第四話~シェリアの告白~
マドラック領から三日かけて帰ってきたシェリアは休むことなくみなを執務室に集めた。
そうして道路事業の合意を得た事、マドラック家の様子、そして息子カリルの事を報告する。
各自が動き出し、シェリアは休息のため書斎にルミナを呼んでお茶を淹れてもらう。
そしてシェリアが「どうして繁栄させるのか」本当の動機を告白するのだった……。
「おかえりなさいませ、シェリア様」
また三日かけてようやく自分の屋敷に戻ると、庭の手入れをしていたルミナが嬉しそうに近寄って頭を下げた。その笑顔を見た途端、やっと帰ってきたのだという実感が湧き上り、自然と笑みがこぼれる。
「ただいま、ルミナ。留守中は何も無かったか?」
「はい、問題ありません。お疲れでしょう、お風呂の支度をしましょうか? それともお食事でしょうか?」
正直、野宿の連続で疲れているし髪も身体もベタついている。グレッグは何ともなさそうにしているが、徒歩で護衛をしてもらっていた兵達は気丈に振舞っているけど疲れが見える。
「いや、後にしよう。グレッグ、兵達を休ませるよう手配してくれ。その後は執務室に集合だ。今回持ち帰った話を至急共有したい」
「わかりました」
ただちにグレッグが兵達に解散を告げて家で休むよう伝えると、兵達は私とグレッグに頭を下げた。私も馬上でそうすると、今度はルミナの方へ向き直る。
「ルミナはバーホンとサイルード先生を招集してくれ。それが終わったら、少し休む」
「はい」
ルミナが一礼すると、すぐに屋敷の中へ戻った。私はそれを見届けると、グレッグと共に厩舎の方へと向かう。この馬達もよく働いてくれた、少し良いものを食べさせるよう馬番に伝えておこうかな。
私は馬の背をそっと撫でると、その体温を感じて微笑んだ。
屋敷へ戻りルミナに頼んで冷たい水で喉を潤すと、すぐに私はルミナと共に執務室へと向かった。号令をかけたのはつい先程なので、まだサイルード先生は到着していない。それでも屋敷からそう離れていない場所に居を構えているから、間も無く来るだろう。
「シェリア様、長旅お疲れ様でした。お体の方は何ともございませんか?」
執務室で待っている間、バーホンが心配そうに声をかけてきた。疲れはあるが、問題は無い。だから笑みを浮かべ、一つうなずく。
「ありがとうバーホン、私は大丈夫だ。これが終わったら少し休ませてもらうけど」
「そうしていただきたく思います。グレッグ殿も道中大変でしたでしょう」
「私は問題ありません」
力強い言葉にバーホンは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「さすがはグレッグ殿ですな」
するとゆっくりと執務室のドアが開かれた。そこにはサイルード先生が少し息を切らしている姿が見えたので、私は驚いて近寄った。
「サイルード先生、どうしたのですか?」
「あぁ、いや、シェリア様が戻ってきたのは街の様子からわかったのですが、お声がかかったので何か緊急の用かと思って急いで来ただけです」
「急かしてしまって申し訳ない、サイルード先生」
私は頭を下げると、サイルード先生を椅子まで導いた。そうしてみんなが集まった事を確認すると、上座に立つ。
「急な呼び立て、申し訳ない。ただ、一刻も早く今回の会談の内容をみんなと共有したく思って声をかけさせてもらった。まずは座って欲しい」
私の号令にみなが静かに一礼すると、席に着いた。私も頭を下げ、領主の椅子に座る。
「まず結論から言うと、マドラック家との道路事業は合意となった」
おぉっという歓声の後、静かな拍手がさざ波のように広がった。
「手紙にあったような婚姻話は延期させた。とは言ってもせいぜい数年。その間に両家友好の証として共同で道路事業を始める事となった。ここまでは計画通りだ」
静かにうなずく面々を見ながら、私は場の空気を変えるよう大きく息を吐いた。
「ただ、マドラック家はやはりあまり信頼に値する家ではないというのも今回の収穫でもあった。そうだろう、グレッグ」
グレッグはマドラック家での出来事を思い出したのか、忌々しそうにうなずいた。
