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弧を描く階段。少しくたびれているけれど、長く丁寧に手入れされた絨毯。カチコチと鳴る柱時計。それらがある広い玄関。
そこでコーディリアは、長年この屋敷に勤めてくれたメイド頭の手を握った。彼女の足元には、くたびれた鞄が1つだけ寄り添っている。
「お嬢様……」
「私が幼い頃から、長く勤めてくれたわね。とても感謝しているわ。それに報いることができなくてごめんなさい。私がもっとしっかりしていれば……」
「いいえいいえ!ここにお勤めできたこと、奥様に、お嬢様にお仕えできたこと、誇りに思っております!むしろ、このストックウィル家のためになにもできなかったことが悔しくて……。それに決して、お嬢様のせいではありませんわ」
「ありがとう、マリラ」
コーディリアは微笑んで、マリラを見送る。
「どうか、お元気で」
「お嬢様も、お体を大事になさってください!どうかどうか、ご無理をなさらずに」
「わかったわ」
コーディリアは真剣に頷いたが、マリラはまだ心配そうな顔をしていた。彼女が幼い頃から世話をしてきたマリラは、コーディリアがまじめで無理をしやすいことを知っていたからだ。
それになにより、この屋敷に残す彼女の置かれた状況は、どう考えてもコーディリアが無理をしなければならない状況なのはわかりきっていた。せめてと、マリラはコーディリアの後ろに控える執事をみつめる。執事はその視線にしっかりと頷き、マリラは何度も振り返りながら、屋敷を出て行った。
彼女の姿がみえなくなったあと、パタンと扉が閉まる。コーディリアはそこからすぐに動くことはせず、扉をみつめつづける。
「とうとう、私とあなたの二人きりになってしまったわね、セバスチャン」
「お嬢様……」
コーディリアは深く深呼吸し、背筋を伸ばした。
「さあ、もうすぐいらっしゃるわ。お迎えしましょう?」
「かしこまりました」
それからしばらくして、ストックウィル家の扉が叩かれる。セバスチャンがその扉を開けた瞬間、数人の男達がなだれ込んできた。
「どうもー、取り立て屋でぇーす!」
「……」
粗野な見た目の男達の先頭に立つ男は、逆に小柄でひょろっとしていた。コーディリアは屋敷の中で一番地味なドレスを着て彼を迎える。
「はじめまして。現在当主が不在ですので、私が代理を務めております、コーディリアと申します。この度は、我が当主がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「こりゃどうもご丁寧に。オレはルドヴィックと申しやす。いやー、これも商売ですからねー。きっちり、お嬢様が払ってくれれば問題ないわけですよ」
「申し訳ございません。今の私にはお支払する権限がございませんので、どうぞ、屋敷の中をご覧になってください」
「んじゃ、そうさせてもらいますよ」
ルドヴィックはニヤニヤと笑みを浮かべて、後ろに控える男達に指示を飛ばす。彼らは遠慮なく屋敷の中に散らばり、売れそうなものには容赦なく差押えの札を貼っていった。
コーディリアはそれを、唇を噛みしめてみつめる。この世界に屋敷の中で靴を脱ぐ文化はないけれど、土や泥が絨毯を汚していく姿はまるで家の中を荒らされているようで、良い気分ではない。
けれど、これはまぎれもない現実。目をそむけてはいけないと、力を込める。
彼らは一通り仕事を終えると、再びコーディリアの前に立った。
「そんじゃ、一週間後にまた伺いますんで。楽しみにしていますよ、コーディリア・ストックウィル女伯爵?」
「お疲れ様でした」
頭を下げて彼らを見送り、コーディリアはほっと息をついた。
「ご立派でございました。お嬢様」
「あなたがいてくれたおかげよ。きっと1人だったら、立っていられなかったわ」
彼女の力ない笑みに、セバスチャンは苦い思いを顔に出さず、微笑みを浮かべる。
「さあ、お疲れでしょう。今日はもう、部屋にお戻りください。明日は大事が控えていますから」
「ええ、そうね」
コーディリアは頷き、自室に戻った。
差押えの札の貼られたベッドに倒れ込み、彼女は振り払っても考えてしまう、これまでと、これからのことを思う。
2か月前、突如コーディリアの父が姿を消した。彼はもともと困った人だったが、その肩書は本人に見合わぬものだった。
コーディリアが生まれた家はストックウィル伯爵家。つまり、フィンフォード国の王家に認められた、この屋敷の立つアーレンシャール地方を治める貴族だった。
ところが突然彼が姿を消し、そしてその数日後に屋敷に届いたのは督促状を飛び越えた、借金の催告書だった。
その借金の額は320万シギン。
この額があれば農民はそれなりに裕福な暮らしができるし、子供を初等科から中等科まで学校に通わせることができる金額。
それを父が借りたという。
催告書をみるまで、この屋敷の誰もが借金があるなんて知らなかった。慌ててお金を用意しようにも、我が家の資産のほとんどはアーレンシャールの経営費。ストックウィル家の当主にしか動かせない。そして借金をしているぐらいだ。確認してみればいつの間にかストックウィル家が自由に使える固有の資産は空っぽになっていた。
質に出そうと宝石類を探してみれば、普段身に着ける数少ない宝飾品以外はすべてなくなっている。コーディリア達は間違いなく父が持ち出したのだと結論を出した。
領地経営費から一時的に返済にあてることも考えたが、その移動は当主しかできないことになっている。当主自身から代理の使命が行われていない場合は、血縁者へ自動的に権限が移る。当主不在の間代理を務められるのは、ストックウィル家の一人娘であるコーディリアしかいなかった。
それでも、法的、公的手段の行使をするには、王家からコーディリアがストックウィル家当主の代理であると承認してもらう必要があり、またその承認も当主が当主としての役割を果たせないと認められること、行方不明の場合は、所在がわからなくなった2か月後であることが条件であり、明日がその日だった。
つまり、明日コーディリアは16歳という若年であり、経営など学んでいない貴族令嬢でありながら、ストックウィル女伯爵|(代理)になるということ。
催告書に書かれていた返済期限は不幸にも今日だった。そのためお金を用意できず、取り立て屋がこの屋敷へ差押えに来てしまった。しかし、明日になれば当主の権限を使えるようになる。
一時的に返済は完了するだろう。その分、不足する経営費をそちらにまわす算段をつけなければならないが、それはまた明日考えようと、結論付ける。
「お母様……」
彼女の母は2年前に亡くなった。血縁者は父だけだった。叔父もいるが、彼は違う土地の領主をしているし、コーディリアは叔父をあまり好いていない。
親しい使用人たちは、お金の捻出のために、執事のセバスチャン以外は暇を出すことになった。どのみち彼らにお給料を払う余裕はない。
誰も頼る人のいない状況で、伯爵という考えてもいなかった役目を背負うことになった。コーディリア。
布団をぎゅっと握りしめて、ざわざわとする心を抑え込む。
哀れな少女、コーディリア。しかし、彼女は普通の貴族のお嬢様とは違っていた。それはなにかというと……。
「はぁ。せっかく前世の記憶があるのに……。あなただったらどうする?カナ……」
そう、彼女には前世の記憶があり、彼女は転生者だったのです。
なんか、まっとうな恋愛ものかきたかった。でもなんでこう、ひねくれた話になるんだろう。