第九話~街道の宿場~
マドラック領へはシェリアとルミナ、そしてマスカルの他に三名の騎馬隊が同行する事になった。
街道を進む馬車の中、ルミナははしゃいでいた。彼女にとってここまで来る事は珍しいから。
そして街道が素晴らしい出来だったから。
それはシェリアも同じで、心弾ませながら進んでいくのだった……。
全員揃うのに少し時間がかかった。みな忙しく、自分の仕事を抱えているから招集してもすぐに集まらない事は多い。その間、私は何度も何度もこの便箋を見てどうすべきか一人考え続けていた。
「遅くなりました」
最後に現れたのはグレッグだった。彼は息を切らしながら執務室のドアを開けて入ってくるなり、深く頭を下げる。
「任務中に呼び出してすまない。西の視察をしてくれていたんだろう?」
「はい。問題はありませんでした。領民も麦の栽培に力を入れてくれているみたいです」
「報告ありがとう、感謝する」
そう言って座るよううながすと、グレッグが一礼してから席に着いた。全員揃ったのを確認すると、私は手元にあった便箋をテーブルの中央に置いた。
「みな忙しい中、本当にありがとう。呼び出したのは他でもない、マドラック家からの書簡が届いたのだ」
全員の視線が便箋に集まる。そして各自その内容を把握したのか、一様に眉根を寄せた。
「見てわかるよう、呼び出しだ。確かに何だかんだと一年近くは会っていなかったから、そろそろだろうとは思っていた。だがまぁ、実際このような書簡が届くと嫌な気持ちにはなるな」
場を和ませようかと自虐的にそう言うが、みな真剣にうなずく。私は気まずくなって咳払いをし、もう一度全員の顔をのぞいた。
「行かねばなるまい。それ以外に解決策のあるものは是非意見を言って欲しい」
けれどそれには誰も手を上げなかった。当然だろう、他に選択肢なんかあるわけない。まだマドラック家とやり合うには財力も兵力も何も無い。ここで相手の機嫌を損ねれば、我が領は干上がってしまう。
だからこそマドラック家もこのような粗暴な書簡を寄こすのだ。力関係をわかっているから。
「参加は致し方ないとして、同行する人員は決めたい。と言うか、もう私なりには考えてあるのだが」
「ほぉ、それはお聞かせ願いたい」
サイルード先生が私を見ると、私はその視線を少し合わせてからその隣に移した。
「ルミナとマスカル、そして三名の兵で向かおうと思ってる」
「えっ、私ですか?」
驚いたルミナに視線が集まる。細かに左右を見ては落ち着かず、挙句の果て困ったようにうつむくルミナに私は優しく声をかけた。
「今回はパーティーという事なので、私の身だしなみを整えてもらいたい。移動も馬車を使う。一人でも出来なくはないが、やはりルミナに任せた方が安心だからな」
「わかりました」
意を決したルミナが私に力強くそう言うと、同じく目に力を入れて私もうなずいた。そして次にグレッグを見る。
「以前襲撃に遭ってから身辺の事は気にかけるようにしているが、今回はパーティーという名目の呼び出しだ。大勢で行くわけにもいくまい。だからマスカルを同行させる。あと、念のために今回は兵にも馬を使わせる。馬があれば少数でも幾らかは優位に立てるだろう」
「わかりました。ですがマスカルで大丈夫なのでしょうか? もし屋敷の中で以前のような無礼な発言を聞いた時、マスカルなら抑えが利かないのでは……」
グレッグが心配するのはもっともだった。武勇こそ優れているが大局を見る力はあまりないマスカルが私を侮辱する言動を見聞きしたら、間違いなく暴れるかもしれない。そうなれば一大事だろう。
だが私はそうならない確信があった。
「その点は心配していない。きっとあの屋敷の大広間がパーティー会場だ。マスカルは立ち入りすら許可されないだろう。さすがに屋敷の外ならば多少の声など聞こえまい」
「なるほど、そうかもしれませんね。ならその時のためにマスカルに声をかけておきます」
グレッグがそう言うと、私はそのまま彼から視線を外さずに言葉を続ける。
「グレッグには私が不在の時に治水事業を滞りなく進めて欲しいのだ。つまり東のため池と農業用水路の整備、および南の森の開墾。その監督が出来るのはマスカルでは務まらないだろう?」
「わかりました、留守の間に滞らぬようにしておきます」
グレッグが深々と頭を下げると、それが閉会の合図となった。
