第八話〜人間と冷たい氷と〜
あの蜘蛛の姿を見てどれだけ時間が経ったのか俺は時計を見て確認する。
おかしい。あきらかに変だ。
時間がまったく進んでいない。
時計の電池が切れているのか、そう思ったが電池は昨日の朝には変えたはずだ。だから電池は新品同様なんだ。
だから時計が進まないわけがない。
「当たり前よ」
バンシーは毎度のごとく俺の思考を読み、俺の質問に答える。
「この人間界は魔界とか天界に比べたらものすごく脆い世界なの。
だから悪魔や天使みたいに人間から逸脱した能力を持った者が力を使うと時が止まるように魔王さまが世界を管理してるのよ」
俺はあの魔王を思い返した。
口は軽くともあの魔王は本当に魔王なんだなと今、改めて思った。
「真ちゃーん」
さくらの声が下から聞こえてきた。
時計の針も動き出し、また時が動き出した。
「時間は力がなくなると動き出すのよ」
戻ったのかと安堵する俺。
何をこんなに怖がっているのか。もうあの蜘蛛はいないんだぞ。
俺は俺自身に言い聞かせ落ち着こうとする。
なのに心臓は相変わらず早鐘を打っている。
このままでは自分の寿命が縮んでしまうのではないかと思うほど心臓は早鐘を打っている。
「真・・変わった・・ね」
「え」
バンシーがぼそりと呟いた。
俺はそれを聞き取れなかった。
俺はそれをもう一度聞き直そうとバンシーに声をかけた。
「今、何て?
よく聞こえなかったんだが」
「別に」
そう言いバンシーはそっぽを向いた。
いったいバンシーは何と言ったのか、俺は気になった。
だからもう一度―――
「真ちゃん何してるの?」
バンシーに聞こうとしたのだがそこにさくらが入ってきた。
俺はまた心臓の寿命を縮めることになった。
さくらは俺とバンシーを交互に見つめながら顔がどんどん不機嫌になっていく。
こいつとの付き合いは昔からなので顔を見ただけで機嫌がいいか不機嫌かはすぐにわかる。
さっきの顔が上機嫌と言うならばこの顔は不機嫌だ。
俺はただバンシーと話をしているだけだったのだが体制が悪かった。
つい手を伸ばしていた。
バンシーの柔らかい腕をこの腕で掴んでいた。
さあ問題だ。これから俺はどうなると思う。
ぷるぷると肩が震えるさくら。ぷるぷると肩が震えるバンシー。
あれれ、よく似た反応ですね。
では正解だ。
「真ちゃんのばかー!」
まずはさくらの右手ビンタをまともに左頬に食らう。
音は痛快に鳴り響く。
「この・・変態!」
バンシーが指を鳴らすと俺の頭上から大きなタライが落ちてきた。
それは昨日落ちてきたタライの2倍ほどの大きさはあった。タライに大きさなど関係ないと思っていたが、俺の人生すべて否定しよう。
痛いよ、すごく・・・痛いです。
俺は左頬と頭を摩りながら倒れていった。
俺は何も悪くないと思いながら―――
俺は気づいたら街の都市街にいた。人もたくさんいた。
『――――』
雑音が聞こえる。
音はノイズのように聞こえる。
だがそれを聞くことはできなかった。だってノイズだから。
『――――』
音が聞こえたと思ったら足が動かなくなっていた。
凍って動かなくなっていく。
白い霧が俺の足を包み込み足を凍らせようとする。
でも遅かった。足は完全に凍り、動かすことがまったく出来なくなっていた。
俺は何でこんなことになっているのか、理解できなかった。
「助けてくれっ。助けてくれっ」
俺はそう叫び助けを呼ぼうとした。吐く息は白くこの寒さが痛く感じていた。
俺はこんなに叫んでいるのに誰も助けに来てくれなかった。
「おい、おじさん助けてくれ!」
俺は目の前にいる中年の男性に助けを求めた。
しかし男性は一瞬俺に視線を向けたが、すぐに走り去ってしまう。
「おばさん助けてください」
きっと言葉が悪かったんだと、今度は言葉を変えてみる。
おばさんもこちらをちらっとは見たのだが助けてはくれなかった。
なぜだ、なぜ誰も助けてくれない。
「誰でもいい! 俺を助けてくれ!!」
俺は腹の底から力を振り絞るように大声を出した。
すると光の先から手が見えた。
俺は迷わずその手を掴んだ。
その手は小さく、でも、暖かった。
その手を掴むと足の氷は溶けていき、俺は動くことが出来た。
こんなに暖かい手の持ち主は誰なのかと思いその手の持ち主に視線を移した。
視線の先にあったものはその手の持ち主が凍り付いていた氷のオブジェだった。