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「聖女なんて辞めさせていただきます」~世界樹の根が視せた神託で、私は捨てられる前に国を出ました~【元社畜聖女の静かなざまぁ】

作者: uta
掲載日:2026/07/16

「――お前のような凡庸な聖女は、もう必要ない」


大聖堂に、王太子ロベルトの声が響き渡った。


ステンドグラスから差し込む光。祭壇前に集まった貴族たち。その視線が一斉に、私――召喚聖女ミナへと突き刺さる。


『……あー、はいはい。そう来ると思ってました』


私は無表情のまま、内心で溜め息をついた。


驚きはない。だって三日前、世界樹の根に触れたとき、私はこの光景をすでに《視て》いたのだから。


「セレネこそが、真の聖女だ。お前のような地味で役立たずな聖女には、もはや価値はない。よって――国外追放を命じる」


ロベルトの隣で、ピンクブロンドの少女がくすりと笑った。


セレネ。後から召喚された「本物の聖女」。眩い攻撃魔法で貴族たちを虜にした、この国の新しい寵児。


「ごめんなさいね、ミナさん? でも、実力の差だから仕方ないでしょう?」


実力の差、ね。


私は静かにセレネを見返した。前世で残業続きの果てに過労死した、元社畜システムエンジニアの目で。


(半年間、無給で無休。聖水の効率を三倍にして、腐った帳簿を直して、瘴気のパターンをデータ化して被害を激減させた……その全部を、あなたの手柄にされてきましたけどね)


でも、言わない。


言う必要がないからだ。


「――承知いたしました」


私は淡々と頭を下げた。眉ひとつ動かさずに。


その瞬間、周囲の貴族たちがざわめいた。泣いてすがると思ったのだろう。命乞いをすると。


「……なんだ、その態度は。泣いてすがりもしないのか」


ロベルトが訝しげに眉を寄せた。


「命乞い、ですか? 残念ですが、そのご期待には添えかねます」


私は静かに答えた。


「沈む船からは、早めに降りるのが社会人の鉄則ですので」


「……沈む船だと? この栄えある王国が、沈むはずがなかろう」


「ええ。そう思っていてくださって結構です」


ロベルトの顔が、屈辱で赤くなった。


「ミ、ミナ様……!」


柱の陰から、下級侍女のリリーが泣きそうな声を上げた。栗色の三つ編みを揺らして、何か叫ぼうとして――


「ミナ様は、本当は誰よりも……!」


すぐに衛兵に口を塞がれ、引きずられていく。


セレネが小さく鼻で笑った。


「ふふ、みっともない侍女。あなたも一緒に追い出されたいのかしら?」


(リリー。あなただけは、ちゃんと見ていてくれたね)


