「聖女なんて辞めさせていただきます」~世界樹の根が視せた神託で、私は捨てられる前に国を出ました~【元社畜聖女の静かなざまぁ】
「――お前のような凡庸な聖女は、もう必要ない」
大聖堂に、王太子ロベルトの声が響き渡った。
ステンドグラスから差し込む光。祭壇前に集まった貴族たち。その視線が一斉に、私――召喚聖女ミナへと突き刺さる。
『……あー、はいはい。そう来ると思ってました』
私は無表情のまま、内心で溜め息をついた。
驚きはない。だって三日前、世界樹の根に触れたとき、私はこの光景をすでに《視て》いたのだから。
「セレネこそが、真の聖女だ。お前のような地味で役立たずな聖女には、もはや価値はない。よって――国外追放を命じる」
ロベルトの隣で、ピンクブロンドの少女がくすりと笑った。
セレネ。後から召喚された「本物の聖女」。眩い攻撃魔法で貴族たちを虜にした、この国の新しい寵児。
「ごめんなさいね、ミナさん? でも、実力の差だから仕方ないでしょう?」
実力の差、ね。
私は静かにセレネを見返した。前世で残業続きの果てに過労死した、元社畜システムエンジニアの目で。
(半年間、無給で無休。聖水の効率を三倍にして、腐った帳簿を直して、瘴気のパターンをデータ化して被害を激減させた……その全部を、あなたの手柄にされてきましたけどね)
でも、言わない。
言う必要がないからだ。
「――承知いたしました」
私は淡々と頭を下げた。眉ひとつ動かさずに。
その瞬間、周囲の貴族たちがざわめいた。泣いてすがると思ったのだろう。命乞いをすると。
「……なんだ、その態度は。泣いてすがりもしないのか」
ロベルトが訝しげに眉を寄せた。
「命乞い、ですか? 残念ですが、そのご期待には添えかねます」
私は静かに答えた。
「沈む船からは、早めに降りるのが社会人の鉄則ですので」
「……沈む船だと? この栄えある王国が、沈むはずがなかろう」
「ええ。そう思っていてくださって結構です」
ロベルトの顔が、屈辱で赤くなった。
「ミ、ミナ様……!」
柱の陰から、下級侍女のリリーが泣きそうな声を上げた。栗色の三つ編みを揺らして、何か叫ぼうとして――
「ミナ様は、本当は誰よりも……!」
すぐに衛兵に口を塞がれ、引きずられていく。
セレネが小さく鼻で笑った。
「ふふ、みっともない侍女。あなたも一緒に追い出されたいのかしら?」
(リリー。あなただけは、ちゃんと見ていてくれたね)
私は心の中でだけ、そっと微笑んだ。
そして――去り際に、ひとつだけ、やることがあった。
「……最後にひとつだけ、よろしいですか」
「なんだ。今さら弁明か? 見苦しいぞ」
「いいえ。ただの――業務終了の手続きです」
◇◆◇
私は立ち止まり、右手を軽くかざした。
《解析》。
これが私に与えられたギフト。戦闘力ゼロ、回復魔法も使えない「ハズレ聖女」の力。
でもその正体は――『世界のシステムコードを読む力』。
私の視界に、無数の光の文字列が流れ込む。この世界を構成する、コード。
頭の中で、前世のSEらしくチェックリストを開く。
「《解析》。……聖水製法の管理権限、私の名義。瘴気対策データベース、私に紐づけ済み。会計システムの管理者アカウント、当然、私」
「……? 何をぶつぶつ言っているの? 負け惜しみ?」
セレネが首をかしげる。
そう。この半年、私が構築したすべての仕組みは、私のギフトと契約魔法に紐づいている。
私がいなければ、誰も触れない。誰も再現できない。
「――権限、剥奪」
小さく呟く。
パチン、と。
誰にも気づかれない音で、この国の心臓部が私から切り離された。
「引き継ぎ資料、ですか? 作るわけないでしょう。だって私、辞めさせられる側ですから」
「何を言っている……? とっとと出て行け!」
「ええ、喜んで。――お疲れ様でした。良い会社人生を」
私はロベルトに背を向け、大聖堂の扉をくぐった。
自分たちが今、何を失ったのかも知らずに。
外は、抜けるような青空だった。
半年ぶりに、自分のために吸う空気は――ずいぶんと、美味しかった。
◇◆◇
話は、三日前に遡る。
夜、私は誰にも告げず、世界樹の地下神殿に降りていた。
ギフト《解析》が、そこに「読むべきコード」があると告げていたから。SE時代の勘だ。バグの根っこは、いつも一番深い階層にある。
根が張り巡らされた薄暗い空間で、私はそれに触れた。
