第十四話〜転校してきた白髪の少女〜
俺はこのまま眠っているのもどうかと思い学校に来ていく服を着て、ソフィーと一緒に一階に降りた。
一階には誰もおらずバンシーの姿も見えなかった。
「あれ? バンシーは?」
「ああ。バンシーなら今いないよ」
「どこ行ったんだ?」
俺がソフィーにそう聞くとソフィーはくるりと俺の方へと振り向きひまわりのような笑顔を浮かべながらこう言った。
「大丈夫。
真くんは心配しないで」
「え?」
ソフィーの言葉に俺は反射的に声を漏らした。
「大天使さまは僕たちで探すから。
真くんは見守っててね」
それだけを言うとソフィーはまたそっぽを向いた。
俺はソフィーに声を掛けようと思ったが声を掛けるのをやめた。
俺は非日常に身を置いていたいはずなのに。
こいつらが心配で仕方なかった。だから声を掛けるべきだったのに。
手を伸ばせば届く距離だが、今の俺にはすごく遠かった。
そう、人間と天使の距離。
いると信じ、それを崇拝する。
だが本当はいない。だからそれは意味のない崇拝なんだ。
ここにいるはずの天使にすら触れることの出来ない距離だった。
「真くん。急がないとまた遅刻しちゃうよ」
ソフィーはリビングに掛けてあった時計に指差す。
「やばい! じゃ、俺行くから」
「うん。いってらっしゃい」
俺は慌てて家を出て行った。
出て行きながら俺はバンシーの言葉を思い出す。
『考えても仕方ないわよ。今は大天使さまをさっさと探すことだけを考えればいーの。
それからごちゃごちゃ考えなさいよ』
今は大天使のことを考えよう。
そう言い訳しながら俺は学校へと向かった。
この街には学園はひとつしか存在しない。
この“シネラリア学園”のみだ。
この学園は小等部。中等部。高等部。大学院。それぞれこの学園内にある。
高等部まではエスカレーター式で進めるのだが、大学院だけはその資格があるかを試験し、合格しなければ入ることは出来ない。
まあ俺には関係のない場所だろう。
俺は知識並。知恵も並。良くもなく悪くもないんだからな。
俺は教室に来ると窓際の一番後ろの自分の席に座った。
ふうと少し息を整え、走ってきた疲れを取る。
俺が机に突っ伏し、ふと前を見るとじと目で俺を凝視している人物がひとり。
すこし離れた席でこちらを見ていたのはさくらだった。
さくらは俺の視線に気づいたのか閉じていた本を開き本に目を通し始めた。
そういえば俺、さくらに叩かれたんだっけ?
アレは俺が悪いのか?
そんな疑問がひたすら脳裏に浮かぶ。
が、このまま引きずるのもめんどくさいし、俺は椅子から立ち上がり、ぼさぼさと頭を掻きながらさくらに近づいていった。
さくらの前まで来ると何を話すべきかわからなくなった。
でもこのまま沈黙の空気が流れるのも耐え切れなかったから、とりあえずさくらに声を掛けることにした。
「あ、あのさ・・」
さくらは本を黙々と読んでいる。
俺の声聞いてるよな?
「ご、ごめんなさい・・」
小動物の鳴き声のように小さな声が聞こえた。
「え?」
「真ちゃん。ごめんなさい」
今度ははっきり聞こえた。
この声の正体はさくらの声だった。
さくらは本に栞を挿み、その青い目をこちらに向けてきた。
「いや、別に・・いいけど・・」
「うん。ありがと・・」
さくらは安心したように微笑む。
俺はその笑顔に安心する。
優しいさくらの顔に戻ってくれたと思ったからだ。
「もう1回言ってくれないか? ごめんなさいって」
「え、あ、うん。
ごめんなさい・・」
「・・・いい」
「何してる?」
俺の声の振りをして、さくらに命令していたのはこの男だ。
「この・・『ごめんなさい・・』いいで!
最高や!」
「何してんだって言ってんだろうが!」
緑色の明るい髪。ショートカットのその髪はぼさぼさで手入れがまったくされていない。
その緑色の瞳によく合う緑を縁取っためがねをかけた男。
「話を聞け! 遙山和也!」
俺の後ろに背後霊のごとく気配を殺し立っていた。
「なんやおったんか?」
「おったんか? ってお前今俺の声真似てたじゃねーかよ」
こいつの特技はあらゆる人物の声を即座に真似られること。
聞いた事のある声なら男だろうと女だろうと関係なく真似ることが出来る。
「フジもつれんなー。また夫婦喧嘩して?
かーもう悔しくてしゃーないわ」
「だから俺の名前は藤堂! 藤堂真!