「はい。特に息子であるカリル=マドラックはシェリア様をぞんざいに扱うどころか、言い方は悪いですがまるで娼婦にでも接するような態度でした。社交辞令はおろか、傲慢を隠しもしない人物でしたね」
場が少しざわついたが、それまでだった。マドラック家はそもそもあまり良い噂を聞かないし、私の父も生前気をつけろと忠告してくれたくらいなのだから。
「話を戻そう。道路事業においてそんなマドラック家が本気で取り組むとは思えない。せいぜい街道の藪や小枝を払うくらいだと思っている。いや、少しくらいは細い道を広くするかもしれない。だが所詮、その程度だ」
「それでは道路事業の成功は難しいのでは?」
バーホンの疑念はもっともだった。けれど私は最初から、この計画にマドラック家が本気の乗るとは考えていない。
「私はこの事業が両家合意したという事実が一番欲しかったのだ」
力強い私の宣言にバーホンは眉根を寄せるしかなかった。
「両家が合意した時点で、我が方の道路事業の責任は誰が見ても自治領内でしか無いのだ。勝手に相手領地に作るわけにもいくまい。そして大々的にこの事業を宣伝すれば、マドラック領の道路がみすぼらしければ不満はマドラック家へと向かう。対して我が方が立派な街道整備をすればするほど、評判は上がるのだ」
「なるほど。境界の境目から街道がすごく整備されたものになれば、行き交う者達も我が方に期待を抱きやすくなるかもしれませんな」
バーホンが納得していると、サイルード先生が小さく手を上げた。
「少しよろしいでしょうか。街道が整備されるとして、シェリア様はどのくらいの規模をお考えなのでしょうか?」
「人が歩く所を石畳にする。幅は人二人が並べるほどだ。馬はその脇を整備し、地固めする」
「……それはまた、随分な計画ですな」
少し呆れたようにサイルード先生が腕組みをした。確かに境界までとはいえ、かなりの距離がある。それに全て石畳を敷き詰めるなんて狂気の沙汰と思われても仕方ない。
「私は半年から一年以内の完成を目指している」
にまりと笑いながら宣言すれば、サイルード先生が強く眉根を寄せた。無謀だと言いたいのだろう、愚かな教え子だと思っているのだろう。
ただ、私には勝算があった。
「街の職人には頼みません、職の無い人達を募集するのです。家業が暇になっている人、日雇いの金が欲しい人、愛国心溢れる人、それらを活用していきます。兵士達も見回りの人材をギリギリ確保し、残りを道路事業に交代で入れます。監視役も含めて」
「職人に頼らないのであれば、事業成立として難しいのではないのでしょうか?」
サイルード先生はまだ疑問が残っているかのように私を見る。師の言葉は確かに的を射ているが、それでは進まない事もこの立場ならわかっている。
「むしろ逆です。我が領地にはそこまで職人がいないので、そこにかかりきりにさせてしまうと本業に差し支えます。もちろん、最初の方は監修を頼みます。けれど、一度覚えてしまえば後は募集した人達でやってもらうと思っています。最初から大きな完成は目指さない、予算も時間も足りないですから」
「わかりました。では私の方でそのような規模であればどの程度の石が必要なのか、どのくらいの予算と時間が必要なのか算出しておきましょう」
結局、領主という私の立場に押し切られてサイルード先生はうなずくしかなかった。
「最後に、私が明日の昼前に町の広場で説明会を行う。グレッグは兵達に声をかけ、領民にその旨を伝えておくように。兵達には所々に立て看板も設置しておくようにも伝えてくれ。文面は後で渡す。バーホン、町の有力者にこの件を先に伝えておいてくれ」
「わかりました、すぐに手配いたします」
バーホンとグレッグが頭を下げると、私は立ち上がった。
「それでは一旦これにて解散する。私は少し休ませてもらう。ルミナ、書斎にお茶を頼む」
私が閉会宣言をすると、すぐに各自動き出した。
書斎に入った私は大きく息を吐き出しながら、深々と椅子に座った。座り慣れた椅子だが、マドラック家の椅子を知ってしまった今は硬く感じる。長旅の疲れが今になって襲い掛かり、身体の節々が痛い。
やるべき事は多い。だが今は休息だ。無理をして倒れるのが一番よくない。
