Act.1
初雪から二日後、紫織の身体は、ようやく学校へ行けるほどにまで回復した。
「良くなったからって、無理したりしちゃダメだからね?」
家を出るまで、母親に散々釘を刺された。
「言われなくたって大丈夫だよ」
紫織は深い溜め息を吐くと、「行って来ます」と言って家を出た。
外は連日降り続いた雪で、白銀色に覆われている。
今日は久々に空から陽光が降り注ぎ、辺りの雪を眩いばかりに照らしていた。
(でもやっぱ、寒いのには変わりないな)
紫織は凍て付く空気に顔をしかめながら、一歩一歩、雪を踏み締める。
そのたびに、足元からは、ギュッギュッと小気味良い音が鳴り響いた。
数歩歩くと、高沢家の前に差しかかる。
紫織は無意識にその場に立ち止まった。
すると、まるでそれを見計らったかのように、タイミング良く玄関が開いた。
(もしかして、朋也……?)
紫織は即座に逃げてしまいたくなったが、それも不自然な気がして何とか思い留まった。
そこから人が出て来るのを、固唾を飲んでジッと見つめる。
「あれ? 紫織」
玄関を開けて外に出るなり、紫織の名を口にしたのは朋也ではなかった。
だが、それでも気まずさに変わりはない。
「おはよう」
ぼんやりと立ち尽くす紫織に、宏樹はにこやかに挨拶してくる。
紫織は、そこでやっと我に返った。
「あ、おはよう!」
慌てて挨拶をすると、宏樹は、いつもの如く穏やかな表情を浮かべながら、「どうした?」と言ってきた。
「紫織、元気がないようだけど? あ、もしかして、まだ風邪良くなってなかったか?」
宏樹の言葉に紫織は驚いた。
何故、自分が風邪を引いたことを知っているのか、と。
しかし、よくよく考えてみると、朋也か母親辺りから話を聴いたのかもしれない。
そう考えると納得がいく。
「ううん、風邪はだいぶ良くなったよ」
紫織は追及することなく、ごく自然に答えていた。
宏樹はそれを聴くと、「そうか」と安堵したように優しい眼差しを向けてきた。
「けど、あんまり無理するなよ? 油断すると、風邪はすぐにぶり返してしまうからな」
「うん、ありがと。無理はしないから大丈夫。それにどのみち私は寒いのが苦手だし、ダメだと思ったらすぐにあったかい場所に避難するよ」
「あはは……! そういや、紫織は昔から冬がダメだったもんな」
周りの寒さも吹き飛ばす勢いで笑う宏樹を、紫織は恨めしく思いながら上目遣いで睨む。
もちろん、先に寒いのが苦手だと言い出したのは、誰でもない紫織本人なのであるが。
(けど、海に行った時もからかわれたし)
そんなことを考えていたら、宏樹は声を上げて笑うのをやめ、けれども口元を綻ばせながら、紫織の頭に手を載せてきた。
「何度も言うけど、ほんとに無理は禁物だぞ?」
そう言いながら、宏樹は少し乱暴に頭を撫でた。
やっぱり子供扱いされているらしい。
そう思うと、紫織の不満はさらに増大する。
「――私、もうちっちゃくないんだよ?」
つい、口を突いてしまった。
紫織はハッとしたが、一度出てしまった言葉を飲み込めるわけでもないので、ギリギリのところで平静を装った。
宏樹の手は止まっている。
少しばかり、紫織を覗うように見つめていたが、やがて「そうだな」と手を下ろした。
「紫織だって、いつまでもガキのまんまじゃないよな。朋也も、いつの間にか成長しちまってるし……。はは……、俺は置いてけぼりか……」
宏樹はまるで、自らを嘲るように言った。
これは紫織も予想外だった。
だが、海に行ったあの日の宏樹の様子を改めて想い出すと、この投げやりにも思える台詞は妙に頷ける。
もちろん、宏樹に詳しいことなど訊けないし、訊いたとしても答えてくれないのは分かっている。
「――そろそろ、学校行くね」
そう告げるのが精いっぱいだった。
「あ、ああ。そうだな」
宏樹はいつものように笑顔を繕ってきた。
「それじゃ、気を付けて行けよ? 路面、結構凍ってるからな」
「うん、ありがと。気を付けるね」
紫織も笑みを返すと、宏樹に背を向けて慎重に歩き出した。
しばらく歩いてから、紫織は振り返ろうとした。
しかし、身体はそれを拒否している。
「宏樹君……」
紫織は囁くように名前を口にしてみる。
宏樹への想いを、改めて確かめるかのように。




