10:風になれ狂犬!
木々に囲まれた、ギルド指定の交通安全講習所の門から出てきたユウキの姿は、まるで全財産をすったギャンブラーのように放心している。
普段の彼女から放たれる、エネルギッシュな覇気は微塵もない。
「……あ、先輩。……空が高いですね。でも、景色が止まって見えます。時速四キロの歩行なんて、あたしにとってはスローモーションの世界……悪夢ですぅ……」
ユウキはガードレールに力なくもたれかかり、虚空を見つめて呟いた。
九十日間の免許停止。そして今日から始まった、2日間にわたる違反者特別講習。
昨日、一日目の講習を終えた時点で、彼女は教官から「君の運転には慈悲というものがないのか」と、わざわざ別室に連れて行かれ、30分以上説教されたらしい。
最終日である今日も、朝から夕方まで交通安全ビデオと道徳の講義に晒され、彼女の脳内の「速度中枢」は今や完全にバグを起こしていた。
「おい、しっかりしろユウキ。カグヤの口添えがあったおかげで、免停期間は半分の四十五日に短縮されただろ。あと一ヶ月半の辛抱じゃないか」
カグヤは、少しユウキに甘い気がする。
俺がデリバリーランサーのサドルに跨ったまま声をかけると、ユウキはパチリと瞬きをし、ゆっくりと首を横に振った。
「先輩……45日ですよ? その間、あたしの右手はスロットルを回す快感を知らず、心臓はエンジンの鼓動を聴けずに、ただの肉の塊になってしまうんです……。
ああ、誰かあたしに、ガソリンを……ハイオクを静脈注射してください……」
「お前の症状、思ってたより深刻だな」
ユウキの右手は、無意識のうちに「エア・スロットル」を握り、手首をクイックイッと捻っている。
右足のつま先も、幻のリアブレーキを踏むように虚空を叩いていた。バイクに乗れないストレスが、彼女の精神を蝕んでいた。
「……先輩、お願いです。あたしを……あたしを、一瞬でいいから風に戻してください……」
縋るような目で俺を見上げてくるユウキ。
本当なら、リハビリ中の俺は一人でのんびりと配送業務をこなすつもりだったが、このまま彼女を放置すれば、明日あたり無免許で暴走行為をしかねない。
「……分かった。そこまで言うなら、一つだけ方法がある。リヤカーに乗れ」
「え? リヤカー……?」
ユウキはポカンとした顔をしたが、俺がデリバリーランサーの後ろに連結された銀色のキャリアを指差した。
◆◆◆
調布ダンジョン・第5階層。
通称『深緑の迷宮』。
地上での無許可爆走は即座に警察の御用となるが、ここはダンジョンの内部。ギルドの管轄であり、配送業務中の速度超過については、ある程度の裁量が認められている。
道幅が広く、緩やかな下り坂が続くこのエリアは、俺のリハビリとユウキの治療には最適の場所だった。
「ひゃっはぁぁぁぁぁ!! これ! これですよ先輩ぃぃ!!」
絶叫が、苔むした岩壁に反響し、周囲の低級モンスターたちが驚いて藪の中に逃げ込んでいく。
リヤカーの中。そこには、以前ユウキが「寂しさに耐えきれず買った」という、リトルカブ君の実寸大プリント抱き枕をリヤカーの底に置き、その上に馬のように跨っている少女がいた。
「これです! この振動! 肺の奥まで突き刺さるような、湿った迷宮の風! 生きてる心地がしますぅぅ!!」
「おい、ユウキ! 抱き枕に跨がって何やってるんだ! 危ないからちゃんと座れ!」
俺はデリバリーランサーの三段変速を3速に叩き込み、ペダルを力一杯踏み込む。
リハビリ中とはいえ、俺の脚力はスキル【絶対配送】によって底上げされている。
背後に200キロ近い積載(ユウキ+抱き枕+配送物)を抱えていながら、ママチャリの速度計はすでに時速80キロを突破していた。
