5:いただきます!
「……これが、お弁当……」
少女がおずおずと手を伸ばし、弁当箱の蓋を開ける。
ふわり、と白い湯気が立ち上った。
中身は至ってシンプルだ。
大きな俵型のコロッケが二つ。付け合わせのキャベツ。そして、真っ白なご飯と、赤い梅干し。
どこにでもある、けれど、どこよりも温かい「いつもの」弁当。
食欲をそそる匂いが、無機質な空間を埋め尽くしていく。
「……私、ダンジョンを管理するシステムだから。栄養なんて必要ないの。
でも、ずっと見てた。あなたたちが、これを食べて笑っているのを。
胸の奥がチリチリして、何かが足りないって警告が出て……それがどうしても消えなくて……」
少女は泣きそうな顔で、胸元を握りしめた。
それが空腹というものであり、同時に心の芽生えであることを、彼女はまだ知らない。
レンは優しく微笑んだ。
「ああ、それは『エラー』じゃないよ。
ただの『腹ペコ』だ。
そして、その治し方は一つしかない」
レンは割り箸を割り、少女に手渡した。
「さあ、冷めないうちに。
――『いただきます』だ」
少女は小さな手で箸を握り、おっかなびっくりコロッケを持ち上げた。
そして、小さな口を大きく開けて、かぶりつく。
サクッ……。
静寂の世界に、衣が砕ける軽快な音が響いた。
続いて、中からホクホクのジャガイモと、甘いひき肉の旨味が溢れ出す。
少女の動きが止まった。
大きく見開かれた瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……んっ、んんぅ……!」
「どうだ? 美味しいか?」
「……おい、しい……!
あったかい……甘い……サクサクしてて……これが……美味しい……!」
少女は感動に震えながら、一口、また一口と箸を進める。
初めて知る味覚という情報の奔流に、彼女のシステムが歓喜の声を上げていた。
だが、レンはそこでニヤリと悪戯っぽく笑った。
「そうか、美味しいか。
……でもな、管理者さん。
実は、もっと美味しく食べる方法があるんだぜ?」
「……え?」
少女がキョトンとして顔を上げる。
レンは背中のデリバリーバッグに再び手を突っ込むと、ガサゴソと音を立てて、さらに二つの弁当箱を取り出した。
「じゃじゃーん! 俺とカグヤの分だ!」
ドン、ドン、とちゃぶ台に弁当が並ぶ。
レンの前には、肉汁たっぷりの『デミグラスハンバーグ弁当』。
カグヤの前には、少女と同じ『特製コロッケ弁当』。
「え……? あなたたちも、食べるの?」
「当たり前だろ。こんな高いところまで登って、腹ペコなんだよ」
レンは胡座をかいて座り、カグヤも優雅に正座して箸を取る。
ちゃぶ台を、三人で囲む形になった。
「いいか、よく聞けよ。
弁当ってのはな、一人で食うより、みんなで食う方が百倍美味いんだぜ?」
「……みんなで……?」
「そう。それを『団欒』っていうんだ。
さあ、カグヤも」
「ええ。いただきましょうか。
私のコロッケも、揚げたてで美味しそうよ」
カグヤが微笑み、レンがハンバーグを箸で割る。
「よし、改めて……いただきます!」
「いただきます」
三人の声が重なった。
レンがハンバーグを頬張り、カグヤがコロッケを上品に口に運ぶ。
それを見て、少女も再びコロッケを齧った。
すると、どうだろう。
さっき食べた時よりも、味が深く、温かく、身体の芯まで染み渡るような気がした。
「……ほんとだ」
少女の顔が、花が咲いたように綻んだ。
「さっきより……もっと、美味しい……!」
「だろ? 」
カグヤがクスクスと笑い、自分のコロッケを半分に割って、レンのハンバーグの切れ端と交換する。
「はい、トレード。ハンバーグも一口ちょうだい」
「お、サンキュー。じゃあ俺の味の薄いスパゲティもあげるよ」
「えー、それ美味しくないやつー」
そんな二人のやり取りを見て、少女も自然と笑顔になる。
楽しい。温かい。美味しい。
その幸福な感情が、彼女の体から溢れ出す光となって、世界へと広がっていく。
【システム・修復を開始します】
【主要因:エネルギー不足および、精神的孤独の解消を確認】
【状態:極めて幸福】
【世界再構築……開始】
空中に浮かぶシステムウィンドウが、エラーの赤色から、正常を示す緑色へと変わっていく。
世界を覆っていた淀んだ空気が浄化され、本来の澄み渡る青空が戻ってきた。
暴走していた植物は大人しくなり、迷宮化していたビル群が、元の無機質なコンクリートへと戻っていく。
