなんてと心配する気持ちもあるが、セバスチャンはああみえてとても強い。武芸を嗜んでいたと、昔聞いたことがある。彼の実力なら、穏便におさめてくれるだろう。
コーディリアはセバスチャンに言われたとおりに、そこから動かずじっと待っていた。そのとき、後ろの店からぬっと、歯のかけた男がコーディリアを覗き込んだ。
「なにかうちに用かい?お嬢さん」
「え、えーと。あなたはこのお店の方ですか?」
「そうだ」
「店の前でごめんなさい。このお店に用事があるのだけど、一緒に来てる人がいて、今その人を待っているんです」
「なんだ。んじゃ、先に品物を見せてもらうよ」
「え?」
「うちに用があるってことはなにか持ってきてるんだろう。鑑定するのに時間がかかることもあるんだ。あんたの待ち人が来るまでに、鑑定しとくってことさ」
「で、でも、ここで動かないでって言われてるので……」
「この店に用があるんだろ?外で待つのも中で待つのも一緒だ!さっさと寄越せ。俺だって暇じゃないんだ!」
「あ!」
男は戸惑うコーディリアの持っていた包みをひったくり、店の中に入ってしまう。コーディリアは仕方なく、この得体のしれない男にドレスを奪われるのも困ると、店の中に入った。
店の中に入ると、酒の臭いがした。
よくよくみれば、男が包みを解く作業をしている横で酒瓶が何本も転がっている。
本当に大丈夫なのかと不安になりつつも、セバスチャンの紹介だからと思い直して疑惑を抑え込んだ。
いくら変装して街に出たとしても、質屋でドレスを見せれば自分がただの町娘ではないと勘付かれてしまう。だから、それなりに信用のできる、良心的な質屋でなければいけないことはコーディリアもセバスチャンも知っていた。
だからこそ、コーディリアはセバスチャンに信用できる店に連れてきてもらったのだ。コーディリアは大丈夫だと、男の作業を見守る。
「こいつは……。ふぅん」
男は目をギラギラとさせて、ドレスを見ていく。
「なかなかいい品だ。生地も、飾りも。最近の雑な仕事した服とは違う、ちゃんと処理も縫製もされた奴だな。ほー」
顎を撫でながら、男はニタニタと笑った。
「そうさなぁ。これを質にいれるとは、ふーん。なかなか、落ちぶれたもんだねぇ」
コーディリアは鼻の奥がつんとするのをこらえた。落ちぶれたと言われて、悔しく思うほど自分は伯爵家を誇りになど思っていない。ずっと、責任を果たさない父親をみてきた。そして父の行動を、止めることもできなかった。
落ちぶれたのではない。自分が生まれたときから既に、落ちぶれていたのだと、コーディリアは思う。
立派な領主だったと言われる祖父には会ったこともない。
コーディリアにとって頼りになる男性といえば、セバスチャンなどの使用達しかいなかったのだ。
そして、彼らはストックウィル家に仕える者達だった。確かに幼いころから支えられてきた。けれど、あくまでコーディリアは彼らの主人だった。
コーディリアは守られるべき存在ではなく、彼ら使用達を守る立場だ。
絶対的に守ってくれる存在は母しかいなかったが、残念ながら母親は病弱で彼女にできることも少なかった。けれどその少ない中で、精一杯守ってもらっていたという自覚はある。
だから、こんなたった一言で傷ついている場合ではない。望んでいないとはいえ、仮にも伯爵位を王家から賜った者として、しっかりしなければと、コーディリアは目に力を込めた。
「いい品だというのなら、少しでも融通していただけるとありがたいのですが」
「ほう」
男は今度は無遠慮にコーディリアを上から下までジロジロと眺めた。そしてその腕がコーディリアの手首を掴み、引っ張った。
「んじゃ、ちょっと俺に付き合えや」
「え!?」
「融通してほしいんだろ?」
「ま、まってください!」
男がニヤニヤと引っ張り、コーディリアを店の奥に連れて行こうとする。それに抗っていたところに、ふっと引っ張られる力がなくなった。
「いたたたたたた!なにすんだ!」
