第二十七話~勝利の風~
カリルの部屋へと連れて行かれるシェリアとルミナ。グレッグはマドラック兵から暴行を受けていた。
もう目前と迫る地獄の時間。それでもシェリアは気丈に待っていた。
風が吹くのを。
ルミナの策が成るのを。
けれど、もう時間が無い。シェリアが覚悟を決めたその時だった……。
私とルミナは強引に二階へと歩かされ始めた。先導するのはカリル、鼻息荒くしながら巨躯を醜く揺らしている。私達の周囲には兵が三名、当然逃げられそうもない。
「貴様ら、許さんぞ!」
グレッグが大声でそう怒鳴った。それは館全体を震わせるほどの大声。まるで轟音のような声にみな驚くが、すぐにジャイカの指示で数名の兵がグレッグを取り囲み、殴打し始めたのが見えた。
鈍い打撃音とグレッグのうめき声。それが絶望を生み出し、涙目のルミナが私に寄り添って来た。
「シェリア様……」
震えるルミナの声に私は視線を向ける事しかできない。
「ルミナ、希望を捨てないで」
「でも、怖いです……」
すると階段を上り切ったカリルが立ち止まり、私達を見てニマニマと下品に口を歪ませた。
「おいおい、お前らそういう関係なのか? だったら前菜としてお前ら同士でしてみせろよ。その後、メインで食べてやるから」
「……相変わらず品性の欠片も無い下衆な物言いしかできないのだな」
「あぁ? その下衆にこれから服従されるくせに。いちいち生意気な女だな」
するとカリルの平手が私の左頬を打った。強い衝撃と、それなりの痛み。初めて叩かれた事にいくばくかの動揺が心に走り、恐怖が足を震わせようとする。
けれどそれでも私はそんな素振りを一つも見せず、睨みつけた。
「そうして権力と暴力で従わせてきたのか」
「あるものを使って何が悪い。お前にあるのはつまらん口先か? その口先はこれから喘ぐためだけになるけどな」
カリルの怒声に身がすくみそうになるが、何とか堪える。気丈に振舞って見せてはいるが、やはり目の前で男が怒鳴ると恐怖が身体を走ってしまう。ルミナの策があるとはいえ、目の前の豚がいつ狂いだすかわからない。いきなり殺そうとする恐れだってあるのだから。
だからこそ、弱さを見せない。きっとこいつはそれを見せた途端、興奮するだろう。そうなれば今よりも足早に二階の自室に連れ込もうとするはずだ。時間稼ぎの意味も含め、私が折れてはいけない。
だがまだ風は吹かない。
もう時間が無い、これ以上はカリルの手が及んでくる。それは直近の未来で。私達がこいつの部屋に連れ込まれたら、もうおしまいだ。すぐにでも襲われるだろう。
私はいい、どんな目に遭ってもかまわない。だがルミナは、ルミナだけは守りたい。
策の準備は整った、後は風が吹くだけ。しかしまだそれはない。もどかしさと間近に迫る恐怖に私は焦りを感じてくる。どうにかしないと、でもどうすればいい……。
「シェリア様、助けて……」
震えるルミナの声、すがる眼差しは涙で揺れている。あぁ無力だ。もし私にマスカルやゴルフィン殿のような力があれば蹴散らせるのに。今は恐怖で怯えるルミナを抱き締めてやる事すらできない。
だからできる事は時間稼ぎ。それだって今の私には幾らの手段も残されていない。
「ほら、ここが俺の部屋だ」
二階を少し歩いた先で、カリルが立ち止まった。赤い立派な扉はまるで悪魔の口のよう。私がひそかに唾を飲むと、気付いたのかどうなのかわからないがカリルが私達を舐め回すように見る。
「ここから先はお前ら、人として出られると思うなよ」
邪悪に口角を上げるカリルにルミナが怯えて体を寄せる。私はせめてもの足掻きとして、カリルを睨みつけた。
「それは一体?」
「入ればわかる」
最早時間稼ぎすらならない……。
もうこうなれば私から身体を捧げ、少しでもルミナへ及ぶ時間を先延ばしにするしかないだろう。大丈夫、怖くない。本当に怖いのは愛する人が恐怖と苦痛で顔を歪める事だ。私なら、我慢できる。その時が来るまで、絶対に耐えてみせる。
それでもこれから襲い掛かるだろう大いなる屈辱と苦痛に潰されそうなる。私は両手を握り、頭に浮かぶ醜悪なる光景を少しでも堪える覚悟を決めた。
その瞬間だった──。
風が、吹いた。
私は動きを止め、カリルを見ながらも耳に意識を集中する。すると確かに風が吹いていた。音が聞こえるのだ、勝利の風の音が。
鉄に彩られた、勝利の風が!
