055 再び《TSO》の世界へ
――私は夢を見ていた。
延々と眼前に広がる平原。
脳髄に染み込むような滝の音。
私の全身の感覚が、ここを知っている。
ここは《Trans Sexual Online》の世界だ。
私こと佐塚真奈美は、この世界で男の子に性転換した。
あの感動がまた、私の心の中で蘇っている。
これが夢であることは理解している。
現実の私は今、ログアウト不能になったハルくんを救うために情報を掻き集めている最中だ。
なのに、どうしてあの世界を懐かしく思うのだろう。
私の大事な人を隔離したままの、あの世界を――。
答えは、簡単だ。
あの世界で感じた経験を、人々を、私は大切なものとして心の中にしまっている。
今も尚、世間を騒がせている大事件だったとしても、もう一度あの世界に向かいたい。
そして、ハルくんにもう一度、会いたい――。
「ん……」
目を覚ます。
時計の針は午前八時を指していた。
昨日、大野教授の元を訪れた後、もう一度静香さんがいるハルくんの中学校を訪問した。
そして兄である大野教授との話の内容を報告し、その後ハルくんの入院している病院に向かった。
穏やかな表情のまま眠る彼を見た私は、その後帰宅し、倒れるように眠ってしまったのだった。
「ご飯……作ろ……」
寝ぼけ眼のまま起き出した私は、台所に向かいベーコンエッグを調理する。
パンをトースターに入れ、簡単な朝食を作る。
テーブルに朝食を運んだ私は、ふと傍らに置いたままのCPUに視線を移した。
ハルくんのお母さんから預かった、彼のCPUだ。
――ハルくんは、まだこの中にいる。
何故か私の頬には涙が流れていた。
大野教授でも、これといった情報を持っていなかった。
他に情報源もなく、私は途方に暮れていた。
あのとき、私に問いかけた『声』――。
ヅラを被った、スライムの、声。
どこかで聞き覚えのある、そんな声。
私はすがる思いでCPUに耳を近づける。
もう一度、私をあの世界に連れて行って欲しい。
きっとハルくんは寂しがっているだろう。
私も寂しい。探しても探しても、手掛かりが見つからないのだから。
「あ……」
私の頬から零れ落ちた涙が、CPUを濡らす。
その直後、眩いほどの光が部屋全体を覆った。
そして耳を疑うような機械的なアナウンスが、私の脳に直接響き渡った。
『ようこそ。《Trans Sexual Online》の世界へ。
ここは仮想空間です。
あなたはここで自由に生活をすることができます。
しかしひとつだけ、条件が御座います。
あなたの性別はこの世界では逆転します。
男性は女性に。
女性は男性に。
願ったことはありませんか?
自身とは違う性別になってみたいと。
それがこの世界では叶います』
私の全身を光が覆う。
天地が逆転する。
目に飛び込むのは、七色に光った虹と規則的に波打つ旋律。
脳に送り込まれる信号により、私の身体は痙攣を起こす。
まさか、この感覚は――。
咄嗟に腕を伸ばした先にある、目覚まし時計。
そこには八時十五分を示したまま停止している時計の針があるだけだった。