途端――光の集合体が、根の奥から浮かび上がった。
『――ようこそ、《解析》の担い手よ』
幼子のような、古老のような。定まらない声。
「……あなたは?」
『我は《ユグ》。この世界の生命循環と、瘴気を管理する者。お前と同じ――管理者だ』
管理者。その単語に、私の背筋がぞくりとした。
「システム管理者、ってことですか。この世界の」
『理解が早い。話が早くて助かる』
まるでコードレビューでもするように、《ユグ》は淡々と続けた。
『警告を発する。現在、この世界には重大な不正アクセスが発生している』
私の視界に、神託が――未来の映像が流れ込んだ。
枯れゆく世界樹。剥がれ落ちる葉。国土を覆い尽くす、黒い瘴気。
『後から召喚された聖女セレネ。あれの力の源は、世界樹の生命力を無断で前借りする違法アクセスだ。本人に自覚はない。だが、このままでは――一年で世界樹は枯死する』
「……で、その頃には私、追放されてると」
『そうだ。三日後、お前は断罪される』
私は目を閉じた。
(あー、はい。知ってました、みたいな顔しかできないな、これ)
『どうする、担い手よ。世界を救うか?』
私は少し考えて、答えた。
「――救います。ただし、あの国のためじゃない」
光がわずかに揺れた。まるで、笑ったように。
『契約は、いつでも待っている』
こうして私は、断罪の未来を知りながら、静かにその日を迎えたのだった。
◇◆◇
隣国の辺境都市、フロストハイム。
私は冒険者ギルドに登録し、《解析》を存分に振るった。
魔物の弱点を丸裸にし、ダンジョンの最適攻略ルートを算出する。無駄のない立ち回りで、私はあっという間にトップランカーへと駆け上がった。
(効率化。それだけは、前世で嫌というほど鍛えられましたから)
そんなある日、私はギルドマスターに呼ばれ、とある人物の執務室を訪れた。
辺境伯アルヴィス・ドラグヴァルト。
竜人族にして、『竜殺しの氷将軍』と恐れられる冷酷無比な武人――らしい。
扉を開けると。
薄暗い執務室で、書類の山に埋もれた男が、たった一人、温くなった茶を啜っていた。
銀糸の長髪。氷のような碧眼。こめかみには一対の小さな角。
確かに整った、恐ろしいほど美しい顔立ちだ。
だが。
(……なんか、めちゃくちゃ疲れた顔してません?)
私の《解析》が、目の前の男の状態を読み取る。
睡眠不足。過剰労働。慢性的なストレス。
……これ、前世の私と同じ状態だ。
「……仕事の依頼、と聞いたが」
アルヴィスは、ぼそりと呟いた。それきり、沈黙。
完全に、会話が続かない。人見知りだ、この人。
私は無言で、持参した道具を取り出した。
豆を挽き、湯を沸かし、慎重にドリップする。
この世界には、まだ存在しない飲み物――コーヒーを。
香ばしい香りが、書類だらけの執務室に広がった。
アルヴィスの角が、ぴくりと動いた。
「どうぞ。徹夜のお供に」
差し出したカップを、彼はおそるおそる口に運び――
その瞬間、氷の碧眼が、大きく見開かれた。
「……なんだ、これは」
「コーヒーです」
「……もう一杯、頼めるか」
氷が溶けたような、柔らかい表情。
(あ、胃袋掴んじゃった)
こうして私は、この世界で最も恐れられる将軍を――一杯のコーヒーで陥落させたのだった。
そして知った。彼が、世界樹を守る古の一族の末裔であること。《ユグ》の神託を知る、唯一の理解者であることを。
「お前が……根の担い手か」
コーヒーを二杯飲み干した後、アルヴィスは静かに言った。
「まさか、こんな地味な社畜聖女がね」
「……悪くない」
彼は、ぽつりとそう言った。私を利用するでも、崇めるでもなく。ただ、対等な一人として。
それが、なんだか――少しだけ、嬉しかった。
◇◆◇
――一方、その頃。ラグディア王国。
これは、下級侍女リリーが目撃した、崩壊の記録である。
ミナ様が去って、ひと月。
最初に異変が起きたのは、聖水だった。
「なぜだ! なぜ聖水が作れない!」
大聖堂に、神官たちの怒号が響く。
ミナ様が確立した製法。その手順書はある。材料もある。なのに――誰がやっても、聖水が濁り、効果を失うのだ。
(そんなの、当たり前です)
リリーは唇を噛んだ。
(ミナ様は、毎晩毎晩、材料の状態を《解析》で見極めて、その日の湿度や温度に合わせて配合を変えていたんです。手順書に書けない、ミナ様にしかできない調整を……!)