「さぁ、もうここまでだ」
私が大声で言い放つと、カリルを含めマドラック兵が訝しげにこちらを一斉に向いた。
「あん? 何がだよ?」
苛立った様子でカリルが私に視線を向ける。私はそれをものともせずに一つ微笑んでみせた。
「お前らの運命がな」
すると階下から大声が響いた。明らかにそれは混乱の声。カリルは眉根を寄せながら、兵の一人に何事があったのか見て来いと苛立ちながら指令を飛ばす。兵の一人は駆け足で会談を駆け下りていった。
「なんのつもりだ? 何をしやがった?」
「間も無くわかるさ」
不敵に微笑んだ私の頬をカリルが叩いた。衝撃と痛みに思考が飛ばされそうになるが、策が成った今、倒れそうになるのを堪える。そうしてカリルを睨みつけ、また一つ微笑んでやった。
「このクソ女がぁ」
「カリル様、大変です」
カリルがまた手を振り上げた所で先程の兵が戻ってくると、顔を真っ青にしながら口を開いた。
「た、大軍が、大軍がこの屋敷に押し寄せて取り囲んでいます」
「な……どこの軍だ?」
その報告にカリルがうろたえ、報告してきた兵につかみかかる。その兵も動揺しながら顔から血の気を引かせていた。
「ロンデン領の旗です」
「バカな、何故?」
すると屋敷の入口の扉が強く開かれた音が響いた。それにまたカリルがびくりと肩を震わせ、せわしなく視線を泳がせている。
「シェリア殿、そろそろ我が方との会談の時間ですぞ。お約束、忘れておりますまい!」
正に轟雷のようなその声が屋敷中に響き渡る。カリルをはじめ周囲のマドラック兵も恐れおののくその声に私は笑顔になり、ルミナの手をつかんだ。
「もちろんですとも。今、二階にいますのでそちらにすぐ向かいます」
大声で居場所を伝えると、私はルミナの手を引いて少し駆け足気味にカリルの傍を離れ、転ばないよう気をつけながら階段を下りていく。すると大広間には配置されていたマドラック兵の三倍以上の兵士が所狭しと居並んでいた。輝く鋼鉄の装備をしっかりと身につけた彼らは正に圧倒的強者、鋼の精鋭。
その中心部にはゴルフィン殿が威風堂々と立っている。
「おぉ、シェリア殿。何故そのようなところから? というか、その顔は一体?」
私はルミナの手を引きながら、悠然とゴルフィン殿の前に立つ。
「カリル=マドラックから寝屋へと強引に連れて行かれている最中でしたもので。顔は生意気だと二発打たれましたが、まぁ大丈夫です」
「そんな馬鹿な事をするとは……正気か、貴様ら!」
響き渡る怒声を合図に、ロンデン兵がマドラック兵を壁際へと追い込む。マドラック兵はルクレスト兵よりも精強とは言っても、ロンデン兵の比較にはならない。その証拠にマドラック兵はもうすっかり戦意を喪失しているのが目に見えてわかった。
「そう言えばグレッグは? グレッグはどこに?」
私は周囲を見回してそう叫ぶと、すぐにロンデン兵が肩を貸しながらグレッグを連れてきた。グレッグは顔を腫らし、口から血を流していた。
「ここに。シェリア様、無事ですか?」
「私は大丈夫。それよりグレッグ、大丈夫か? 何をされた?」
私がグレッグに近寄ると、彼は苦笑いを浮かべた。
「いや、ちょっとマドラック兵ともめたと言いますか、一方的に殴られたと言いますか」
その報告を聞き、私とゴルフィン殿がジャイカを睨みつける、ジャイカは青い顔をしながらも眉根にしわを寄せており、まだ意地を見せていた。
「ジャイカ殿、これは一体どういう事ですかな?」
ゴルフィン殿が一歩詰め寄る。背も高く、まるで岩のような男の圧にジャイカが後退りする。けれどすぐ、顔を真っ赤にしながら唾を飛ばし始めた。