私は心の中でだけ、そっと微笑んだ。


そして――去り際に、ひとつだけ、やることがあった。


「……最後にひとつだけ、よろしいですか」


「なんだ。今さら弁明か? 見苦しいぞ」


「いいえ。ただの――業務終了の手続きです」


◇◆◇


私は立ち止まり、右手を軽くかざした。


《解析》。


これが私に与えられたギフト。戦闘力ゼロ、回復魔法も使えない「ハズレ聖女」の力。


でもその正体は――『世界のシステムコードを読む力』。


私の視界に、無数の光の文字列が流れ込む。この世界を構成する、コード。


頭の中で、前世のSEらしくチェックリストを開く。


「《解析》。……聖水製法の管理権限、私の名義。瘴気対策データベース、私に紐づけ済み。会計システムの管理者アカウント、当然、私」


「……? 何をぶつぶつ言っているの? 負け惜しみ?」


セレネが首をかしげる。


そう。この半年、私が構築したすべての仕組みは、私のギフトと契約魔法に紐づいている。


私がいなければ、誰も触れない。誰も再現できない。


「――権限、剥奪」


小さく呟く。


パチン、と。


誰にも気づかれない音で、この国の心臓部が私から切り離された。


「引き継ぎ資料、ですか? 作るわけないでしょう。だって私、辞めさせられる側ですから」


「何を言っている……? とっとと出て行け!」


「ええ、喜んで。――お疲れ様でした。良い会社人生を」


私はロベルトに背を向け、大聖堂の扉をくぐった。


自分たちが今、何を失ったのかも知らずに。


外は、抜けるような青空だった。


半年ぶりに、自分のために吸う空気は――ずいぶんと、美味しかった。


◇◆◇


話は、三日前に遡る。


夜、私は誰にも告げず、世界樹の地下神殿に降りていた。


ギフト《解析》が、そこに「読むべきコード」があると告げていたから。SE時代の勘だ。バグの根っこは、いつも一番深い階層にある。


根が張り巡らされた薄暗い空間で、私はそれに触れた。


途端――光の集合体が、根の奥から浮かび上がった。


『――ようこそ、《解析》の担い手よ』


幼子のような、古老のような。定まらない声。


「……あなたは?」


『我は《ユグ》。この世界の生命循環と、瘴気を管理する者。お前と同じ――管理者だ』


管理者。その単語に、私の背筋がぞくりとした。


「システム管理者、ってことですか。この世界の」


『理解が早い。話が早くて助かる』


まるでコードレビューでもするように、《ユグ》は淡々と続けた。


『警告を発する。現在、この世界には重大な不正アクセスが発生している』


私の視界に、神託が――未来の映像が流れ込んだ。


枯れゆく世界樹。剥がれ落ちる葉。国土を覆い尽くす、黒い瘴気。


『後から召喚された聖女セレネ。あれの力の源は、世界樹の生命力を無断で前借りする違法アクセスだ。本人に自覚はない。だが、このままでは――一年で世界樹は枯死する』


「……で、その頃には私、追放されてると」


『そうだ。三日後、お前は断罪される』


私は目を閉じた。


(あー、はい。知ってました、みたいな顔しかできないな、これ)


『どうする、担い手よ。世界を救うか?』


私は少し考えて、答えた。


「――救います。ただし、あの国のためじゃない」


光がわずかに揺れた。まるで、笑ったように。


『契約は、いつでも待っている』


こうして私は、断罪の未来を知りながら、静かにその日を迎えたのだった。


◇◆◇


隣国の辺境都市、フロストハイム。


私は冒険者ギルドに登録し、《解析》を存分に振るった。


魔物の弱点を丸裸にし、ダンジョンの最適攻略ルートを算出する。無駄のない立ち回りで、私はあっという間にトップランカーへと駆け上がった。


(効率化。それだけは、前世で嫌というほど鍛えられましたから)


そんなある日、私はギルドマスターに呼ばれ、とある人物の執務室を訪れた。


辺境伯アルヴィス・ドラグヴァルト。


竜人族にして、『竜殺しの氷将軍』と恐れられる冷酷無比な武人――らしい。


扉を開けると。


薄暗い執務室で、書類の山に埋もれた男が、たった一人、温くなった茶を啜っていた。


銀糸の長髪。氷のような碧眼。こめかみには一対の小さな角。


確かに整った、恐ろしいほど美しい顔立ちだ。


だが。


(……なんか、めちゃくちゃ疲れた顔してません?)


私の《解析》が、目の前の男の状態を読み取る。


睡眠不足。過剰労働。慢性的なストレス。


……これ、前世の私と同じ状態だ。


「……仕事の依頼、と聞いたが」


アルヴィスは、ぼそりと呟いた。それきり、沈黙。


完全に、会話が続かない。人見知りだ、この人。


私は無言で、持参した道具を取り出した。


豆を挽き、湯を沸かし、慎重にドリップする。


この世界には、まだ存在しない飲み物――コーヒーを。


香ばしい香りが、書類だらけの執務室に広がった。


アルヴィスの角が、ぴくりと動いた。


「どうぞ。徹夜のお供に」


差し出したカップを、彼はおそるおそる口に運び――


その瞬間、氷の碧眼が、大きく見開かれた。


「……なんだ、これは」


「コーヒーです」


「……もう一杯、頼めるか」


氷が溶けたような、柔らかい表情。


(あ、胃袋掴んじゃった)


こうして私は、この世界で最も恐れられる将軍を――一杯のコーヒーで陥落させたのだった。


そして知った。彼が、世界樹を守る古の一族の末裔であること。《ユグ》の神託を知る、唯一の理解者であることを。


「お前が……根の担い手か」


コーヒーを二杯飲み干した後、アルヴィスは静かに言った。


「まさか、こんな地味な社畜聖女がね」


「……悪くない」


彼は、ぽつりとそう言った。私を利用するでも、崇めるでもなく。ただ、対等な一人として。


それが、なんだか――少しだけ、嬉しかった。


◇◆◇


――一方、その頃。ラグディア王国。


これは、下級侍女リリーが目撃した、崩壊の記録である。


ミナ様が去って、ひと月。


最初に異変が起きたのは、聖水だった。


「なぜだ! なぜ聖水が作れない!」


大聖堂に、神官たちの怒号が響く。


ミナ様が確立した製法。その手順書はある。材料もある。なのに――誰がやっても、聖水が濁り、効果を失うのだ。


(そんなの、当たり前です)


リリーは唇を噛んだ。


(ミナ様は、毎晩毎晩、材料の状態を《解析》で見極めて、その日の湿度や温度に合わせて配合を変えていたんです。手順書に書けない、ミナ様にしかできない調整を……!)


