第二十五話~月明りの恋人達~
マドラック領への同行者はシェリア、ルミナ、グレッグ、そして護衛数名。
馬車の中でルミナは不安がっていた。自分の作戦が上手くいくかずっと心配している。
シェリアは寄り添うけど、ルミナはうつむいたまま。
マリノ川の宿場につき、一泊する事になった一行。その夜、ルミナが眠れないとシェリアに訴える。
そうして二人はベッドを抜け出し、外へ向かうのだった……。
同行者はルミナ、グレッグ、そして護衛兵三名と馬車の御者。私とルミナは馬車に乗り、グレッグ達は馬に乗って進む。マドラック領境界への街道はかなり整備されているのでロンデン領へ行くよりは楽だ。
「シェリア様」
馬車の中で並んで座っていると、ポツリとルミナが呼びかけてきた。どこか不安げな声の調子に私は窓の外からルミナへと視線を移す。するとスカートのすそを軽く握りしめていた。
「ルミナ、不安かい?」
「はい、そうですね」
「何が不安なのか、教えてくれないか?」
私の言葉がゴトゴトと揺れる振動音でかき消えていく。数頭の蹄が地面を蹴る音の中で私はルミナの言葉をじっと待っていると、ルミナがうつむく。
「みなさんは私の案に賛成してくれました。でも、失敗したらと思うと」
私はそっとルミナのスカートをつかむ手に手を重ねる。
「大丈夫、上手くいく。ゴルフィン殿だって協力してくれたんだ、大丈夫」
「そう、ですよね」
それきりルミナはうつむいたまま口を閉ざした。私はこれ以上言葉をかけても重しになるだけだと判断し、窓の外へと視線を向けた。
ただ、触れ合う手はそのままに……。
行軍は思ったよりも早く進んだが、宿場できちんと一泊をする旅程にした。急いだところで上手くいかないし、ここを過ぎれば野宿になるからだ。
マリノ川前の宿場に着けば、窓からは懐かしい景色が見える。あの時よりも宿場が増えているし、少し離れた所では露店市も開催されていた。私達は馬車から降りると、出迎えの兵士が嬉しそうに近寄ってきた。
「シェリア様、グレッグ様、ようこそいらっしゃいました。あっ、ルミナ様も!」
馬車から降りてそう言われたルミナは照れ笑いを浮かべる。すると兵がルミナへと近付き、頭を下げた。
「お久しぶりです。俺、以前みなさんが一泊された時もいたんですよ。あの時、ルミナ様が振舞ってくれた食事が忘れられなくて」
「ありがとうございます。では今日も腕によりをかけさせてもらいますね」
その発言に兵は喜び、ルミナも顔をほころばせた。
その夜、私はルミナと共に簡易ベッドに寝ていた。ベッドの位置は少し離れているものの、隣同士。明日のために寝ようとしていたがやはり作戦が上手くいくのか心配で寝つけず、暗い中どうしたものかと考えている最中だった。
「シェリア様、起きてますか?」
囁く声に私は声の方へ顔を向けると、薄暗い中うなずいた。顔は良く見えない。
「あぁ、まだ起きている。どうした、ルミナ?」
「あの……寝られなくて」
そうこぼすルミナに私は次に言うべき言葉を考えていたが、ここにはグレッグの他にも兵士がいる。そして彼らはまだ寝ていない。
「少し夜風を浴びようか」
私達はそっとベッドから抜けると、外へと出た。
少しひんやりとした風がそよぐのは川辺だからだろうか。虫の音が響く中、私達は宿場からそう離れず適当な木陰の下に落ち着くと、揃ってマドラック領の方を見る。橋には関所があり、川の土手には馬返しとして設置された木材の槍が幾つも刺さっていた。
「明日、上手くいくのか心配で」
そっと呟くその声は蛙の声にすらかき消されそうだった。不安なのだろう、自分の立てた作戦が上手くいくのかどうかが。
きっとあの馬車の会話の時から、いやあの作戦を立てた時からずっとルミナの心の中で痛みを伴いつつうごめいているのだろう。