書斎に戻って一息ついていると、静かにドアがノックされた。この感じはルミナだろう。私が入室を許可すると、案の定ルミナがティーセットを脇に抱えて入ってきた。
「お茶でもいかがでしょうか、シェリア様」
「ありがとう、もらうよ」
まだ少しドアが開いていたため、領主とメイドの関係で応対する。けれどドアが閉まればふっと空気が和らいだ。それでもルミナはいつものように丁寧にお茶を淹れる。流れるような美しい所作。これは彼女の誇りなのだから、手抜きは見せない。
「はい、どうぞ」
「うん、ありがとう。あれ、いつもと香りが違うね」
そう指摘するとルミナは花が咲くような笑顔を見せた。
「良く気付いたね。今日買い出しに行ったら行商人が何人もいて、その中に王都で良く飲まれているって茶葉があったんだ。毒見しても何でも無かったから、シェリアにも飲んでもらいたいなって思って」
「嬉しいね」
私はそっとティーカップを口に寄せた。まだ湯気だっているため、少量を口に運ぶ。するといつもより甘く、少し強めの香りが新鮮だった。
「うん、美味しい。それに何だか安らぐね」
「でしょう。私もマドラック領へ行く前はまたこれ飲んでおかないと」
屈託なく笑うルミナに私はカップを置き、じっと見詰めた。
「緊張してるのかい?」
「当たり前だよ。マドラック家は怖そうだし、私はそんな作法とかもよくわからないからシェリアに恥かかせるかもしれないからさ」
真剣にそう言うルミナに誇張の様子は無かった。確かにルミナが他の領地に行く事はこれが初めてかもしれない。表面上は友好を装っていても、領主のジャイカ殿や息子のカリルがあぁなので不安に思うのも当然だろう。
「大丈夫、ルミナの所作は美しい。何も悲観する事は無いよ。それに何かあったら必ず私が守る」
「……それは領主として? それとも、恋人として?」
「もちろん両方だよ」
優しく微笑むとルミナも少し安心したように微笑んでくれた。そうしてほぼ同じタイミングでティーカップに手を伸ばす。少し飲みやすくなったお茶が心地良く体に広がり、私の中にある強張った心を溶かしていく。
「これ以上心強い言葉は無いね」
「ルミナは私が全身全霊で守るよ」
「ちょっともぉ、恥ずかしいよ。そんな真っ直ぐな瞳で言われたら……」
真っ赤な顔になりうつむくルミナが可愛くて、つい私は本音を誇張してしまう。愛らしい黒髪が小さく揺れ、私がそっとそこに手を伸ばすと驚いたようにピクリと身体が跳ねた。
「やだもぉ、ほんと恥ずかしい。びっくりしたよー、シェリアの意地悪」
おずおずと赤い顔を上げて私を少し責めるようなルミナが可愛くて、劣情を抱きそうになった。こんなの男だろうが女だろうが関係無い、そのくらいの破壊力がある。だからこそ、マドラック家の豚共には指一本触れさせはしない。
「ごめんよ。でも可愛すぎるルミナが悪いんだよ。ねぇ、お願いだからこんなの他の誰にも見せないで。私以外に見せないで。他の誰かにルミナの甘い顔を知られるなんて私、きっと耐えられないから」
胸の奥が熱く疼く、手足の先端が甘く痺れる。私はそっとルミナの頬に手を添えそう言うと、ルミナが小さく笑った。
「それは領主として? それとも、恋人として?」
「恋人として」
切なさが胸を刺し貫いた時、ルミナの顔がもう近付いていた。
マドラック領へと向かう馬車には私とルミナが並んで座っていた。護衛にはマスカル、そして三人の騎馬隊。いずれも腕に覚えのある者達で、この四名は我がルクレスト領内でも武勇において精鋭だ。
グレッグに頼み、思うところあってそうしてもらった。杞憂であればいいのだが、用心するに越した事は無いだろうというのがグレッグとの共通見解だった。
「シェリア様、素晴らしい街道ですね。私初めてここまで来ましたけど、ちゃんと石畳が敷かれてあって馬の通るところも整地されているから振動も思ったより少ないですね」
ルミナが小窓から外を見て、はしゃいだように口を開く。彼女は普段屋敷と中心部にしかいないから、随分と新鮮なのだろう。
「あぁ、確かに素晴らしい出来だ。誇らしく思うよ」
マドラック領へ向かうには東の街道を使うしかないのだが、道路事業によって整備された道は馬車で揺られている時でも以前に比べて快適だった。以前は馬で行ったのだが、その時は馬も歩きにくそうにしていたし、木の枝だって街道へと伸びていた。
しかし今、馬車は何を避ける事も無く踏み固められた道を真っ直ぐに進んでいる。