「無理です、座ってなんていられません! 今、あたしの前には無限の直線が視えてるんです! 先輩はV型12気筒の超絶エンジン、あたしはそれを操るトップライダー! 二人で一つのハイブリッド・マシン・デリバリーランサー・カスタムですぅぅ!ひゅうぅぅぅぅー。」
ユウキは抱き枕の角を「ハンドル」に見立ててギュッと握りしめ、
「ブォォォォン!!」
と口で野太いエンジン音を奏でながら、リヤカーの縁に膝を擦りつけんばかりの勢いで体を横に倒し込んだ。
「ちょ、揺らすな! 重心移動が極端すぎるだろ!」
「大丈夫です、先輩! 次のヘアピン、あたしの魂のリーン・インでリヤカーの遠心力をねじ伏せます! ほら、イン側のタイヤが浮き始めましたよ! これが自由の証です!」
ガガガガッ! とリヤカーの片輪が岩肌を削るような音を立てて浮き上がる。
通常のリヤカーならそのまま横転して自滅する角度だが、ユウキの狂気じみたハングオンと、俺の【絶対配送】が導き出す「転倒しないギリギリのライン」が奇跡的に噛み合い、リヤカーは信じられない速度でコーナーをクリアしていった。
通りすがりの新人探索者たちが、猛スピードで迫りくる絶叫するリヤカーを見て、腰を抜かして道端に転がっていくのが見える。
「おい、見ろよ! あのリヤカー、カグヤ様のところにいた狂犬じゃないか!?」
「ユウキちゃんな、あれ何やってんだ……? 抱き枕に跨がって、チャリの後ろで膝擦りしてるぞ……」
「運び屋の兄ちゃんも、あんなのを引いてよく爆走できるな……」
配信用の浮遊魔眼が、そのシュール極まりない光景を全世界へリアルタイムで送信していた。
コメント欄は、爆笑と困惑のコメントが流れる。
『ユウキちゃん、禁断症状が酷すぎて草』
『リトルカブ君ポチりました』
『膝擦り?っていうか、もはやリヤカーのフレーム擦ってるだろww』
『運び屋レンの脚力もおかしい。ママチャリでリヤカー引いて時速80キロはバグだろ』
ユウキはそんなコメントなど目に入らない様子で、さらに激しく抱き枕をニーグリップした。
「先輩! 前方に障害物――ゴブリンの群れです! 回避ですか? 突破ですか!?」
「仕事中だ、最短ルートで突破するに決まってるだろ!」
「最高です先輩! よし、あたしがリヤカーの後端で気流を整えます! 先輩はそのまま、突き抜けてください!」
ユウキはリヤカーの上で、空気抵抗を極限まで減らす「伏せ」の姿勢を取った。……抱き枕に顔を埋めながら。
その姿は、端から見れば「配送中に寝ている怠惰な助手」か「奇妙な愛好家」にしか見えない。
「……リハビリのつもりが、またとんでもない修行になっちまったな」
俺は苦笑いしながら、夕闇が迫る調布ダンジョンの中層へと、さらにペダルを加速させた。
◆◆◆
一時間後。
配送を終え、ダンジョンを出た頃には、ユウキの顔には血色が戻り、瞳にはいつもの輝きが復活していた、いやなんか目がイっちゃってる。
「……ふぅ。先輩、ごちそうさまでした。おかげで脳内のガソリン濃度が、なんとか生存可能なレベルまで回復しました」
最近こいつの言ってる言葉が理解出来ないときがある。
「それは結構な事だが、抱き枕はちゃんと仕舞え。」
「はぁ……でも先輩」
ユウキはリヤカーから降りると、少しだけ寂しそうに、自分の右手の平を見つめた。
「やっぱり、自分の手でスロットルを回さないと、最後の一欠片が埋まらないんです。……あと四十四日。あたし、先輩のリヤカーに乗り続けてもいいですか?」
「……勝手にしろ。ただし、ハングオンだけは禁止だ。俺の体が持たん」
「了解です! ……じゃあ、明日はウィリーの練習をしましょうか!」
「できるわけないだろ!」
俺たちの騒がしいリハビリ(?)は、まだ始まったばかりだった。
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