男の痛がる声が聞こえて、コーディリアは目を開ける。すると、学生服を着た男性が男の腕をひねり、男は地面に座り込んでいた。
「なにしてるんですか。あなた確か息子さんに縁を切られて追い出されたはずでしょう?」
男を引きすえたままコーディリアに近づけないように押さえている青年が、コーディリアに顔を向けた。すっきりした顔立ちの、目元が優しい青年だった。
「大丈夫ですか?怪我とかは……」
「なんともありません。あ、あの、ありがとうございます……」
「いえ。……もしかしてこの店に来るのは初めてですか?」
青年が落ち着いた様子で尋ねる。コーディリアが頷くと、青年は苦笑した。
「それは災難でしたね。この人は先代の店主で、今は息子さんがこの店の主なんです。息子さんはしっかりした人で、気持ちよく融通してくれる人なんですが、先代はご存知の通り、酒癖と女癖が悪いようで……。息子さんから勘当されたはずなんですがね」
「む、息子さんから……」
「はい。普通は逆なんですけどね」
よかった。セバスチャンがその息子さんが店主だと思ってこの店に連れてきたのだとわかり、ほっとする。するとそのとき、ガラガラと店の扉が開いた。
扉を開けた男性は私たちを驚いた顔で見た後、青年に捕まる男をみて顔を怒らせる。
「また来やがったのか、このクソ親父いぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいい!」
鋭く飛ぶ男性の拳を避けて青年が男の手を放すと、綺麗に男の頬に拳がめり込んだ。
「うぶほっ!」
男は店の奥へ通じる扉まで吹っ飛ばされた。そして男性はこちらへ向き直り、ぴしっと頭を下げる。
「すみません!絶対親父が迷惑をかけましたよね!本当に申し訳ありませんでした!」
事情を聴くまでもなく、父親が迷惑をかけたのだと判断しそれを謝る店主に、コーディリアは手を振った。
「あ、いえ。この方のおかげで大丈夫でしたから」
「本当ですか!ありがとう、ジル君。親父の被害者を増やさずに済んだ!」
ジル君と呼ばれた青年は店主と親しげに話している。そしてふっと店主が振り返ると、そこには既に歯の抜けた先代店主はいなくなっていた。
「あ、あああああああああのクソ親父!また謝りもせず!」
とにかく落ち着いて、と2人で怒り狂うことと平謝りを交互にする店主をなだめ、それぞれこの店に来た目的を果たすことにした。
コーディリアのドレスに特になにも言及することなく、本来の店主はにこやかにお金を渡してくれる。
これだけあればやってみなければわからないけれど、切り詰めればとりあえず今月は生活できるかもしれない。
青年はかなりの量の本を持ってきていた。その割には、店主が渡す金額が少ないような気がする。
コーディリアの視線に気づいた青年は、苦笑した。人の金銭の受け渡しをじっとみるなんてはしたないと思われたかと、慌てて視線を逸らしたけれど、青年は気を悪くした風もなく教えてくれる。
「これは医学書なんです。僕たち医学生からすれば価値の高い本ですが、社会的にはそれほどでもありませんからね」
「医学生さんなのですか?」
「はい、ソレイユ医術学校に通っています」
「医術を学んでおられるんですね!」
「え、ええ……」
コーディリアの弾んだ声に、青年は少し驚いたようだった。そのとき、焦ったような馴染のある声がコーディリアを呼んだ。
「お嬢様!」
「ああ、よかった。中に入ってくれて」
コーディリアは駆け寄ってくるセバスチャンに笑顔を向けた。すぐに彼に先代店主について行ってしまったことへの事情と謝罪、そしてこの青年に助けてもらったことを伝えると、間髪入れずに店の現店主が何度も謝ったけれど、何事もなくてよかったと、セバスチャンは責めなかった。
「今日は店を午前中だけ閉めてまして、その間に親父が忍び込んだみたいで」
「ああ。いえその可能性も考慮して行動すべきでした。私にも責任があります。それにしても珍しいですな。午前中だけでも休むなんて」
