第十一話〜人間と男の対決II〜
もう終わりかと思った。
とどめをさされると思った。
死ぬ前の時間というのは刹那に感じるとても長い時間があるとどこかで聞いたことがある。
それを俺は今、体験している。
「――!」
男が急に聞いたこともない妙な奇声を上げ始めた。
俺の頭が男の腕から開放され、俺は地面に尻餅をついた。
俺は何事かと思い、ゆっくりと目を開けた。
目の前に広がる光景は信じられないほど滑稽だった。
男の右手の周りに黒い空間が現れ男の右手を包み込んでいた。
まるで黒い空間が男の手のようだった。
それは漫画で見たことのあるような手だった。
しかし男の顔は脂汗をだらだらと滝のように流している。
そして刹那―――
指を鳴らす音が聞こえた。
黒い空間はその音に反応するかのようにゆっくりと膨らんでいき、もう一度音がなると今度はその黒い空間が急速に圧縮していきそのまま黒い空間と男の右手は同時に消滅した。
「な、何だ?」
男の影に隠れて見えなかったが、男の後ろに見える空に浮かんでいたのはバンシーだった。
黒い翼をばさばさと交差させ空に浮かんでいた。
交差される翼からひらひらと黒い羽が舞い落ちる。
バンシーはゆっくりと俺の近くに降りてきた。
「大丈夫?
あれ、低級悪魔よ」
バンシーは男に指差しながら俺に言ってきた。
「なに?」
あの男が低級悪魔だとバンシーは言った。
だったら俺みたいなちっぽけな人間ごときが勝てるわけもなかったということか。
「そういうことよ。わかったらとっとと下がってなさい」
節々が悲鳴を上げているが俺はそれに構わず、体を動かした。
「く・・く・・」
俺はバンシーの肩を血だらけの右手で乱暴に掴むとバンシーの体をぐいっと後ろに下げた。
「何するのよ」
「下がるのはお前だ。はぁ・・はぁ・・」
俺はもう立っているのも辛い。
だけど俺の心が俺にまた、俺に力をくれた。
「真。もう立ってるのもつらいでしょ?
無理しないでそこで見てなさいよ」
「・・・せぇ」
「低級悪魔に人間が勝てるわけないでしょ」
「うるせぇ!」
バンシーの肩が少し震えた。
恐怖による震えじゃない。この俺の声に対してだ。
大地が震え、空気が震え、この俺の声の届く範囲で生きているものすべてが震え出してしまいそうな俺の声に対してだ。
「助けてくれたのは礼を言う。ありがとう。」
バンシーは俺の言葉に耳を傾けた。
「俺は、あいつを許せねえんだよ。
女の子を傷つけたあいつを。
これは俺の喧嘩だ。下がるのはお前の方だ」
「でも真じゃ勝てない」
俺はバンシーの言葉に乾いた笑いを漏らした。
自分でも納得しているように。
「へへ・・だろうな。
俺じゃ・・勝てねえよな? はは」
「だったらどうして?」
俺は近くに置いてあった1Mくらいの長さの鉄パイプを手に取った。
ぬるぬるとした手にしっかりとは馴染まない武器だ。
でも相手は低級悪魔。
絶対素手じゃ敵わない。それを俺はさっきの殴り合いで理解出来た。
「頼まれたから・・
助けてくれって!」
俺は右手に掴んだ鉄パイプを男めがけて振り下ろした。
風を切って振り下ろされた鉄パイプは人間にとっては恐ろしい凶器だ。
それが低級悪魔にどれだけ通用するのかは分からない。
骨と金属が激しくぶつかる轟音。
男は振り下ろされた鉄パイプを腕で受け止めていた。
消滅した片手とは逆の左手で男は凶器となった鉄パイプを簡単に受け止めたのだ。
子供同士でやるチャンバラごっこでやる丸めた新聞紙を受け止めるかのように。とても簡単に―――
「嘘・・だろ?」
男は左手を振り上げ、鉄パイプは俺の手から離れ、地面に衝突し、激しい音を出した。
そしてがら空きとなった俺の顔に男の左手の豪腕が直撃する。
