5:裏切られた純情
翌日の早朝。
まだ夜も明けきらぬ薄暗い時間帯に、ルナコートレジデンスのインターホンが鳴った。
普段なら不審者としてセキュリティシステムが撃退するところだが、モニターに映っていたのはオレンジ色の制服を着た配達員だった。
カグヤは寝巻きの上にガウンを羽織り、弾むような足取りで玄関へと向かった。
「早いわね。さすがは『特別便』だわ」
受け取ったのは、手のひらサイズの小さな小包だった。
昨日のゴミのような梱包とは違い、これだけは重厚なベルベット張りの箱に入っている。
カグヤはリビングに戻ると、震える手で蓋を開けた。
「……まぁ……!」
そこには、鈍い銀色の輝きを放つネックレスが鎮座していた。
『聖女アデレードの至純』。
チェーンは繊細な鎖帷子のように編み込まれ、中央には涙の雫のような形をした宝石が嵌め込まれている。その石は透明なようでいて、角度を変えると紫色の妖艶な光を帯びているように見えた。
「これが……本物の愛のアーティファクト……」
カグヤは、ためらうことなくそれを首に巻いた。
カチリ。
留め具が噛み合う音が、静かな部屋に響く。
その瞬間。
ひやりとした冷たい感触が、首筋から脊髄を通って脳髄へと駆け上がった。
「……っ!?」
一瞬、めまいがした。
視界が歪み、世界の色が反転するような感覚。
耳元で、誰かの囁き声が聞こえた気がした。
――『愛する者を、誰にも渡すな』
――『邪魔する者は、すべて排除せよ』
だが、その不快感はすぐに、甘美な陶酔へと変わった。
胸の奥から湧き上がるのは、レンへの愛おしさ。それも、今までの比ではない。心臓が焼き切れるほどの、強烈で、粘着質な情熱だ。
「……あぁ、すごいわ。レンの顔が……レンの声が、頭から離れない……」
カグヤは鏡を覗き込んだ。
そこには、頬を赤く染め、瞳孔が少し開いた、恋する乙女の顔があった。
首元の宝石が、ドクン、ドクンと、まるで心臓のように脈打っていることには気づかないまま。
「これで、私とレンは永遠に結ばれるのね。……ふふ、ふふふふ……。
……あぁ、レン。愛しているわ。貴方を守らなきゃ。……邪魔者は、私が全部消してあげる……」
宝石の奥底で、ドロリとした紫色の影が脈動を始めた。
それは彼女の純粋すぎる愛を、独占欲という名の狂気へ書き換える「呪具」の胎動だった。
◆
数時間後。ダンジョンイーツ銀座本部。
始業前のオフィスは、いつもとは違う緊張感に包まれていた。
レン、拓実、アリス、レイ、そしてユウキ。主要メンバーが顔を揃えているが、レンは目の前の光景に唖然としていた。
事務所の前に、一台の巨大なトラックが横付けされていたのだ。
クリーム色深緑色のツートンカラー。しかし、その車体は分厚い複合装甲に覆われ、タイヤはキャタピラのように太く、ルーフには魔物撃退用の音響兵器が搭載されている。
車体の側面には、金色の文字で力強くこう書かれていた。
『大和運輸』
そして、そのロゴマークは、剣を口にくわえた巨大な黒豹が描かれている。
日本の物流業界において「安全・確実・丁寧」を社訓とし、ダンジョン配送においても決して荷物を破損させないことで知られる、国内最大手企業だ。
そのトラックの運転席から、一人の男が降りてきた。
身長は190センチを超えているだろうか。
角刈りに近い短髪。岩のように角ばった顎。そして、昭和の刑事ドラマから飛び出してきたような、サングラスと厳格なオーラ。
男は白い手袋をはめた手で、制服の襟を正し、レンたちの前に仁王立ちした。
「……ここが、『ダンジョンイーツ』の事務所か」
声もまた、腹の底に響くような重低音だった。
レンは気圧されそうになりながらも、一歩前に出る。
「いかにも。俺が代表のレンだが……天下の大和運輸さんが、うちになんの用だ?」
男はレンを一瞥した後、その視線を横にずらした。
そこには、仕事を終えてエンジンを冷ましている、拓実の青いサンバーがあった。
男の眉間が、険しく寄る。
「……俺は、大和運輸・エリア統括ドライバーの大門だ。
用があるのは代表のあんたじゃない。……そこの、青い軽トラのドライバーだ」
大門と呼ばれた男の指先が、拓実を捉えた。
拓実は缶コーヒーを開けようとしていた手を止め、けだるげに首を傾げた。
「……何か?」
「貴様だろ。昨日、首都高C1エリアで、オレンジ色のSUVと派手なカーチェイスを演じていたのは」
大門の声に、怒気が混じった。
「俺の部下が目撃したぞ。排水溝を使ってコーナーを鋭角に曲がるなどという、デタラメな走りを。……あんなものは配送じゃない。ただの曲芸だ」
「……曲芸ではありません。最短ルートを通っただけです」
拓実がボソリと反論する。
「我々、配送業者の使命はなんだ? 『荷物を届けること』だ。だが、それ以上に重要なことがある。それは『安心と安全』だ。
貴様の走りは、確かに速いかもしれん。だが、周囲の車両を危険に晒し、荷物に無駄なGをかけ、あまつさえダンジョンの構造を利用してトラップを誘発させるなど、言語道断! 物流のプロとは言えん!」
大門の主張は、正論だった。
大和運輸は、どんな状況でも時間指定を守り、リスクを徹底的に排除することで国民の信頼を勝ち取ってきた企業だ。
「速さ」と「魔改造」でリスクをねじ伏せるダンジョンイーツとは、水と油の関係にある。
しかし、拓実も引かなかった。
彼は飲み干した空き缶をゴミ箱に投げ入れると、静かに大門を見据えた。
「……あんたの言いたいことは分かります。教科書通りだ。……でも、ここはダンジョンですよ」
「なんだと?」
「……ダンジョンの中で、のんびり『安全確認』なんてしていたら、敵に囲まれるリスクを伴う。……あいつの走りは、生き残るための走りだ」
「詭弁だ! スピードを出せば出すほど、事故率は上がる!」
「……あんたたちの装甲トラックなら、そうでしょうね。重すぎる。……でも、あいつなら曲がれる」
現場叩き上げのプライドと、天性の走り屋のプライド。
絶対に相容れない二つの信念が、火花を散らした。
レイが慌てて割って入る。
「ま、待ってください大門さん。本題は別にあるんじゃないですか?」
大門はふん、と鼻を鳴らし、サングラスの位置を直した。
その表情に、苦渋の色が浮かぶ。
業界最大手の提案は、俺たちの予想を超えるものだった。
「……ああ。話の分かる奴もいるんだな……。
単刀直入に言おう。レン殿。……我々『大和運輸』と、ダンジョンイーツで、一時的な共闘関係を結びたい」
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