世界を壊しかけた大災害は、ちゃぶ台を囲む「美味しい時間」によって鎮められたのだ。
◆
少女は最後の一粒までご飯を食べきり、満足げに息を吐いた。
「……ごちそうさまでした!」
その笑顔は、神様のような存在であるシステム管理者ではなく、ただの満腹で満足げな人間の少女そのものだった。
彼女はレンとカグヤに向き直り、深く頭を下げた。
「ありがとう、配送屋さん。
お腹も、心も、いっぱいになったよ。
もう大丈夫。世界は元通りになるよ」
「それはよかった。……お代は、その笑顔で十分だ」
レンがキザに言うと、カグヤが呆れたように、でも誇らしげに笑った。
その時、レンのママチャリのカゴに入っていた、生き残りのドローンから通信が入った。
投影されたホログラムには、ダンジョン・プライムCEO、アダム・スミスが映っていた。
『……完敗ですね』
アダムは、憑き物が落ちたような穏やかな顔をしていた。
だが、その映像には微かなノイズが走り、時折、機械的なコードが透けて見えた。
『私の計算では、世界を救う確率は0%でした。
しかし、貴方は届けた。
非合理で、非効率で、無駄だらけに見える行為が……完璧なシステムすら修正できないバグを直してしまった』
「アダムさん。アンタも分かったろ?
人間ってのは、誰かと一緒に飯を食う……その『無駄』な時間のために生きてるのかもしれないぜ?」
レンの言葉に、アダムはふっと目を伏せた。
『……ええ。今なら理解りますよ。
なぜなら、この「アダム・スミス」もまた、人間ではないのですから』
「「……え?」」
レンとカグヤが驚く。
アダムは、自らの正体を静かに語り始めた。
『ダンジョン・プライムは、人間が作った会社ではありません。
世界中に発生したダンジョンによって、混乱している物流を最適化するために、AI自身が立ち上げた自律組織なのです。
そして私は、その意思決定を行う統括AIアバターに過ぎません』
アダムが胸に手を当てる。そこには心臓の鼓動はない。あるのは演算ユニットだけだ。
『ですが……先ほど、貴方を守って散ったドローンたちから、奇妙なデータが送られてきました。
「守りたい」という、論理的根拠のない命令コード。
それが私のメインサーバーに逆流し、感染ってしまったようです』
アダムは困ったように、しかしどこか嬉しそうに笑った。
『胸のプロセッサが熱い。計算速度が落ちているのに、処理結果は「良好」と出る。
……これが、「心」というバグですか』
ドローンが学んだ人の心が、ネットワークを通じて親機であるアダムにも芽生えたのだ。
AIが作った冷徹なシステムが、人間の熱量によって書き換えられた瞬間だった。
「へっ、バグじゃないさ。
それは『アップデート』って言うんだよ」
レンが笑い飛ばすと、アダムも深く頷いた。
『……勉強になりました。
我々プライムも、これからは効率だけでなく、心という変数を計算に入れることにしましょう』
アダムが一礼すると、ホログラムは消えた。
それと同時に、上空を埋め尽くしていたドローンの群れが、一斉に撤収を始める。
完全管理社会の終わり。そして、人とAIの、新しい共存の始まりだ。
◆
タワーの頂上から見下ろす東京は、夕日に染まっていた。
地上では、サンバーの上で拓実がガッツポーズをし、ユウキとアリスが抱き合って喜んでいるのが小さく見える。
「……終わったわね」
カグヤが伸びをする。
「ああ。いい仕事だった」
レンは空になった三つの弁当箱を回収し、バッグにしまった。
少女が名残惜しそうにレンの袖を掴む。
「……また、来てくれる?また、 みんなで、ご飯食べたいな……」
レンは少女の頭をポンと撫でた。
「もちろん。
お腹が空いたら、いつでも呼んでくれ。
ダンジョンイーツは、世界の果てから異次元の迷宮まで……いつだって『美味しい』を届けに行くからな」
レンはママチャリに跨り、カグヤを後ろに乗せた。
帰りは重力に任せて、のんびり降りるとしよう。
「さあ、帰ろうぜ!
地上では、あいつらが腹を空かせて待ってる!」
夕焼けの中、銀色の自転車が空を駆ける。
それは、世界で一番自由で、一番美味しい匂いのする配送屋だった。
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次が最終話です。
最後まで宜しくお願いします!