「ああ、実は妻の出産が近いもんで。魔法屋のところまで行ってたんです」
「そういえば、もうすぐ十カ月でしたね。あらためておめでとうございます」
「いやいや、ありがとうございます」
詳しく話さなくても事情を察したセバスチャンは、どうやらこの店の店主とそれなりの付き合いをしていたようだ。
「申し訳ありません、お嬢様。事前に注意点を伝えておかなかった私の落ち度です」
「なにごともなかったからいいのよ」
「あなたも、助けていただいて助かりました。いずれお礼をさせていただきたいので、お名前を教えてはいただけないでしょうか」
「いえ、大したことはしていません。お気になさらずに」
そう言って青年は頭を下げると店を出て行ってしまった。コーディリアはなぜかそれを惜しく思い、伸ばしかけた手を引っ込めた。
優しい風貌をした青年だった。
たぶんもう会うことはないだろうと思うと、なぜか胸が重く感じて不思議に思う。
「それではお嬢様、帰りましょうか」
「ええ。……あの」
「はい、なんでしょうか」
「ご出産が近いそうで。おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
コーディリアは店主に頭を下げ、セバスチャンと共に店を出た。
店を出るとやっぱり青年はおらず、俯く。
「お嬢様?」
「いえ、なんでもないわ。帰りましょう」
そう言って何歩か足を踏み出したとき、視界の端が赤くなった。そちらをみると、火の粉が舞いあがっている様子がみえる。
「っ!」
「お嬢様!お戻りください!」
コーディリアはその火がある方に走った。人々の悲鳴が聞こえる。
人だかりができている場所へ辿り着くと、1つの建物が燃え上がっていた。不思議なことに、隣に立つ建物には燃え移らず、その建物だけが燃えている。この町の青年団が水を必死にかけているが、焼け石に水だった。消防も担当している魔法部隊もまだ到着していないようだ。
ふと視線を下げると、先ほどの青年が燃える建物を見上げ、そしてその燃え盛る炎の中に駆けだした。
「ダメ!」
どこにそんな力があったのか不思議なくらい、人混みを押しのけコーディリアは衝動のままに青年を追いかける。
「あ、ダメだよ!」
青年団の人がコーディリアを止めようとして伸ばした手を器用に避け、コーディリアはその建物に駆け込んだ。その瞬間、建物内の炎がなぜか少し弱まったように感じる。
1階にはどこにも青年がおらす、コーディリアは階段を駆け上がった。
2階に辿り着いたその瞬間、口元になにかを押し当てられてコーディリアは驚き暴れる。
「っ!んぅー!んー!」
「どうしてここにいるんですか!」
それは先ほどの青年の声で、押し当てられたのはハンカチだと気づいた。そういえば、煙を吸ってはいけないのだと、どこかで聞いた気がする。
コーディリアは一気に冷静になった。そのまま周囲を見渡すと、2階にある3部屋の内の1部屋の床に、赤い魔法陣が輝きを放っている。それをみた瞬間、コーディリアはするりと青年の腕の中から抜け出し、魔法陣に近づく。それはほとんど無意識の行動だった。
彼女がその魔法陣に触れた瞬間、火が一気に弱まった。窓から冷たい空気が熱気で熱くなった頬を撫でるほどに鎮火する。
青年が呆然とその様子を見守っていると、炭化した天井の梁が突如崩れ、コーディリアの頭上に振りかかった。
「いやっ!」
コーディリアはぎゅっと目をつむったが、なにも衝撃が来なくて恐る恐る目を開けた。するとそこには、左手首を押さえた青年が傍に立ち、焦げた梁は青年の隣に落ちていた。
「大丈夫ですか!」
「このくらい、なんともないですよ。それより、あなたは大丈夫ですか?」
「私は……なんとも……」
落ちてきた梁を左腕で受け止め、コーディリアを庇った青年の左手首は火傷で痛々しい水ぶくれができていた。
「とにかく、早くここを出ましょう」
「はい……」
コーディリアはおろおろしながら、その建物の階段を下りたのだった。