「あ、シェリア様。行商人ですよ。さっきも見ましたから、結構往来があるんですね」
これについても以前私がマドラック領へ向かった時とは違う。あの時は往復で一人二人見たくらいだ。でも今はまだルクレスト領の端に来ていないのに、もう五人は見ている。
私は気分が良くなり、馬車の前に進むとほろを開けた。
「マスカル、どうだこの街道は?」
するとマスカルは赤い髪をそよ風になびかせながらニカッと歯を見せて笑う。
「最高です。こんなに進みやすい道、なかなか無いですよ。俺らも手伝った甲斐がありました。なぁ、みんな」
大きな声でマスカルがそう言えば、騎馬隊の三人も嬉しそうに笑った。
「はい、素晴らしいです。私は見回りでも使わせてもらっているんですけど、明らかにかかる時間が変わりましたね」
「馬も走りやすそうで、いいですよ。シェリア様、ありがとうございます!」
「正直最初はわからなかったのですが、こうして出来てみるとどうして今までやらなかったんだろうって思うくらいです。ありがとうございます、シェリア様」
威勢の良い賛辞に私は苦笑し、私は振り返ってルミナを手招きする。何事かと不思議そうなルミナは私と並ぶようにほろから顔を出すと、私はルミナの肩を抱いて指さした。
「みなの者、道路事業を提案したのは私ではない。このルミナだ。私ですら及ばなかった考えを言ってくれたからこそ、今日の街道があるのだ」
高らかにそう言えば、マスカル含めた四人がおぉっと歓声を上げた。馬車の手綱を握る御者も満足そうに笑う。そして一様にルミナを褒め称える声が大声で響く。
「やめて下さいよぉ、シェリア様」
小さな声で不満気に呟いたルミナが見せたのは恋人としての顔だった。
「それじゃあ今日はここで泊まる事にしましょう」
マスカルの言葉に私はほろから顔を出すと、木造の平屋が二棟並んで建っていた。一棟は行商人や領民のため、もう一棟は兵士専用の宿舎となっている。これは街道に宿舎を建てるよう指示した時にそうしたのだった。
「完成したのを見るのは初めてだけど、なかなかの造りだな」
感心したように私がそう言えば、マスカルは白い歯を見せて笑った。
「なかなかのものですよね。やはり屋根があって雨風を防げるのは野宿とは大違いですよ。それにこの道路もいいですよね。今までは一日半かけないとここまで来れませんでしたが、朝に出て日暮れ前には到着できました」
「そうだな。効率が随分良くなっている」
私は御者に手を引かれて馬車を降りると、ルミナもそれに続いた。もう少し先には領地の境目となるマリノ川も見える。辺りも藪は払われ木々も幾らか伐採されて見通しが良くなっているのは以前と比べても大違いだった。
「わぁ、こんな素敵な場所が出来たんですね。これなら交易するのに便利ですね」
ルミナも目を輝かせ、宿舎を眺める。私達が泊まる方の隣からは行商人達が出入りし、外でくつろいでいる人もいた。きっと小さな市場も時には開催されているのかもしれない。
「さぁ、シェリア様。中にお入りください」
マスカルがそう言うが、私は外でくつろいでいる人の傍へと歩み寄る。慌ててマスカルとルミナが近寄ってきた。
「こんにちは。今日は行商でここに来ているのかね?」
私がそう声をかけると、ひげ面の四十男が驚いたように顔を向けた。きっと後ろに兵士を従えているからだろう。
「あ、はい。マドラックからルクレストの方へ行く途中です」
「荷はどんな物を?」
「服なんかを売りに行こうと思ってます。ルクレストの方には初めて行くんですが、最近この街道が使いやすいから行った方がいいと仲間に言われて」
「そうか。どうかね、この街道は。とは言ってもまだルクレスト領に来たばかりだからわからないか」
私が微笑むと、四十男が愛想笑いを浮かべながら頭をかいた。
「そうですね。でもこんな立派な宿場があるのは嬉しいですし、ここから先は石畳が続いているので歩きやすそうですね。こんなの王都でもなけりゃ見た事無いですよ」
「そうか、ありがとう。貴重な意見をもらえて嬉しいよ。私はルクレスト領主のシェリア=ルクレスト。何かあれば途中の兵にでも中央に行った際にでも意見を言ってくれ。貴方達の意見が我が領を発展させてくれるのだから」
すると四十男はびっくりしたように目を丸くし、ぺこぺこと頭を下げた。
「領主様だったんですか。それはとんだご無礼を」