「ぐはぁ・・」
俺の体は宙に浮き、そこにまた男の一撃が綺麗に決まった。
お手本みたいに見事なアッパーだった。
「真!」
バンシーが俺の元に駆け寄った。
バンシーは飛んでいる俺の体を地面に当たるぎりぎりの所で受け止めた。
「だから言ったじゃない! 真じゃ勝てないって!」
バンシーはぼろぼろになっている俺を見ながら叫んだ。悲痛の叫びだな。
傷に響きやがる。
「勝つ」
「え」
俺の声にバンシーはまぬけな声を漏らす。
「あいつは許しちゃだめだ。
俺が勝つまで、俺は諦めねえ」
俺はバンシーの肩に手を置き立ち上がろうとする。
その体をバンシーが押さえつける。
もう立つなというバンシーの意思表示だ。
「もう・・いいから・・
もう、立たなくて・・いいから・・」
でもそれはバンシーの俺に対する心配だ。
俺を心配してくれるやつがいるってのは嬉しい。
でも、いやだからこそ―――
「俺は・・負けられねえよ」
俺は俺の体を止めている小さなバンシーの手を掴み、その手をどけた。
バンシーは俺を見つめ、こう呟いた。
「・・勝ちたいの?」
俺は迷わなかった。
「・・ああ」
俺はもう残り少ないであろう最後の力を振り絞り立ち上がった。
バンシーの手を借りながら。ゆっくりと立ち上がった。
バンシーは俺に向かい合った。
俺は虚ろな視線をバンシーに向けた。
「何だ?」
バンシーは迷い、何か言うのを躊躇っていた。
そして、何かを決めたようにその瞳に意思を込めながら俺に言った。
「真。私の魔法は無から有を作り出す力。
だから真に一番合う武器をこれから作り出すわ。
でもこれは黒曜魔石の力をまったく借りない純粋なる魔法、とても・・とても時間がかかる。
だから―――」
バンシーは俺の手を掴んだ。
「30秒・・いえ10秒。ええ10秒でいいわ。
10秒だけ時間を稼いで。10秒の間は私は集中したいから、何も手助けできないの。
だから死なないで。10秒の間、生き延びて」
俺はバンシーの手を握り返した。
「10秒だな。簡単だ」
俺はもうやつを倒すにはバンシーの力を借りるしかないと思った。
だからバンシーに賭けることにした。
これはかなり分の悪い賭けだ。
賭けに負ければ死に、賭けに勝っても確実に勝てるという保障のない理不尽な賭けだった。
だけどバンシーが言うんだ。
勝てるさ。
俺は虚ろな目に光が戻るのを感じた。
光が見えてきたんだ。このまま引き下がれるかよ。
「無より有を―――」
バンシーは何やら呪文を唱え始めた。
もうここからはバンシーは何も出来ないらしいな。
俺は10秒間、命を賭けて生き延びてみせる。
男は今度は自分から責めてきた。
男の豪腕は疲れというのを知らないらしい。
先ほどから威力がまったく変わっていない。
しかしそれはこちらにとっては好都合だった。
さっきと威力が同じなら避けるタイミングも同じってことだ。
俺は男に殴られ続け、男の攻撃にある程度のリズムがあるのをこのぼろぼろの体で覚えた。
男の豪腕を何回かに一度避けられるまでになっていた。
しかし、一発のダメージが多い上に一発男の攻撃を受けるとリズムがめちゃくちゃになり、避けるのが難しくなっていく。
まだ10秒経たねえのか。
「しまった!」
俺は一瞬、男から目を離してしまいもろに男の豪腕の一撃を食らってしまった。
昔遊びでやった椅子の上に座り、椅子を何十回というほど回転させ、そのまま立ち上がったときみたいに頭がくらくらする。体がふらふらする。
「出来た! 真!
受け取って!」
バンシーは何かを俺の方に投げてきた。
俺はそれを何とか受け取った。
そこにあったのは忌々しい、俺の過去に使ったことあるものだった。