「もし失敗したら、私だけじゃなくシェリア様も危険にさらしてしまう。グレッグ様も。それが怖い……」
うつむき、小さく震えているルミナの手を私がそっとつかんだ。握り返される力は弱々しく、雄弁に心模様を私に伝えてくる。
「大丈夫。色んな事をみなで想定したじゃないか。そして上手くいくと踏んだから、みなルミナの案に乗った。私もだ。だから責任を一人で抱え込まなくてもいいんだよ」
「でも」
私はルミナを抱き締めた。それ以上不安を広げさせないよう、自分を潰してしまわないように。それでもルミナは震えていたが、やがて私の背に手を回しきゅっと薄手のローブを握りしめた。
「ねぇルミナ、これは私達の本当の意味での愛の始まりなのかもね」
「本当の意味?」
ルミナは顔を上げず、私の胸の中で呟く。私はそれを肯定するように、優しくルミナの髪を撫でた。柔らかく、心地の良い手触り。いつだって好きな感触。
「そう、マドラック家との決着が終わったらやっと本当の意味で始まるんだ」
私は顔を上げた。煌々とした月が私達を照らし、祝福してくれているかのよう。ルミナを抱き締めながら見る月はいつだって特別だ。
「私はずっとルミナが好きだった。同年代の友達が欲しかった私はルミナが傍にいてくれるようになり、割とすぐに友情を感じていたものだ。そしてそれは年月が経つほどに好きになり、愛するようになっていった」
心地良い夏の夜の香りとルミナの匂いが混ざり、胸が熱くなる。私は思い切りそれを吸い込み、ふうっと吐き出す。心のもやが抜けていくような感触があった。
「マドラック家から婚姻の誘いが来た時、正直焦ったんだ。自分が結婚させられるかもしれない事もそうだったけど、ルミナに対してもだ」
「私に? どうして?」
顔を上げたルミナの青い瞳が月明りに照らされる。
「あぁ。ルミナだっていつかは結婚してしまうかもしれない。私の事を慕ってくれているだろうけど、それだって良い結婚相手ができたらそれまでだと。怖かったんだ、ルミナがいなくなるのが。だから私はマドラック家から帰ってきた時、半ば切羽詰まって告白してしまったのかもしれない」
「そうだったんだ」
ルミナの呟きはきっと納得に近い響きだったのかもしれない。けれど私にはどうしても呆れや失望に似た響きを感じてしまった。
「もちろん、この愛の大きさは変わらない。ルミナの事を大好きで仕方ないし、愛してやまない。私がここまでこれたのも、ルミナを愛する一心でやってきた」
領主としての責務、街道整備から始まったルクレストの成長。何度襲撃されても、何度挫けそうになってもここまでやってこれたのはルミナを愛するため。
愛するルミナの笑顔もっと増やしたいという、ただその一つの理由のため。
「ただ、私にとってあの一件が棘のように残っているのは事実。告白させられてしまったのかも、なんて思っているくらいだから」
「シェリア……それがどんなキッカケであれ、私は嬉しかったよ」
ぎゅっとルミナが抱き締めてくる。それは先程の弱々しいものではなく、しっかりとした形で。
「あぁ、そうかもしれない。だが現実、マドラック家によって動かされてしまったのは事実。だからこそ、その影を断ち切りたいんだ。そうしてやっと私は曇りなくルミナを愛せるのかもしれない」
するとルミナが少し不満気な目を向けてきた。
「あんなに愛してくれていたのに、曇っていたって事?」
「そうじゃない。これは私自身の問題なんだ」
言葉を間違えたか。けれどこれ以上に適切な言葉が思いつかなかった。
私が答えに窮していると、ルミナが小さく微笑んだ。