次に、会計が破綻した。
ミナ様が是正した帳簿システムは、管理者不在で凍結。過去の横領や無駄遣いが雪だるま式に膨れ上がり、教会の金庫はあっという間に空になった。
そして――瘴気が、あふれ出した。
ミナ様がデータ化していた発生パターン。その予測がなくなった今、瘴気は無防備な村々を次々と飲み込んでいく。
「セレネ様! セレネ様の魔法で、どうか瘴気を!」
すがりつく人々。だが。
「なっ……なんで、力が出ないの!?」
祭壇の上で、セレネが真っ青な顔で震えていた。
あれほど眩かった攻撃魔法が、日ごとに弱まっている。世界樹の葉が、はらり、はらりと枯れ落ちていく。
(ミナ様は、全部知っていたんだ)
リリーは震える手で、胸元を握りしめた。
(だから、あんなに静かに去っていったんだ。この国が、こうなることを――全部)
祭壇の奥、王太子ロベルトの顔からも、いつもの余裕は消えていた。
「……ミナを。ミナを、呼び戻せ」
かすれた声で、彼は呟いた。
「あの女を、今すぐ連れ戻すのだ!」
リリーは、静かに拳を握った。
(もう、遅いです)
(だって――ミナ様は、そんな甘い方じゃない)
◇◆◇
辺境都市の、私の新居。
コーヒーの香りが漂う中、一羽の伝令鳥が窓辺に舞い降りた。
足に結ばれた、ラグディア王国の紋章入りの書状。
「……ほう」
向かいでカップを傾けていたアルヴィスが、わずかに眉をひそめる。
私は書状を開いた。
『聖女ミナへ。至急、王国へ帰還せよ。これは王命である――』
(はい、来た。予定通り)
『……あー、はいはい。困ったときだけ呼び戻すやつ。ブラック企業の出戻り要請と一緒ですね』
私は書状を、ぱたんと閉じた。
「戻るのか」
アルヴィスが、ほんの少しだけ不安そうに――子竜が飼い主を窺うように――こちらを見た。
「まさか」
私は微笑んで、一枚の羊皮紙を取り出した。
追放されるあの日、いや――召喚された直後に結ばせた「聖女契約書」の写しだ。
「アルヴィス様、ここを見てください」
私は、契約書の一節を指し示した。
『――解任された聖女は、いかなる召喚命令にも応じる義務を負わない』
アルヴィスの碧眼が、わずかに見開かれる。
「……お前、召喚された時点で、追放される未来まで見越して、これを?」
「まさか。ただの――労働者の自己防衛です」
私は肩をすくめた。
(前世で散々、不当な扱いを受けましたからね。契約書は、自分を守る最強の盾。それを教えてくれたのは、他でもないブラックな社会です)
この一文がある限り、ロベルトがどれだけ命令を重ねても、私は法的に一切応じる義務がない。
彼自身が承認した契約が、彼自身を完璧に締め出している。
私は伝令鳥に、たった一文の返信を結わえた。
『――契約書第十七条をご確認ください』
それだけ。
感情も、恨み言も、何もいらない。
知恵という武器の前では、王命など、ただの紙切れだ。
伝令鳥が飛び去るのを見送りながら、アルヴィスがぽつりと言った。
「……お前は、敵に回したくない女だな」
「あら。味方でよかったですね」
私が差し出したおかわりのコーヒーを、彼は少しだけ、嬉しそうに受け取った。
◇◆◇
世界樹枯死まで、あとわずか。
カウントダウンは、いよいよ最終段階に入っていた。
私は動いた。私怨のためではない。
(この世界を救うのは――私が、そうしたいから)
アルヴィスに伴われ、私は世界樹の地下神殿へと降りた。
「行ってこい。俺は、ここで待つ」
不器用な、けれど確かな信頼を込めて、彼は言った。
私は根に手を触れ、《解析》を発動する。
世界のコードが、津波のように押し寄せた。
そして――見つけた。
セレネの魔法が繋がる、生命力の違法搾取ルート。無自覚に世界樹を蝕み続けてきた、不正なアクセス経路。
