9:暗転する日常と、届かないペダル
今日もいつもと変わらない一日になるはずだった。
昼過ぎ、カグヤから「今日の夕方には帰れるわ。久しぶりにゆっくりお夕飯でもどうかしら?」と機嫌の良さそうな連絡が入っていた。
そんな折、ダンジョンイーツに「緊急」のフラグが立った依頼が舞い込む。
『渋谷ダンジョン64階層。モンスターの急襲でポーターと仲間が全滅した。残っているのは幼馴染で回復術士のレナだけだ。彼女だけでも救い出してくれ。頼む!』
端末から伝わる切迫した空気。ユウキと拓実はすでに別の配送に出ており、動けるのは俺とレイだけだった。
「兄さん、僕も行くよ。二人で向かった方が、万が一の時に対応が早い」
「いや、レイはここにいろ。あのダンジョンの下層は地形が複雑だ。タンデム自転車だと小回りが利かない。俺一人の方が早い」
これまでの成功が、俺の判断を鈍らせていたのかもしれない。俺はレイの制止を振り切り、いつものママチャリでゲートへと飛び込んだ。
◆
現場の64階層に到着した俺が目にしたのは、無惨な光景だった。
損壊した死体と、数体のモンスターの骸。生存者の気配はない。
「……間に合わなかったか」
華々しい冒険者稼業だが、これが冒険者達の現実だ。一寸先は闇、死と隣り合わせの危険な仕事なのだ。
せめて遺品だけでも持ち帰り、協会へ届けよう。そう考え、俺が遺体に手を伸ばした、その時だった。
死んでいたと思った大型モンスターが、突如として顎を開き、俺の左足に食らいついた。
「ぐ、あああああッ!!」
激痛が走る。強引に足を引き抜いたが、防具ごと肉を抉られた。
唯一の武器であり、俺のアイデンティティである「脚力」が、一瞬で奪われた。
よろけて怪我をした足に体重をかけてしまい、倒れ込む体を庇おうとした際、今度は手首から嫌な音がした。
……わかっていたはずだ。カグヤやバルトのような強者に囲まれて麻痺していたが、俺自身の戦闘力は皆無で、耐久力も一般人と変わらない。
あるのは強靭な足と、気合と根性だけだった。
チャリに跨ろうとするが、激痛で力がまともに入らない。
それでもスキル『絶対配送』を発動させる。脳内に自宅までの最短ルートが表示されたが、そこに示された到着予定時間は――。
【到着予定:47時間20分】
「……47時間……? 笑えねえな」
負傷を考慮した絶望的な数字。自分の弱さに打ちひしがれながら、俺はスマホを取り出した。レイに連絡して、誰かに迎えに来てもらおう。
だが、画面は真っ暗なままだった。
「……嘘だろ、充電忘れ……」
最近、何もかもが上手くいきすぎていた。自分への油断。アリスに厳しく当たっていた自分が恥ずかしくなる。
実際、あいつのスキルに助けられたっていうのに。
その時、血の匂いに釣られた別の魔物が暗闇から這い出してきた。
腕を噛まれ、引きちぎられそうになりながらも、俺は必死にモンスター撃退スプレーを噴射した。
なんとか逃げ切り、岩の隙間に体を押し込む。
「はぁ……はぁ……、もう、駄目かもな……」
スプレーの残量はあとわずか。意識が遠のいていく。
◆
「……兄さん、遅すぎる」
ルナコートレジデンスの事務所で、レイは落ち着かずに何度もスマホを確認していた。
電話をかけても『現在、電波の届かない場所にあるか……』という無機質なメッセージが流れる。配信も行われていない。
胸騒ぎが止まらない。自分だけでも探しに行こうと立ち上がった時、エントランスが開いた。
「ただいま、レン! サプライズで早めに終わらせてきたわよ!」
満面の笑顔で帰宅したカグヤ。だが、レイの顔色を見て、その笑顔は一瞬で消えた。
「……レンは、どこ?」
レイから事情を聞いた瞬間、カグヤの周囲の空気が凍りついた。S級冒険者『氷姫』の、冷徹なまでの威圧感。
「レイ、案内しなさい。……今すぐに」
レイは『絶対配送』でレンの位置を特定した。だが、レンのマウンテンバイクは一人乗り。カグヤを運ぶ手段がない。
「どうしよう……ユウキさんも拓実さんも戻ってない。タクシーじゃダンジョン下層までは無理だ……」
「――ならば、拙者のこれを使うでござる!」
天井から現れたのは、真剣な面持ちのアリスだった。彼女が取り出したのは、これまでになく精密なプラモ。
『自衛隊シリーズ・高機動車メガクルーザー』。
「アリス!? でもこれ、どうやって動かすの?」
「このエンジンルームに自転車をセットすれば、漕ぎ手の脚力を増幅して駆動エネルギーに変換するでござる! レイ殿、お館様を救うため、死ぬ気で漕ぐでござるよ!」
「……わかった、やるしかない!」
レイはげんなりしながらもエンジンルームのペダル席に潜り込んだ。
カグヤを後部座席に乗せ、メガクルーザーが銀座の街を、そしてダンジョンの闇を猛烈なスピードで突き進む。
◆
岩の隙間。レンはすでに、死を覚悟していた。
数体のモンスターが、彼の潜む岩を壊そうと爪を立てている。
その時。
「――私のレンに、汚い手で触れないで」
絶対的な「冷気」が迷宮を支配した。
次の瞬間、岩を取り囲んでいたモンスターたちが、悲鳴を上げる暇もなく純白の氷像へと変わる。
「レン! レン!!」
メガクルーザーから飛び出してきたカグヤが、血塗れのレンを抱き起こした。
「……カグヤ……? 悪い、……ヘマした」
「喋らなくていいわ。……よく、生きていてくれた。本当に……」
カグヤの目には大粒の涙が浮かんでいた。
その背後で、エンジンルームから這い出してきたレイは、変わり果てた兄の姿を見て膝を突き、唇を噛み締めていた。
「僕がもっと、強く引き止めていれば……!」
そしてアリスもまた、普段のふざけた様子は微塵もなく、震える手で自らのプラモを回収しながら、深々と頭を下げていた。
自分の主君がこれほどの窮地に陥るまで、自分は何をしていたのかと、その顔には深い自責の念が浮かんでいる。
レンは、朦朧とする意識の中で、カグヤの温もりと仲間たちの気配を感じていた。
……生きて帰ったら、みんなに謝ろう。そして、二度とこんな思いをさせないための場所を、ちゃんと作ろうと誓うのだった。
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