「あぁ、いい。気にしないでくれ。それより我が領を気に入って、また交易に来てくれると助かる」
「はい、必ず」
四十男は何度も頭を下げ続けたので、私がここにいる間そうさせてしまうと思い離れる。彼らにとって休息も仕事のうちだろうから。
「シェリア様、急に話しかけたら危ないですよ」
小声でルミナがそう注意すると、確かに軽率だったなと反省するしかない。それでも少し開けた場所に宿舎があり、目の前には舗装された道。私達の計画が形になっている。
満足そうに眺めていると寒風がひゅうっと吹き、木立を揺らす。だが頬を冷たくさせる風をも愛おしく、私はこの光景をしばらく眺めていた。
「シェリア様、そろそろ中へ。風邪を引くと大変ですよ」
ルミナに言われ私は宿舎の中に入る。中は暖炉もあり温かく、当直の兵の他に二名の兵が出迎えてくれた。私は小さく頭を下げながら周囲を見回す。小さな炊事場とテーブルが一つに椅子が四脚。左奥にはドアがあり、入口から真っ直ぐ進んだ先にもドアが見える。
「部屋の案内をして欲しい」
マスカルにそう声をかけると、元気良い笑顔が向けられた。
「はい。左奥には寝所があります。ベッドは四つ。簡素な造りでシェリア様を横にさせるには心苦しいのですが、無いよりはマシですよね。こっちのドアは便所と物置に通じています。幾らかの食料もありますから、夕飯ももちろん作れますよ」
「いや、素晴らしい。以前はそこらの木の下で寝るだけだったからな。ルミナ、みなに食事の支度をしてあげてくれないか」
「はい、もちろん」
その返事にそこにいた全員が嬉しそうな歓声を上げた。
夕飯は野菜の煮込みスープと保存してあった大麦のパン、そして今日釣ったという川魚の串焼きだった。温かい食事は身も心も癒してくれる。特にスープが美味しい。そしてそれは兵士達も同様で、ルミナの食事を頻りに褒めていた。
「凄い美味しいです。元気出ます」
「お口に合って良かったです。スープはまだありますから」
「あの、もう一杯もらっても?」
「飲んどけ飲んどけ。ルミナ様のご飯なんかなかなか食えないからな。お屋敷の料理も担当されているんだ。つまりは宮廷料理だぞ」
マスカルが豪快に笑っておかわりを申し出た兵士の肩を組むと、ルミナが照れ臭そうに笑う。
「みなさんが食材を調達してくれたからですよ。こんな素敵な宿舎まで建てていただいたおかげです」
「いやいや、それはシェリア様がご決断してくれたからですよ。おかげで我々、夜間の見回りの際もこうして休める場所ができましたから」
「喜んでくれて何よりだよ」
嬉しそうな顔が私の頬をほころばせる。こうした笑顔があるからこそ、報われると言うものだ。
「まぁ、計画はこの宿場と道路だけじゃない。ゆくゆくはもう少ししっかりした設備を作ろうとも思っている。小さな町になってもいいな」
「おぉ、それは素晴らしい。領土の境界にそれができれば、ますます発展しそうですね」
「じゃあ我々もここをしっかり守って整備しないと」
笑い声がいつまでも響く。私もルミナもマスカルも、そして兵達も同じものを食べ同じ話題で笑う。先の事を考えるのもいいけど、今はこの瞬間の幸せに浸りたい。そして幸運な事に、それが叶う。
左奥の寝所は簡素な木のベッドが四つあり、鹿の皮をなめしたものが敷かれてあった。その上にはややくたびれた毛布。部屋の片隅には暖炉があり、奥には非常用だろうドアがあった。
だから部屋の中もほんのり温かく、風が強くなってきた外の影響をほとんど受けない。私とルミナ、そしてマスカルがベッドで寝る。護衛の三人は話し合いの結果一人だけベッドで寝る事になり、他の二人は壁にもたれて寝るみたいだった。
ちなみに寝る前、湯を沸かし布で体を拭く事が出来たのでかなりサッパリできた。ルミナもだ。以前と比べると本当に快適になった。もちろん上を見ればキリが無いけど、足るを知れば快適だと素直に思える。
色んな考えが浮かぶ。これを作ればもっと喜ばれるんじゃないか、これをやればもっと栄えるんじゃないか、こうすればもっと効率が良くなるんじゃないだろうかと。それを考えるのが何よりも楽しい。
しかし優先順位が必要だ。やはりもっと人を呼び込んで、出来る事を増やさないと次の段階には進めない。次の段階に行ったとしたら、きっと私は……。
取り留めのない考えがいつしか意味不明な妄想に変わった頃、私は眠りに落ちていた。