次に、会計が破綻した。


ミナ様が是正した帳簿システムは、管理者不在で凍結。過去の横領や無駄遣いが雪だるま式に膨れ上がり、教会の金庫はあっという間に空になった。


そして――瘴気が、あふれ出した。


ミナ様がデータ化していた発生パターン。その予測がなくなった今、瘴気は無防備な村々を次々と飲み込んでいく。


「セレネ様! セレネ様の魔法で、どうか瘴気を!」


すがりつく人々。だが。


「なっ……なんで、力が出ないの!?」


祭壇の上で、セレネが真っ青な顔で震えていた。


あれほど眩かった攻撃魔法が、日ごとに弱まっている。世界樹の葉が、はらり、はらりと枯れ落ちていく。


(ミナ様は、全部知っていたんだ)


リリーは震える手で、胸元を握りしめた。


(だから、あんなに静かに去っていったんだ。この国が、こうなることを――全部)


祭壇の奥、王太子ロベルトの顔からも、いつもの余裕は消えていた。


「……ミナを。ミナを、呼び戻せ」


かすれた声で、彼は呟いた。


「あの女を、今すぐ連れ戻すのだ!」


リリーは、静かに拳を握った。


(もう、遅いです)


(だって――ミナ様は、そんな甘い方じゃない)


◇◆◇


辺境都市の、私の新居。


コーヒーの香りが漂う中、一羽の伝令鳥が窓辺に舞い降りた。


足に結ばれた、ラグディア王国の紋章入りの書状。


「……ほう」


向かいでカップを傾けていたアルヴィスが、わずかに眉をひそめる。


私は書状を開いた。


『聖女ミナへ。至急、王国へ帰還せよ。これは王命である――』


(はい、来た。予定通り)


『……あー、はいはい。困ったときだけ呼び戻すやつ。ブラック企業の出戻り要請と一緒ですね』


私は書状を、ぱたんと閉じた。


「戻るのか」


アルヴィスが、ほんの少しだけ不安そうに――子竜が飼い主を窺うように――こちらを見た。


「まさか」


私は微笑んで、一枚の羊皮紙を取り出した。


追放されるあの日、いや――召喚された直後に結ばせた「聖女契約書」の写しだ。


「アルヴィス様、ここを見てください」


私は、契約書の一節を指し示した。


『――解任された聖女は、いかなる召喚命令にも応じる義務を負わない』


アルヴィスの碧眼が、わずかに見開かれる。


「……お前、召喚された時点で、追放される未来まで見越して、これを?」


「まさか。ただの――労働者の自己防衛です」


私は肩をすくめた。


(前世で散々、不当な扱いを受けましたからね。契約書は、自分を守る最強の盾。それを教えてくれたのは、他でもないブラックな社会です)


この一文がある限り、ロベルトがどれだけ命令を重ねても、私は法的に一切応じる義務がない。


彼自身が承認した契約が、彼自身を完璧に締め出している。


私は伝令鳥に、たった一文の返信を結わえた。


『――契約書第十七条をご確認ください』


それだけ。


感情も、恨み言も、何もいらない。


知恵という武器の前では、王命など、ただの紙切れだ。


伝令鳥が飛び去るのを見送りながら、アルヴィスがぽつりと言った。


「……お前は、敵に回したくない女だな」


「あら。味方でよかったですね」


私が差し出したおかわりのコーヒーを、彼は少しだけ、嬉しそうに受け取った。


◇◆◇


世界樹枯死まで、あとわずか。


カウントダウンは、いよいよ最終段階に入っていた。


私は動いた。私怨のためではない。


(この世界を救うのは――私が、そうしたいから)