フジなんて文字は一文字もない! いい加減覚えろ!」
こいつとは切っても切っても切れない腐れ縁。
なのにこいつは俺のことをフジだと呼ぶ。
俺が何度も藤堂と言っているのにも構わずに。
「藤の字を別の言い方したらフジやろ?
せやからフジでええんや」
と、どこか偉そうに言い訳をする和也。
こいつの腹に一発こぶしを入れてやった。
文句あるまい・・
大げさに腹を押さえている和也。
「お、大げさ・・ちゃうわ・・
ほ、本気で入れんなや・・」
「顔じゃないだけありがたく思え」
「はあ・・ったく、昨日お前が休んでさくらはえらい心配してたんやで?」
さくらが俺の右頬にあった傷を指でなぞった。
少しひんやりとしたさくらの指が震えていた気がした。
「ど、どうした? さくら?」
さくらは心配そうな顔をして俺に尋ねてきた。
「真ちゃん・・この怪我は?」
「え・・?
あ、ああ・・えっと・・」
どう言おうか悩んでいると和也がぽんっと肩に手を置いた。
「ま、ええわ。
そんなことよりもや。知っとるか?」
和也は俺が困っているのに気づいて話を逸らしてくれたのだろうか?
俺はそれに合わせるように和也の話に言葉を返した。
「まあ、うわさだけなら知ってるが。よくは知らん」
和也は内ポケットに忍ばせていた手帳を取り出しぺらぺらと何枚かページをめくりそこに書かれていることを読み出した。
「俺の知っている情報では、なんと転校生はこのクラスに来るらしい」
「へえーそうなのか?」
和也は大きく頷いた。
「ああ。
しかもなんと女。それもなんと・・」
和也はもったいぶるように言葉を濁す。
「何だよ?」
和也は肩をそびやかし声が学園中に響くのではないかというくらいの大声でこう叫んだ。
「美少女らしいで!」
「・・はあ」
俺の呆気ない返事に和也は息がかかるのではないかという程の距離まで顔を近づけてきた。
「お前は・・正気か?」
「顔が近い」
俺が和也をぐいっと和也の顔を遠ざける。
和也はそれに怯むことなく言葉を続けた。
両手を天に向け、どこかの独裁者のような演説を始めた。
「ええか?
ただの少女ちゃうんやぞ! 美少女や! 美・美・美!
この一文字がつく少女は限りなく少数。これは分かるな? 分からん? 分かれっ! この愚か者が!」
俺、愚か者?
息もつかせぬように和也は和也の頭の中に描く美少女という条件をぺらぺらと話し始める。
俺はもうこいつの話を聞くのが嫌になってきた。
こいつの美少女談義は耳にタコが出来るほど聞かされている。
「つまりや、美少女と言うのはやな・・・」
こいつの次の言葉はもう分かっている。
こいつの十八番の台詞だからな。
「美少女は正義や!」
天に届けたいのだろうか、その言葉は?
この満足そうな顔はまさに、天にも昇りそうだ。そのまま昇ってどっか行ってくれ。
リズミカルな電子音が聞こえる。
俺はやれやれと肩を落としながら自分の席まで戻った。
電子音が鳴ってから数十秒後に担任の教師が入ってきた。
教師は教壇に立ちいつものようにお決まりの言葉を言った。
「委員長号令」
「起立」
クラスにさくらの声が響く。
さくらの言う通りにクラスの全員が立ち上がる。
「礼」
全員で教師に頭を下げ、学園での一日が始まる。
「今日は転校生が来る。
入りなさい」
担任の言葉に耳を傾ける者。どんな転校生が来るのかわくわくしている者。不貞寝している者。
扉が開かれ、その多数だった者たちの視線を奪ったのは和也の言う通り―――いや、それ以上の美少女だった。
かく言う俺も入ってきた少女に目を奪われた。
ふわりとした風が少女の髪をなびかせる。その風に少女の髪は抗うこともせずに風の思うままにさらりとなびいた。その背中を覆うほどの長い白髪はよく手入れがされていて同姓でも触りたそうに少女の髪を見つめている。
その華奢な体には似合わないほどの女性特有の肉付き。付きすぎてもおらず、無くもない。女性が望む究極の女の体をしていた。
少女はそのルビーのように透き通った赤い瞳でクラスを眺める。その瞳は人を一瞬で恋させるほどの魅力があった。
そしてほんわかとした優しい雰囲気を持つ彼女は野に咲く一輪の花のような強い意思を感じることが出来る。おとなしそうな印象と共にどこか意思の固い強い女の子にも見えた。
「自己紹介を」
担任の言葉に少女は澄み切った声を発した。
「はじめまして。氷上愛彩です」