「――アクセス、遮断」
パチン。
その音は、遥か遠く、王国の大聖堂にも届いたはずだ。
◇◆◇
同時刻、ラグディア王国、祭壇の上。
「あ……ぁ、うそ……」
セレネの体から、光が完全に消え失せた。
攻撃魔法も、回復魔法も、何もかも。彼女を彩っていたすべての力が、一瞬で霧散する。
「魔法が……わたしの、力が――!」
力の源を失ったセレネの前で、これまで奪ってきた功績も、ついてきた嘘も、すべてが白日の下に晒された。
聖水も、帳簿も、瘴気対策も。何ひとつ、彼女の手柄ではなかったという真実が。
「そんな……わたしは、本物の聖女……本物の……」
崩れ落ちる偽物を、誰も助けなかった。
王太子ロベルトは、玉座で呆然と天を仰いだ。
「……ミナ、だったのか。すべての要は。最初から、あの女が――」
失ってから、ようやく気づいた。
だが、後の祭りだ。
◇◆◇
地下神殿。
セレネの搾取を停止させた私の前で、《ユグ》の光が静かに満ちていく。
『違法アクセスの遮断を確認。世界樹の生命力、回復に転じた』
「よかった。間に合いましたね」
『――担い手よ。正式な管理者契約を結ぶ意志はあるか』
私は、まっすぐに光を見つめた。
「はい。この世界の管理者権限、私が引き継ぎます」
光が、私を包み込んだ。
温かく、静かで、途方もなく巨大な力が、体の奥に根を張っていく。
新たな「根の聖女」の覚醒。
感情的な復讐ではなく、契約と、データと、知恵で。
私は静かに――勝った。
◇◆◇
季節は巡り、辺境都市フロストハイムに、穏やかな朝が訪れていた。
私は世界樹を管理する「根の聖女」として、この地に根を下ろした。
瘴気の浄化事業は軌道に乗り、薬草栽培は辺境を潤している。前世の効率化スキルは、こうして人を苦しめるためではなく、豊かにするために使えるのだと――ようやく知った。
忠実な侍女リリーも、私を慕って王国から辺境まで追ってきた。
「ミナ様! わたし、ずっと信じてました……!」
涙でぐしゃぐしゃになった彼女を、私はそっと抱きしめた。
(ありがとう。あなたのおかげで、私は独りじゃなかった)
そして、私の隣にはいつも――
「ミナ。……その、あれだ」
銀髪の辺境伯が、専用のマグカップを片手に、もじもじと立っている。
「コーヒーですか?」
「……もう一杯、頼めるか」
氷が溶けたような、柔らかい表情で。
『竜殺しの氷将軍』は、今日も私の前でだけ、子竜のように甘えていた。
「はいはい。今淹れますね」
穏やかな、新しい生活。
理不尽に耐え続けた社畜聖女は、ようやく――報われた。
◇◆◇
その夜。
私が世界樹の根に触れ、日課の「システム点検」をしていたときだった。
『――担い手よ』
《ユグ》の光が、ふと揺らめいた。
いつもの淡々とした声に、わずかな緊張が滲んでいる。
「どうかしましたか?」
『ひとつ、伝え忘れていたことがある』
「伝え忘れ? あなたが?」
几帳面なシステムに似合わない言葉に、私は思わず首をかしげた。
『あの断罪の日、お前に視せた神託――あれは、すべてではない』
光が、ゆっくりと大きくなる。
『まだ視せていない神託が――もう一つ、ある』
私の視界の隅で、見たことのないコードが、ちらりと明滅した。
それは、この世界の根幹に関わる、まだ誰も知らない何か。
「……それって、良い話ですか? 悪い話ですか?」
《ユグ》は、答えなかった。
ただ、光がわずかに揺れる。
まるで、次の物語の幕が、静かに上がろうとしているかのように。
(……あー、はいはい。今度は何ですかね)
私は溜め息をつきながら、けれど――
どこか楽しみにしている自分に、気づいていた。
コーヒーを、もう一杯淹れよう。
長い夜に、なりそうだから。




