1:新年早々やっかい事です。
秩父ダンジョン第17ゲートを抜けた瞬間、全身の毛穴が逆立つような感覚に襲われた。
標高2000メートルの絶望的な吹雪と、内臓を凍らせるような冷気。それらが一瞬にして、大理石の冷厳な静寂と、空調の効いた乾燥した空気に塗り替えられたからだ。
「……戻った、のか?」
リアカーに乗っていた調査隊の一人が、呆然と呟いた。
俺はデリバリー・ランサーのブレーキを握り、ゆっくりと車体を止める。
目の前に広がるのは、白く輝く大理石の床と、天井が見えないほど高いドーム状の巨大空間。
ここが、通称『ゼロポイント《起点》』――日比谷・グランド・ターミナルのメインロビーだ。
今から十数年前、突如として世界各地に出現した巨大な『穴』。
当初、人類はそれをただの地下空洞だと思っていた。だが、調査が進むにつれ、それらは物理的な距離を無視して一点で繋がっていることが判明した。それが、このゼロポイントだ。
東京の日比谷、パリのルーヴル、ニューヨークのセントラルパーク。地上では数千キロ離れた都市たちが、この幾何学的な大理石の広場を介して、わずか数歩の距離で結ばれている。
ダンジョンとは、単なる「モンスターの巣」ではなかった。
それは地球の既存の常識を破壊し、書き換えてしまった
「レン、お疲れ様。……少し、顔色が悪いわよ」
背中から降りたカグヤが、俺の顔を覗き込んでくる。
先ほど全世界に向けて「私の側にいてほしい」と言い切った彼女の表情には、やり遂げた後のような、どこか誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「ああ、平気だ。……ただ、このゼロポイントのデカさには、いつ来ても圧倒されるだけさ」
ロビーの壁面には、高さ三十メートルを超える巨大な漆黒のゲートが、円環状にいくつも並んでいる。
それぞれのゲートの上部には、行き先を示す文字が浮かんでいた。
『TOKYO-METRO(都庁)』
『CHICHIBU-STAIRS(秩父)』
『ALTAS-PLANT』……。
普段は、フォークリフトが行き交い、ハリーエクスプレスのような大手企業のパレットが山積みされ、事務員たちが淡々と伝票を処理する「巨大な物流倉庫」のような場所だ。
だが、今この瞬間の熱気は、過去のどんな繁忙期をも凌駕していた。
ゲートの出口を囲うように設置された規制線の向こう側。そこには、数千人の群衆がひしめき合っていた。
『レンさぁぁぁん!! 最高でした!!』
『カグヤ様! おめでとうございます!!』
『プロポーズ成功おめでとう!!』
ってプロポーズだったの?!カグヤは、平静を装っていたが、顔は真っ赤になっている。
怒号のような歓声。D-Tubeの生中継カメラが何十台も俺たちに向けられている。
人類がダンジョンを発見して以来、これほどまでに熱狂的に迎えられた運び屋がいただろうか。
昨夜の秩父ダンジョン山頂でのやり取りは、初日の出の絶景と共にリアルタイムで全世界へ爆速拡散され、俺たちは今、この瞬間、世界で最も注目される存在になってしまったらしい。
「……笑って、前だけ見てなさい。立ち止まったら取り囲まれるわよ。」
カグヤは慣れた手つきで日傘を差し、優雅に歩き出した。室内で日傘差してる辺り、カグヤも動揺しているようだ、手震えてるしな。
俺とユウキは、まるで警察官が必死に作る「道」を、ママチャリとカブで進む。
大理石に響くタイヤの音だけが、現実感を繋ぎ止めていた。
◆◆◆
銀座一丁目、カグヤの所有する高級マンション『ルナ・コート・レジデンス』。
ようやく辿り着いたその場所で、俺はさらに絶句することになった。
一階に入っている老舗和菓子屋『瑞月』の店先が、見たこともないほど長い行列で埋め尽くされていたからだ。
「いらっしゃい! はい、元旦限定・秩父凱旋記念の『氷聖女の初日の出大福』ね! 縁起物だよ、お一人様二個まで!」
厨房から響くのは、あの頑固な店主の、新年早々絶好調な声だ。
どうやら昨夜の配信ラスト、初日の出をバックにした俺とカグヤの姿を、さっそく商売に利用したらしい。
「……親方、元日から飛ばしすぎですよ。氷聖女の初日の出って何ですか」
ボロボロの格好で声をかけると、店主が紅白のハチマキを締めた顔を奥から出した。
「おぉ、レン! 帰ったか! 見ろ、お前らが全世界の前であんな『初日の出プロポーズ』なんて見せつけるもんだから、うちの大福が今や『最強の縁結びスイーツ』扱いだ! おかげで、仕込んだ三千個が午前中でなくなりそうだよ!」
「告白はしましたけど……プロポーズって……」
店主はニカッと笑い、俺の肩を力強く叩いた。
「これでお前も、ただの運び屋じゃなくなったな。……よく生きて帰った。あけましておめでとう、レン」
その言葉だけで、疲れ切った体に活力が戻る気がした。
◆◆◆
オートロックを抜け、エレベーターで自分の部屋へ。
カグヤから借りているこの部屋に辿り着いた俺たちは、装備も脱ぎ散らかしてソファになだれ込んだ。
だが、安息の時間は一分と持たなかった。
カグヤの膝の上で、タブレットが不吉な通知音を鳴らし始めたからだ。
「……レン、寝てる場合じゃないかもしれないわ」
カグヤがソファに深く腰を沈めながら、スマホの画面を俺に向けた。
「ハリーエクスプレスの親会社が、あなたを訴えたわ。名目は『特許権侵害』と『不当競争防止法違反』。……要は、あなたの【絶対配送】のルート構築ロジックが、彼らの開発した魔導ナビの技術を盗用しているっていう言いがかりよ」
「はぁ? 俺のスキルは自前だぞ。あんな金だけの連中と一緒にされてたまるか」
「ええ、分かっているわ。でも彼らの狙いは勝訴じゃない。裁判を起こすことで、あなたの活動を『不適切な営業』としてダンジョン庁に報告し、ライセンスの一次凍結を狙っているのよ。……そして、こっちが本命」
カグヤが次に提示したのは、電子公印の押された呼び出し状だった。
「ダンジョン庁・物流監査局からの特別召喚よ。明日午前十時。……『絶対配送』が公共の利益に資するか、あるいはダンジョンの均衡を崩す危険因子か、彼らによる査定が行われるわ」
「……監査、か。ダンジョンでチャリを漕ぐより、よっぽどしんどそうだな」
秩父の雪山を制したはずの俺たちを待っていたのは、書類と法律という名の、やっかい事だったのだ。
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