鬼と出会った日
きゃーきゃー、と楽しそうな声につられて公園に足を踏み入れた。鬼のお面をつけた人が子供達に追いかけ回されている。
小さな子供達の小さな手には豆の入った袋が握り締められているのを見て、やっと今日が何の日なのかに気づける私はある意味鈍いのかもしれない。
子供達が楽しそうに鬼役の人を追いかけているのを見ると、何だか和むな。なんて考えながらブランコに腰を下ろす。
キィ、と錆び付いた金属の音が響く。別段ブランコを漕ぐ必要もなく、ベンチ感覚で座りぼんやりと様子を見ていると袖が引かれた。
視線をそちらは落とせば私を見上げる二つの瞳。クリクリとした小動物を思わす瞳を見て、一瞬だけ肩が跳ねる。
こんな子供相手に何を驚いているのか。気配がしなかったのか、単純に私が気付いていなかったのか。鈍いと申告するようで不快だが、おそらく後者だろうな。
「どうしたの?」
なるべく驚きを隠し、優しい声を出すもその子は私から目を離さない。ガラス玉みたいに綺麗な目だった。
子供故かは分からないが中性的な顔立ちをしていて、髪も中途半端な長さ。性別が分からない。やはり子供だと体の成長も、男女の差がないから分かりにくいのか。
そんなことを考えていると目の前にがさり、と豆の入った袋が差し出される。あまり減っていないように見えるが、豆まきが好きではないのだろうか。
「あげる」
ぽつん、と落とされた言葉。その子は子供らしくない強引さで、私に豆の入った袋を手渡してまた子供達の輪の中に戻って行く。
貰っても困るのだけれど、と手の中に残された袋を見下ろす。豆まきなんてもう何年もしていない。あまりこういう行事に興味もないからだろうけれど。
「嬢ちゃんも参加するのか?」
背後から手が伸びてきて、袋の中の豆を掴んで持っていく。今度は誰だ。ブランコから立ち上がり振り返れば、着流しを着た男が立っていた。
肩に羽織をかけているだけなので正直見ていて寒い。まだ二月なのに、何でそんなに軽装なのか。私の訝しげな視線すらも受け流す男は、手の平で豆を転がす。
「んで、やらんの?豆まき」
くしゃり、豆でそんな音が出せるのかと聞きたくなるがそんな音を立てて、男は指先で豆の、落花生の殻を割った。
「やりませんよ」
溜息混じりにそう言えば、男は驚いたように目を丸めてからふーん、なんて意味ありげに目を細め近付いてくる。不審者にしか見えない。
艶のある黒髪に白いメッシュを入れていて、着流しで、耳には数個のピアス、羽織、金色の瞳、下駄。正直和が好きなのか、現代的オシャレが好きなのか分からない。
「鬼が嫌いなの?」
ん?と小首を傾げながら顔を覗き込んでくる。ふわりと香るのは香水だろうか。金色の瞳が私の奥深くを射抜くようで、何だか居心地が悪い。
鬼が嫌いなのか、なんて私くらいの年に聞く方がおかしい。鬼なんてのは結局架空の存在。怖がったって無意味だろう。
ポリポリと音を立てて豆を咀嚼する男。見詰めれば見詰めるほど、顔が整っていることを見せつけてくるので、正直イラッとする。
「嬢ちゃんは鬼とか信じられないかぁ」
バンバン、と気安く肩に触れて、遠慮のない力で叩かれる。痛みで体が前のめりになるので止めて欲しい。身をよじれば男の手を止まり、同時に笑い声もピタリと止む。
視界いっぱいの金色。強く香るのは何の匂いだろうか。歪んだ世界。弧を描いた男の唇。遠ざかったのは周囲の音と私の意識。
***
重い瞼を持ち上げる。外の光が部屋に差し込んでいて眩しい。昨日の夜はカーテンを閉めていなかっただろうか。
そんなことを考えながら体を起こすと、いつものパジャマではない薄っぺらい衣擦れの音。部屋に差し込む光は白ではなく、橙色だ。朝じゃない、夕方。
「嬢ちゃん、よく寝てたねぇ」
くしゃり、ポリポリ、気を失う前にも聞いた音。いつ部屋に入ってきたのか、男が笑顔で落花生を食していた。
羽織は掛けておらず、下駄も履いていない。だが一番変わったのは私の服装だ。何故私まで着物を着ているのか。
男は私の疑問をわかっているのか何なのか、似合う似合うと褒めてくる。そういうのは要らない。
「ここはどこ。誘拐は立派な犯罪ですよ」
ガッ、と手を伸ばして男の胸倉を掴む。布団の上に豆の入った袋が落ちて、中からいくつかこぼれ落ちた。勿体無い、なんて声が聞こえる。
わずかに細められた瞳に見つめられ、何故か責められているような気分になった。悪いことをして親に怒られるような、そんな子供みたいな感じ。
「誘拐には近いかもしれないけれど。これは立派な神隠しさ」
男は両手を挙げてそう言った。私の手からは力が抜けて、着流しから離れる。神隠し。忽然と人が消える現象のことを指すはずだ。
そう、何の痕跡も残さずに。消えて、居なくなる。
「嬢ちゃんみたいな子は、一番非科学的なことを信じられないんじゃないかと思って。当たった?」
楽しそうに笑う男の顔面に一発拳を叩き込みたかった。話を聞くためには、堪えなくてはいけない。爪が食い込むほど強く自分の手を握る。
「鬼はいるよ。だって俺がそうだもん」
語尾に星が付きそうな勢いで言われた。にっこり、そんな笑顔を見せられてどうしろと。
見てて、そう言った男の髪は白いメッシュの部分からゆっくり、ゆっくりと髪全体を白くしていく。
額から覗く物体。伸びた爪。薄く開いた口からは獣のような犬歯が見えた。
異形というのが正しいのか。私とは違う姿をした男は笑う。着流しの袖を大きく揺らし、その両手を広げる。
「ほら、これが君の信じられない鬼だよ」
世界が暗転した。グラグラする視界では、目の前のことが上手く掴めない。ショート仕掛けの頭は上手く働いてくれない。
二月三日、節分。鬼を祓う日だというのに、私は鬼と出会い、神隠しにあった。