窓の外へ目を向ければ、静かな森が広がっている。父がいた頃から見慣れた光景。きっと私は一生この景色を見続けるのだろう。母は幼い頃に亡くなってしまったため、ほとんど記憶に無い。願わくば三人でもっと見ていたかった……。
ほどなくして小さなノックが響いた。
「ルミナです、お茶をお持ちいたしました」
「どうぞ」
許可を出すとルミナが頭を下げ入ってきた。いつものティーセットを抱え、すぐに準備する。私はその流れるような所作を見るのが好きだ。細い指がポットを押さえお湯を注いでお茶を淹れる様子はいつだって美しい。
やがて私の方へとお茶が差し出された。そしてルミナは自分の分も淹れる。これはこの部屋でのルール。私一人で飲む事を私が良しとしないから。
「長旅お疲れ様、シェリア」
「ありがとう、ルミナ。確かに疲れたよ、野宿はいつだって大変だしさ」
私がうんと伸びをすると、包み込むような笑みをルミナが向けた。
「街道が整備されればもう少し楽になるかな」
「そうだね。途中で休憩小屋みたいなのでもあればいいなと思ったよ。それも道路が整備されて、見回りの兵士が増え、悪い奴らが居つかないようにしないとならないけど」
「先は長いね」
「そうだね。でも、絶対に私はもっとここを良くする。マドラック家との結婚なんてまっぴらだからね。そんな必要が無いくらい栄えさせれば、その話自体を断れるだろうさ」
私が笑えば、ルミナも同じように笑った。しかしすぐルミナは少し真面目な顔をしながら私を見詰めてくる。
「シェリアならできるよ。ところでそのマドラック家との会談はどうだったの? 結婚相手とされる人と会ったんでしょ? グレッグさんからさっき話は聞いたけど、実際どんな人だった?」
「会ったよ。どんな人ってそうだなぁ、一言でいうならば女を娼婦としてしか見て無いような人物かな。傲慢で礼儀も無く、私を馬鹿にしたような振る舞いだったよ。グレッグの言ったままが事実だよ」
話すにつれルミナの顔が嫌悪感で曇る。
「見た目だって太っている蛇みたいな感じだった。あんなのと結婚なんかしたら、一時間しないうちに自害するね」
「あぁ、それならなおの事、復興も頑張ろうって気になるよね」
「そうだね。ただ、それだけじゃない。結婚したくないから繁栄させようとしているけど、それだけが理由じゃない」
私が小さく笑えば、ルミナは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。そうだよね、領民のために頑張るんだよね」
「ううん、違う。いやそれもあるけど、私の本心は違う」
ルミナの不思議そうな顔を眺めながら、私はお茶を口にした。爽やかな芳香が鼻から抜ける。少し甘く、雑味が少ない丁寧なお茶。私の大好きな、ルミナのお茶。
「私はルミナを愛している。何人たりとも邪魔できぬようにしたいだけ」
「……シェリア、それは嬉しいけど駄目」
少し日に焼けた顔を真っ赤にし、ルミナがうつむく。
「駄目なものか。私は前からそう思っていたし、領主になった時になお強く思った。私は結婚なんかしない。ルミナと共に生きるために何でもすると」
「だってそれじゃ、家が続かない」
「それに関しては問題無い。私の代で世襲を終わらせるから」
「えぇ? そんな事本気で思ってるの?」
驚いたルミナが顔を上げる。まだ真っ赤に染まっているその顔が可愛らしく、私は思わずにやけてしまう。けれどすぐ、強くうなずいた。
「本気だよ。そしてそれは今回、マドラック親子を見てなお強く思えた。どうせ貴族とはいえ大した事無い血筋。それよりも優秀な人材を育成し、私の方針をちゃんと理解してくれる人に跡を任せた方が良いに決まってる」
「でも、それはさすがに」
「もちろん、それこそ数年でどうにかなる問題じゃない。ただ、そのくらい私は本気でルミナが好きなの。そしてこれは意地悪な話だけど、ルミナも私の事を好きなのは知っているんだから」
声にならない声を上げ、ルミナは更に真っ赤になって自分のスカートに顔を埋める。
「だから何の問題も無いでしょう」
私は席を立ち、そっとルミナの頬に手を添えて顔を上げる。今にも泣きだしそうなルミナは真っ赤になりながら、観念して私を見ていた。
「あるよ、問題」
声を震わせ、ルミナが私により強い視線を向けてくる。
「どんな問題?」
