4:絶望を切り裂く安らぎの号鈴
円形広場の石像たちを振り切り、一行は時計塔へと続く大通りに滑り込んだ。だが、一行を救った大音響で鳴らした自転車のベルは、別の驚異を招いた。
「……ッ! 来る、上! さっきの石像とは……殺意が違う!」
シオンが鋭く叫び、双剣を交差させて空を仰いだ。
曇天のような霧の彼方から、黒い塊が弾丸のような速度で急降下してくる。それは、異様に発達した耳を持つコウモリのような未知の敵。
彼らにとって、この三十年間は飢餓の歴史だった。その静寂を打ち破ったレンのベルは、彼らを呼び寄せる強烈な呼び鈴となってしまったのだ。
魔物たちが広場を囲むように着地し、一斉にその醜悪な口を三裂きに開いた。
キィィィィィィィィィィィィンッ!!!!!
それはもはや音ではなかった。物理的な暴力となって空間を歪め、大気を震わせる超音波の槍。
「――っ! あ、あああああああッ!!」
真っ先に膝をついたのは、聴力に敏感なシオンだった。耳の奥で火花が散り、鼓膜が内側から突き破られる。激痛で思考が白濁し、双剣を握る力さえ奪われる。
バルトも盾を構えたまま、その場に縫い付けられたように硬直していた。強靭な筋肉が超音波の微振動に共振し、血管が破裂しそうなほど浮き上がる。カグヤは必死に耳を塞ぐが、あまりの音圧に三半規管を破壊され、地面に倒れ伏して激しく嘔吐した。
レンもまた、地獄の淵にいた。
ハンドルを握る指から感覚が消え、脳を直接巨大な金槌で叩き続けられるような衝撃が視界を赤く染める。耳元からは、どろりと生暖かい鮮血が溢れ、顎を伝う血と共に、ママチャリと共に崩れ落ちた。
クソッ……何なんだよ、これは……。体が動かない…。
一匹の魔物が、無防備なカグヤに向かって、その剃刀のような爪を振り上げた。
「カ……グヤ……ッ!!」
レンの声は、カグヤに届かない。仲間たちが一人、また一人と命の火を消されようとしていた。
自分の無力さを恨んだ。
誇りを持って仕事をしてきたし、自分の脚を使い人々を救ってきた。しかし、この極限状態を打開する方法を、持っていない。
守りたい……仲間達を……救いたい……俺の愛する人を……。
その時、視界が血に染まり、思考がバラバラに砕け散るような激痛の嵐、その濁流の中で、レンの意識は皮肉にも、かつてないほど透明に研ぎ澄まされていった。
『……ああ、そうか』
倒れてもなおペダルを踏む足の筋肉、ハンドルを握る指の骨、そして、震えるベルの真鍮。それらが自分の神経と完全に溶け合った瞬間、深い霧が晴れるように、何かが生まれた。
この感覚は、俺がこのチャリの能力を見出した瞬間の感覚。喉の奥から、無意識にその名前がこぼれ落ちる。
「……ベル、そうか……」
レンには迷いがなかった。自転車のベルを鳴らすレバーを弾く、ただそれだけの行為で、この絶望的な状況を打開できる。
理屈ではない。自転車が前に進むのが当たり前であるように、レンはその力の使い方を理解していた。
レンに新しいスキルが生まれたのだ。
レンは、指の一本を動かすことすら苦痛な状態だったが、最後の一滴の気力を指先に込めて、ベルのレバーを弾いた。
「安らぎの号鈴!!」
――チィィィィィィィィィン……ッ!!!
放たれたのは、驚くほど細く、そしてどこまでも透明な一音。
しかし、その小さな音波は、空間を支配していた凶悪な超音波と接触した瞬間、それらを「打ち消し合う波長」へと強制的に書き換えた。
不快な絶叫が、ベルの音色に呑み込まれ、かき消されていく。
そして次の瞬間、悪夢の光景から奇跡が生まれた。
ベルの残響が、倒れ伏すカグヤたちの体を優しく撫でたのだ。
(……え……? 温かい……?)
カグヤは目を見開いた。鼓膜は破れ、音など聞こえるはずがないのに、その音色は魂に直接響き、何かが体中を駆け抜ける。
焼けるようだった激痛が急速に引き、恐怖で凍りついていた心臓が、力強い鼓動を取り戻す。
「……カグヤ! みんな! 動けッ!!」
レンの叫びが、再生したカグヤの耳に届く。
「――!!!レン!」
カグヤが地面を蹴って立ち上がる。ベルの音が作り出した「安らぎの領域」の中で、彼女の魔力はかつてないほどの純度で収束していく。
カグヤが、俺の血まみれの現状を確認すると、怒りに震えた声で言い放つ。
「私の大切なものを傷つける存在を、私は許さない!!
永遠に終わらせるやる!――『紫電の槍』!!」
カグヤの剣先から放たれた極大の雷撃が、ベルの音で感覚を狂わされ、空中で無防備に硬直していた魔物たちを貫いた。
「ガハハ! 最高の気分だぜ! 温泉上がりのように体が軽いや!」
バルトが巨大な盾を振り回し、墜落した魔物たちを次々と粉砕していく。
「レン……感謝する。……奴らを殲滅する」
シオンもまた、影のような速度で戦場を駆け、魔物たちの喉笛を正確に断ち切っていった。
数分後。広場には、再び元の「静かな沈黙」が戻ってきた。だが、それは先ほどまでの絶望的な無音ではなく、戦い抜いた者たちが共有する、穏やかな静寂だった。
「……はぁ、はぁ……。レン、お前に命を救われたな……」
バルトが、血のついた盾を地面に置き、手を差し出す。俺は、バルトの手を借りながら、ふらつく脚で立ち上がる。
立ち上がり俺目掛けて、カグヤが飛び込んでくる。再び倒れそうになった俺を、シオンが支える。
「ごめんなさい、レン!あなたを守るとか大口を叩いていたくせに、逆にあなたに助けられた……」
カグヤは、俺に縋り付き啜り泣く。俺はそっとカグヤを抱きしめる。
「カグヤ……良かった……お前が無事ならそれでいい。別に謝る必要なんてないんだよ」
俺はそっとカグヤの頭を撫でた。
その瞬間、ギョッとした表情でバルトとシオンが、カグヤを凝視する。
カグヤは俺に抱きついたまま、顔をにやけさせていた。
「お、お嬢……なんだその顔……」
「昔……カグヤの頭を撫でようとした男が、カグヤに腕を切断された……らしい」
「えっ?!」
咄嗟にカグヤの頭を撫でていた手を引こうとしたが、それ以上に早くカグヤの手が伸びて来て、強制的に元の位置、カグヤの頭の上に戻された。
「それは偽情報よ。腕の骨を折ってやっただけよ。
あと、あまり余計な事を言うと……あなた達…殺すわよ?」
「す、すまん……」
「申し訳ありません。」
「ねぇ、レン。もっと頭を撫でてちょうだい……」
言われるがまま頭を撫でるが、青い顔したバルトと震えるシオンを見ると、俺はヤバい女を好きになったのではないかと不安になった。
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