「わかってる。少し意地悪したくなったの。シェリアのそういう時の顔、すごく可愛いから。個人的な事で悩んでいる時のシェリアって、何だか泣きそうなんだもの」
「その意地悪は少しじゃないよ」
「ふふっ、ごめんね。そしてありがとう、シェリアとこうしていて気分が落ち着いたよ。本当に私達の領主様は凄いし、私の恋人は素敵。これからもずっといるため、明日は頑張ろうね」
「あぁ、そうだな」
私は一つ微笑むと、ルミナと唇を重ねた。それは軽く触れ合うだけの、瞬きのようなもの。けれど触れ合った場所からはこれ以上ない勇気と愛おしさが溢れ出す。唇が離れれば自然とお互い微笑み合う。
すると今度はルミナから私にキスしてきた。
私の肩に手を添え、そっと目を閉じて迫るその魅惑から逃れられる事なんかできるわけなく受け入れるしかなかった。柔らかい唇が押し付けられ、端から端までと幾分か長いキス。ずっとこのままでいたかったけど、数秒してその至福の時間が終わりを告げる。
そよ風が互いの唇の間を抜けると、途端に寂しさが込み上がる。
もう終わりにしないといけない。そうわかっているのに、ルミナを目の前にすると鼓動が収まらない。身体を駆け巡る熱が冷めない。熱く甘く痺れてしまう。
「ルミナ……」
「駄目、シェリア。ここじゃ見つかっちゃう。誰かに見られているから」
わかっている、そんな事。だけど……あぁ。
私は強く、ひたすら強くルミナを抱き締めた。ルミナも力いっぱいに抱き締める。互いの感触が強く伝わっても、堪えるように。一つになりたいけど、これが唯一許されたものだとして。
「終わらせよう、明日必ず。そして帰ろう」
「うん、約束だよ。無事に帰って、たくさん愛して」
監視にも月にも見られている。けれどもう、気にしなかった。私は私の道を進み、領民の幸せとルミナの幸せの両方を得る、だから何も言わせない。幸せにするのはただ一人の女性だけではないし、領民だけでもない。
結局のところ、ワガママなのだろう。だからこそ、私はここまで来た。
マドラック領へ着いたのは屋敷を出て三日後の事だった。
以前来た時と街道の様子は変わらず、マドラック領に入ってからは藪や邪魔な小枝を払っただけの踏み固められた道。それに若干の懐かしさも覚えたけど、それ以上に進歩の無さに苦笑いを禁じ得ない。
街道の重要性がわからないのか、それとも行商人達の声を聞いていないのか、はたまたそこに割く予算を無駄だと思っているのか……。
多分、どれも正解なのかもしれない。
私達がロンデン領と交流している事は把握済みだろう。ロンデン領から我が領を経由してマドラック領まで来る行商人も少なくは無いだろうから。
けれど書簡にはそれに触れる文言は無かったと記憶している。それは余裕なのか、それとも別の思惑があるのかわからない。以前からもそうだったが、彼らの考えている事がわからないのだ。
一言で言えば、常識が通じない。
けれどもう、あれこれ考えたって仕方ない。ここまで来た以上、我々の練った策を信じて実行するだけなのだ。
馬車に激しく揺られながら私はもちろん、ルミナも覚悟を決めた顔で押し黙ったまま窓の外をぼんやりと見ていた。
マドラック領の中心部に着くと、前回も泊まった宿場で一泊した。
そこも丁寧な接客と美味しい料理と申し分ないのだが、ロンデン領の金獅子亭を味わってしまったからか物足りなく思ってしまう。多分あれは別格なのだろう、比べるだけ酷い行いなのかもしれない。
それでも英気を養うと、私達は正装に着替えてからそこを発った。白地に青いポイントの入ったドレス。金装束での飾り付け。これをきっちり決められるのはルミナにおいて他ならないだろう。
愛しく、頼もしい私の相棒。他に誰もいない室内で見詰め合い、私達は力強くうなずき合った。




