060 えっちなうぃっち
木々が鬱蒼と生い茂る森に足を踏み入れ、視野の隅にあるマップを確認する。
さきほどの滝があった場所とは違い、ここにはほとんど光が差し込まない。
『明』と『暗』。
まさしく今の私の心境を表しているようだ。
初めて《TSO》にログインしたときは、これから待ち構えている冒険に身も心も躍らせた。
しかしログアウト不可能という事件が起こり、ハルくんを始めとするほぼ全てのプレイヤーがこの世界に取り残された。
何故、私だけがログアウトできたのか、未だにその謎は残されたままだ。
だけどまた、私はここに帰ってきた。
神様は一体、私に何をさせたいのだろう。
『ハルくんを救いたい』という私の気持ちを汲んでくれたことには感謝するが、それだったら皆を解放して純粋にゲームを楽しませてもらえないだろうか。
「……なんて言ったって、どうせ神様なんかいないんだろうけど」
もしも神様がいたら、こんなに残酷なことはしないだろう。
私にとっての四日が、ハルくんにとっては四年なのだから。
きっともう、私のことなど忘れているに決まっている。
何も言わずに目の前から去ってしまった私が、どの面を下げて彼に会いに行けば良いというのか。
――四年というのは、それだけ重く、長い年月なのだ。
『オーッホッホッホ!』
心が押しつぶされそうになっている私の耳に、森の奥深くから声が響いてきた。
ハッと顔を上げた私はシルバーナイフを抜き、周囲を警戒する。
『ようこそ、わたしの庭へ! ここを通りたくば、通行料を払いなさい! そこのフリフリスカートのニンゲンのメスよ!』
声は徐々に近づき、私の頭上で止まった。
そこに視線を向け、相手の情報を読み取るように目を大きく見開く。
暗がりでよく見えないが、私の背よりも二回りほど小さな影が太い木の枝の上に立っているのが分かる。
その影の頭上に表示された情報。そこには以下のような記載があった。
【NAME】うぃっち【HP】580/580【性格】えっち
「…………」
『うわ、貴女いま、うぃっちなのにえっちって何!? ギャグ!? って思ったでしょう! わたしには分かるんだから!』
そう叫んだ影は枝から飛び降り、私の目の前に着地した。
魔道士風の格好をした女モンスター。
胸の大きさを強調したいのか、わざわざ魔道着の胸元をはだけて見せている。
……どこかで、同じようなことがあった気がする。
確か初めてログインした直後にヅラを被ったモンスターの集団に襲われた後に……?
私はシルバーナイフを鞘に納め、彼女の脇を通り過ぎた。
『え? ちょ、ちょちょ待ちなさいっ! 無視!? え、マジあり得ないんだけど! 貴女、モンスターに遭遇してるのよ? ちゃんとマニュアル読んできた? 普通ここで戦闘シーンに突入するか、通行料を払って穏便に済むかのどちらかでしょう! 無視はないわー、アカンわー。今までどういう教育を受けてきたのかしら、この子……。よし! ここは初心者用モンスターとして設定されているこのわたしが、貴女にこの素晴らしき《TSO》の世界が何たるかをご教授してあげようじゃないの!』
私の後を追いながら、ペラペラと聞いてもいないことを喋り出すモンスター。
今はこういうのに構っている暇はない。
すでに私はある程度この世界のことを知っているのだから、こんな面倒臭そうなモンスターにご教授を賜る必要もない。
私は早足で森を駆け抜ける。
『あーもう、止まって! 止まりなさいっつうの! 通行料はオマケしておくから、ちょっとでいいから、わたしの話を聞きなさいって!』
堪忍袋の緒が切れたのか、モンスターは私の肩を強く掴んだ。
その瞬間、彼女の表情が変化する。
『……え? なにこの筋肉……。え、ちょっと待って。モゾモゾ……。腕も、脇も、お腹も……細いのに筋肉がしっかりと付いてる……。あれ? 胸が無い? …………どゆこと?』
勝手に私の全身をまさぐっているモンスター。
私は深く溜息を吐き、ようやく足を止めて纏わりついている彼女をひっぺ剥がし、こう言った。
「ここは《TSO》の世界なんでしょう? 私は元々女だけど、この世界では男。この格好は私の趣味。以上」
それだけ答えて、再び彼女に背を向ける。
そしてウインドウを開き、所持金から2000Gを取り出して地面に置いた。
「通行料、払えば良いんでしょう? 忙しいから、もう付いて来ないで」
『……まさか、貴女……』
何故か、声を震わせているモンスター。
今度は一体何なんだ。
このイベントはモンスターを倒すか、通行料を払うかで終了するはずじゃなかったのか……?
『やっぱり、そう……! 【無魔法】のプレイヤー……! いま貴女……いや貴方に【魅了】を唱えたのに、まったく効果が表れない……!』
再び殺気を放ってきたモンスター。
……どういうことだろう?
通行料を払ったのに、何故か戦闘シーンに突入してしまった。
どこからともなく鳴り響くファンファーレ。
こうなってしまっては戦うしか方法がない。
私は再びシルバーナイフを抜く。
『わたしの家族、親せきの怨敵……! 妹の恨みをようやく晴らせるわ! この四年間は、決して無駄ではなかった!』
うぃっちが魔法を詠唱し始めた。
私には魔法が利かないと分かっているのに、魔法を詠唱……?
とにかく一旦後ろに下がって、ノーダメージの表記が出た直後に彼女を一撃で倒そう。
詠唱直後の硬直を狙えばクリティカルが発生するはずだ。
『オーッホッホッホ! 無駄よ! この四年間の修行で習得した、究極の闇魔法……! いくら貴方が無魔法だとしても、ダメージは避けられないわ!』
彼女の周囲に、闇よりも深い漆黒の霧が立ち込めた。
究極の闇魔法 VS 無魔法――。
強いのは一体どちらなのか――。
USER NAME/佐塚真奈美
LOGIN NAME/マナ
SEX/男?
PARTNER/---
LOGIN TIME/35100:05:47