「貴様ら! わしらをはめようとしても無駄だぞ。王都にはわしの口添えがいるんだ。貴様らが結託してこのような謀反を起こしたと言えば、すぐに潰されるぞ」
「王都の口添え? それは誰の事だ?」
ゴルフィン殿がにやけながら訊き返せば、ジャイカは更に顔を真っ赤にする。
「名前を言う馬鹿がどこにいるか。屋敷の外には異変を王都に知らせる者が配備されている、わしが外に出なくても貴様らの様子から謀反を伝えられるのだ。そして貴様らの言葉なぞ誰も信じるやつなどおらん」
怒り狂った怒号が響き渡る、するとゴルフィン殿の後ろからひょっこりと小柄な老人が顔を出した。
「わしの言葉でもか?」
私はこの人を知らない。ルミナもグレッグも少し戸惑ったように彼を見ているから、きっと知らないのだろう。それはジャイカも同じだったらしく、眉根を寄せながら睨みつける。
「何だこのおいぼれは?」
するとゴルフィン殿だけが苦笑いしながら、残念だとばかりに首を横に振る。そしてすぐに丁寧な手つきで紹介するよう手を差し伸べた。
「こちらは王立学園で教鞭をとられているお方で、前内務副大臣のノーマン殿であらせられるぞ」
その紹介に私を含め、みなが電撃でも走ったかのように身体をこわばらせた。
作戦立案の時にゴルフィン殿が大きな隠し玉を用意するからと不敵に笑っていたが、まさかこの事だったのか。
私はこれ以上ない人選に驚きを隠せなかった。何故ならその役職になると領主よりも遥かに権限が高く、王に直接物申せるほどなのだ。そしてただ隠居しているだけではなく、今もなお王立学園で教鞭をとられているならば現役だ。
「な、なんでそんなお方がここに……」
すっかり声のトーンが落ちたジャイカの顔からは赤みが消え、今度は土気色になっていた。それもそうだ、幾らジャイカが王都に口添えがいると言っても、きっとこれ以上の人物ではないだろうから。
「わしはここにいるゴルフィン殿から、ルクレスト領主のシェリア殿の噂を常々聞いていたんだ。そして今回シェリア殿が更に教育に投資し、高等学問所を作りたいと言っていたのを聞いて興味を持ってここに来たわけだ。視察がてら、な」
にまりと笑うノーマン殿だったが、誰もそれに反応できない。
「領民達の基礎教育の質を上げ、王国に役立つ人材を育成する。ゴルフィン殿とシェリア殿の方針は王国の方針とも合致するから、わしもぜひ手を貸したいと思ったのだ。なのに……一体何だね、これは? いささか見過ごせるようなものではないが」
その眼は非常に威圧的で、まるで小さな巨人。あまりの圧に味方であろうはずの私ですら背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。やはり王国の中枢にいた人物は一味も二味も違うのだと、この凄味が頭ではなく身体でわかった。
そしてそれは当事者であるジャイカには更に強く感じたのだろう、床にへたり込みうなだれたままもう何も言わなかった。恨み言も悪態も忘れたかのように、ただの一言も。
「さぁ、では行きましょうか。ノーマン殿、ルクレスト領にてシェリア殿と大いに今後の展望について話そうじゃありませんか」
くるりとゴルフィン殿が踵を返すと、大笑いしながら歩き出した。私達もそれに続き、ゆっくりと屋敷の外へ向かって歩き出す。するとノーマン殿が何か思い出したかのように立ち止まると、ジャイカの方へと振り返った。
「マドラック家よ、沙汰を待て」
まるで朗らかな春の日差しの中を散歩するような物言いだったが、実質死刑宣告に違いなかった。