アルヴィスに伴われ、私は世界樹の地下神殿へと降りた。


「行ってこい。俺は、ここで待つ」


不器用な、けれど確かな信頼を込めて、彼は言った。


私は根に手を触れ、《解析》を発動する。


世界のコードが、津波のように押し寄せた。


そして――見つけた。


セレネの魔法が繋がる、生命力の違法搾取ルート。無自覚に世界樹を蝕み続けてきた、不正なアクセス経路。


「――アクセス、遮断」


パチン。


その音は、遥か遠く、王国の大聖堂にも届いたはずだ。


◇◆◇


同時刻、ラグディア王国、祭壇の上。


「あ……ぁ、うそ……」


セレネの体から、光が完全に消え失せた。


攻撃魔法も、回復魔法も、何もかも。彼女を彩っていたすべての力が、一瞬で霧散する。


「魔法が……わたしの、力が――!」


力の源を失ったセレネの前で、これまで奪ってきた功績も、ついてきた嘘も、すべてが白日の下に晒された。


聖水も、帳簿も、瘴気対策も。何ひとつ、彼女の手柄ではなかったという真実が。


「そんな……わたしは、本物の聖女……本物の……」


崩れ落ちる偽物を、誰も助けなかった。


王太子ロベルトは、玉座で呆然と天を仰いだ。


「……ミナ、だったのか。すべての要は。最初から、あの女が――」


失ってから、ようやく気づいた。


だが、後の祭りだ。


◇◆◇


地下神殿。


セレネの搾取を停止させた私の前で、《ユグ》の光が静かに満ちていく。


『違法アクセスの遮断を確認。世界樹の生命力、回復に転じた』


「よかった。間に合いましたね」


『――担い手よ。正式な管理者契約を結ぶ意志はあるか』


私は、まっすぐに光を見つめた。


「はい。この世界の管理者権限、私が引き継ぎます」


光が、私を包み込んだ。


温かく、静かで、途方もなく巨大な力が、体の奥に根を張っていく。


新たな「根の聖女」の覚醒。


感情的な復讐ではなく、契約と、データと、知恵で。


私は静かに――勝った。


◇◆◇


季節は巡り、辺境都市フロストハイムに、穏やかな朝が訪れていた。


私は世界樹を管理する「根の聖女」として、この地に根を下ろした。


瘴気の浄化事業は軌道に乗り、薬草栽培は辺境を潤している。前世の効率化スキルは、こうして人を苦しめるためではなく、豊かにするために使えるのだと――ようやく知った。


忠実な侍女リリーも、私を慕って王国から辺境まで追ってきた。


「ミナ様! わたし、ずっと信じてました……!」


涙でぐしゃぐしゃになった彼女を、私はそっと抱きしめた。


(ありがとう。あなたのおかげで、私は独りじゃなかった)


そして、私の隣にはいつも――


「ミナ。……その、あれだ」


銀髪の辺境伯が、専用のマグカップを片手に、もじもじと立っている。


「コーヒーですか?」


「……もう一杯、頼めるか」


氷が溶けたような、柔らかい表情で。


『竜殺しの氷将軍』は、今日も私の前でだけ、子竜のように甘えていた。


「はいはい。今淹れますね」


穏やかな、新しい生活。


理不尽に耐え続けた社畜聖女は、ようやく――報われた。


◇◆◇


その夜。


私が世界樹の根に触れ、日課の「システム点検」をしていたときだった。


『――担い手よ』


《ユグ》の光が、ふと揺らめいた。


いつもの淡々とした声に、わずかな緊張が滲んでいる。


「どうかしましたか?」


『ひとつ、伝え忘れていたことがある』


「伝え忘れ? あなたが?」


几帳面なシステムに似合わない言葉に、私は思わず首をかしげた。


『あの断罪の日、お前に視せた神託――あれは、すべてではない』


光が、ゆっくりと大きくなる。


『まだ視せていない神託が――もう一つ、ある』


私の視界の隅で、見たことのないコードが、ちらりと明滅した。


それは、この世界の根幹に関わる、まだ誰も知らない何か。


「……それって、良い話ですか? 悪い話ですか?」


《ユグ》は、答えなかった。


ただ、光がわずかに揺れる。


まるで、次の物語の幕が、静かに上がろうとしているかのように。


(……あー、はいはい。今度は何ですかね)


私は溜め息をつきながら、けれど――


どこか楽しみにしている自分に、気づいていた。


コーヒーを、もう一杯淹れよう。


長い夜に、なりそうだから。

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