それを受け止め、見詰め返す。世界が私達だけのものになるのがわかる。時がゆっくりと進む。だけど胸の鼓動は変わらず速い。
「シェリアにそんな事言われたら、もう私我慢できなくなっちゃうよ。ずっと、ずっと我慢してきたんだから。メイドとして、友達として仲良くさせてもらっていたけど、ずっと好きだったんだから。でも立場があるからって、ずっと隠して生きて行こうとしていたのに、なのに……」
私はそっとルミナを抱き締めた。ルミナも私の背に手を回し、顔を私の胸元に埋めながらしゃくりあげる。
「もう隠さなくてもいいんだよ。この書斎と寝室だけは何も隠さなくていい。ありのままのルミナを見せて欲しい。もちろん私も見せる。広い世界で、ここだけは正直な場所にしたい。それでいいかな?」
「いいもなにも、シェリアはルクレスト領主でしょ。シェリアの発言は断れないに決まってるじゃない」
ルミナは私の胸元から顔を上げると、真っ直ぐに泣き顔を見せてきた。私はその発言に薄く笑い、ゆっくりと首を横に振った。
「領主だからじゃなく、一人の女としてルミナを愛したいんだよ」
「だったらなおさら断れないよ」
あぁ、愛おしい。そんなルミナが好きなんだ。
一生懸命に職務を遂行するけど、こうして二人きりの時には少しワガママで愛嬌があり、私を気遣いつつも好きを隠しきれていない様子が。
すっとルミナの目が閉じた。恥ずかしさか泣き濡れたからか真っ赤な顔をしているけど、静かに目を閉じたその様子は美しい。私は自然と吸い寄せられるように顔を近付けていく。互いの顔の温度がわかるくらいの距離、緊張するルミナの鼻息が私の顔を撫でる。可愛らしい唇は少し震えていたけど、いつだって綺麗。
自然と私の目も閉じていき、そうしてそっと口付けを交わした。
それは思っていたよりも柔らかく、でも思ってたよりも湿ってはいなかった。けれど思っていた以上に感動と興奮が胸を熱く昂らせた。数瞬、唇が触れ合うだけの行為。ただそれが互いに想い合っていた者同士ならば、こんなにも素敵に思うのか。こんなにも心ときめき、もっと欲しいと我を忘れてしまいそうになるのか。
そんなの初めての体験だった。
いつだって人の上に立つ者だからと、自分を律してきた。楽しい事や嬉しい事、悲しい事や悔しい事など色んな感情に翻弄されそうになったけど、いつも私はそれを忘れなかった。父が亡くなった時だって、取り乱すことなく葬儀を執り行えたのだから。
だけどこの喜びはまるで心の奥底を強制的に動かすかのような力がある。培ってきた理性全部吹き飛ばすような、私を形作ってきた規律を無視するかのような。そんな熱が。
もう一度私はルミナを見る。まだ彼女は目を開けない。それどころか私と触れ合ったからなのか、唇が輝いて見える。まるでそこに引き寄せられるのが当然のように、私はまたゆっくりと唇を近付ける。
だけど私は寸前である事を思い出し、ぐっと肩をつかんだまま顔を離した。
その様子が伝わったのか、おずおずとルミナが目を開ける。私はそんなルミナの目を見ると、何だか急に恥ずかしくなって目をそらした。
「ごめん、しておいてなんだけど……その、風呂に入っていない事に気付いて。口の中だって綺麗にしていないから……」
マドラック領で風呂に入ったとはいえ、それも三日前の話。途中野宿する時も川の水で身体を拭いたりしたけれど、それだけだ。いわば不潔な状態。男ならば気にしないのかもしれないが、女だからこそ気になるし気遣う。
だから離れた。けれどルミナはそんな私を笑う。
「気にしないのに、ここまで来たら。ほんと、真面目な人。だから好きになったんだけど」
面目なさ過ぎて何も言えない。ただ私は照れ隠しのように頭に手を添え、苦笑いを浮かべる事しかできなかった。
「評価が下がらなくて良かったよ」
私達はゆっくり離れると、小さく笑い合う。そうしてもう一度軽く抱き合うと、私はルミナの頭を抱きかかえながら静かに撫でた。
「お風呂を入れて欲しい。綺麗にしたい。その後、ゆっくり話そう」
「そうだね、ゆっくり話そう。色んな事を。夢も計画も現実も安息も苦悩も何もかも。私達にはそれが一番楽しいのだから」
きっと臭い身体だろう。そう思っていたけど、離れる時はやっぱり名残惜しかった。




