039 新たな物語
《Trans Sexual Online》――。
自身の性別とは異なる性別となり、広大に広がるVR世界で自由奔放に遊び尽くすことができるオンラインゲーム。
俺こと桂いさむがこのゲームと出会ったのが4月の下旬だ。
幼馴染の女子大生と痴話喧嘩をしてムシャクシャしていた俺は、発表当時から話題になっていたこのゲーム――《TSO》を購入した。
手のひらサイズのCPUにゲームカードを装着し、イヤホンを付ける。
記憶情報とデータバンクをリンクさせ、ログインスタート。
眩暈とともに左指にわずかな痛みが走る。
それが右指に渡り、全身へと広がっていく。
そして次に目を開いたときは、広大な草原が広がる世界で、俺は女の姿に――。
――なっているはずだった。
◇
目を開ける。
……そもそも瞼がない。
周囲を見回す。
……グニャリと変な音が周囲に響き渡った。
「……」
何か喋ろうと口を開く。
すると「ぬちゃぁ……!」という気味の悪い音が俺の口付近から聞こえてきた。
「…………なにこれ」
口の状態を確認しようと手を伸ばすが、届かない。
というか、手がない。
『目も開かないのに手がないことが認識できる』という摩訶不思議な状態に見舞われ混乱する。
さて困ったと思い背後を振り向いてみると、そこに小さな泉があった。
そこでようやくここが泉のほとりだと気付く。
俺は恐る恐る泉まで歩いていった。
歩くたびに「びちゃぁ……! ぐちょぉ……!」という音がして、もう俺はどうしたらいいのか。
泉に辿り着き、水面を覗き込んだ。
そこには、緑の塊が映り込んでいた。
「…………なにこれ」
声を出すと、緑の塊の中心に穴が開いた。
どうやらここから声が出ているらしい。
「スライム……?」
今までの記憶をたどり、これがどうやらスライムだと気付いたのはいいが。
それよりも俺を困惑させたのは、スライムの頭に乗っている『あるもの』だった。
よくテレビで漫才師が被っているようなアレ。
一発芸とかでも使われそうな、鼻めがねに次ぐ人気商品のアレ。
そう――。
ハゲヅラだ。
「スライムがハゲヅラを被っている……」
スライムが、ハゲヅラを、被っている。
一体、何のために?
しかし、何故か俺の心は幸福感に満ちている。
これは、このハゲヅラから与えられている恩恵……?
小一時間、俺はそこで幸福を噛み締めた。
ヅラを外したり、付けたり。
それを延々と繰り返し、十分に幸福を全身に感じ、満足する。
そして次第に脳内がクリアになってきたことを確認し、まずは自身のステータスを確認してみることにした。
まずは、というか、ようやく、かな。
空間をダブルタップする。
……指が無いからタップできない。
少し悩んだ俺はハゲヅラを外し、右手っぽい部分に構える。
そしてヅラでダブルタップをしてみた。
すると緑色の画面が空間に出現した。
なんて使えるヅラなんだろう。
やっぱりこれは万能にして至高ともいえるハゲヅラなのだろう。
ヅラを元の位置に戻し、俺はステータスを確認した。
====================
NAME/ヅライム
WEAPON/--
ACCESSORIES/最初のハゲヅラ
SKILL/--
MAGIC/--
====================
簡易的なステータス表記。
画面を開くと、まずはこれが表記されることは説明書を読み、すでに把握している。
問題なのは――。
「……名前が『ヅライム』。確かログイン前の初期設定画面で、俺のユーザーネームを『サム』にしておいたはずなんだが」
それが、どうして『ヅライム』?
しかも女にTSするのではなくて、スライム型モンスター?
色々おかしなことになっている……。
「でもまあ、運営にメールすればすぐに解決してくれるだろ」
再びヅラを外し、ステータス画面をめくる。
ヅラでめくるって、なんか新しい世界感が広がりそう。
運営への報告画面を発見し、そこでメッセージを入力した。
が、なかなかうまく文字が入力できない。
俺はハゲヅラに数本生えたなけなしの髪を束ね、それをタッチペン代わりにしてタップした。
おお、いいぞ。
スムーズにメッセージが入力できる。
「……これでよし、と。あとは送信ボタンを……」
ブー。
「……ん?」
ブー。
何度『送信』を押してもメールが送れない。
そして5、6回押したところで、今度はエラー画面が表示されてしまった。
「『ただいま調整中につき一部の操作が無効になっております』……?」
運営への連絡を諦めた俺は、今度はログアウトボタンを探すことにした。
しかしそこにも同じエラー画面が表示されている。
「……」
ログアウト……できないの?
え? まじで?
……いや、ちょっと待て。落ち着け、いさむ。
確かこの世界の時間の流れは、現実よりもかなり早かったよな。
100倍? 1000倍?
つまり、何日もこの世界からログアウトできなかったとしても、現実世界では数分くらいしか経過していないということだ。
「じゃあ、別に焦ることねぇじゃん」
自身の置かれた状況が大した事態に陥っていないと判断した俺は、再びヅラいじりに没頭した。
そしてさらに小一時間が経過し、泉のほとりに『とある人物』が現れることとなる――。
USER NAME/桂いさむ
LOGIN NAME/ヅライム
SEX/???
PARTNER/――
LOGIN TIME/0002:12:15




