15:どんな悪路でも、ダンジョンイーツはお届けします。
※誤字修正しました。
ご報告ありがとうございます。
秩父ダンジョンは、まさに魔法の存在を体現しているかのような、不可思議な構造美を持つダンジョンだ。
通常のダンジョンが地の底へと潜っていく「深淵」であるのに対し、ここは上へ、上へと階層を積み上げていく「階梯」の性質を持っている。
そうなれば、外から見れば巨大な塔や険しい山がそびえ立っているように思えるだろう。
だが、実際の入り口はどこにでもあるような平原に位置する、ごく小さな「丘」に過ぎない。
論理的に考えれば、数階層も上れば丘の頂に達し、さらに進めば空へと突き抜けてしまうはずだ。
しかし、ダンジョンの内部に一歩足を踏み入れれば、そこには既存の物理法則を嘲笑う異空間が広がっている。
どれほど高度を上げようとも、頂に近づく気配すらなく、空を突き破ることも叶わない。一歩進むごとに空間は歪み、外から見た「丘」の体積を遥かに超越した広大な世界が、垂直方向に無限に連結されているのだ。
それはまさに、神が作り出したバベルの塔か、あるいは出口のない迷宮。
そんな異界のルールが支配する場所だからこそ、冬の秩父ダンジョンは、一度牙を剥けば逃げ場のない氷の監獄へと変貌するのだ。
標高が上がるにつれ、気温はマイナス30度という未知の領域へと沈んでいく。
防寒装備の隙間から入り込む冷気は、もはや冷たいという感覚を超え、剥き出しの肌にカミソリを当てるような鋭い痛みに変わる、やがて痛みすら感じなくなり、人は氷像へとなりはてる。
肺に吸い込む空気は肺胞を凍らせ、吐き出す息は一瞬で結晶化して顔周りに散る。
視界は絶望的なホワイトアウト。数メートル先には、魔素を吸って異形へと成長した樹氷――『スノーモンスター』が、逃げ場を塞ぐ白い巨人のように聳え立っている。
何より恐ろしいのは、音だ。猛吹雪が耳元で鳴らす咆哮が、平衡感覚を狂わせ、孤独という名の恐怖を増幅させる。
足元は底なしのパウダースノー。一度でも重心を外せば、人間も、ましてや重い荷を積んだ車両も、瞬時に「白の沼」へ呑み込まれ、春まで見つからないだろう。
だが、その沈黙と暴風の世界を、小気味よい単気筒エンジンの音が切り裂いていた。
「あはははははっ、私のカブは、止まらない……!
うはははははっ!!まだまだ速度はあがるよーーーーっ!!ひゃっほーーーい 」
先頭を行くユウキの声が、インカム越しに届く。少しイっちゃってる、いや……かなりだな。運転すると人が変わるタイプがいるが、ユウキはまさにソレだ。
彼女の愛車は今、その真価を発揮していた。スキル 「不屈の轍」によって魔力を帯びたクローラーが、底なしの雪をガチガチの舗装路へと変成させ、後続へと繋いでいる。
どんな過酷な環境でも、どんな重荷を背負っても、目的地へ届けるために設計されたその設計思想が、ユウキの魔力と共鳴し、奇跡的な走破力を生み出しているかのようだ。
俺はママチャリのハンドルを、感覚を失いつつある指で握りしめた。
背中には、S級冒険者のカグヤが密着している。彼女の体温が、凍りつこうとする俺の背筋を辛うじて繋ぎ止めていた。
「レン、無理をしないで。あなたの呼吸、少し乱れてるわ」
カグヤは、荷台に座り、ユウキと俺に向けて、防風と耐寒の魔法をかけ続けてくれているが、この寒さは想定以上だ。
「分かってる!やっぱり200キロの重みはキツいな……」
当初、ユウキのカブで荷物を運ぼうとしたのだが、ユウキは「運送事業許可証」を持っていなかった。白ナンバーのカブで、金銭の発生するギルドの運送業務を請け負うためには、許可証が必要なのだ。それがなければ、一発で営業停止だ。
「ユウキ!!お前、寒さは大丈夫か?!」
「ああ、私のカブは、鉄馬使い《アイアン・ジョッキー》によってパワーアップしています!!そのパワーアップの中には、防風や防寒性能アップも含まれています。
分かりやすく言えば、私のカブには、ジャジャーーーン!!なんと!エアコンがついてまーーす!!」
「は?」
「え?」
だからあいつ、あんなに元気なのか……、俺は今にも指が取れるんじゃないかと思うほど、凍えているっていうのに……。
「あ、先輩!!エアコン強くしたら、先輩の周りも暖かくなるかもーーー!!!」
ユウキは、俺のことを先輩呼びしている。決して俺が、そう呼ばれる事に憧れていたとか、そんなのはないぞ?
最初は、師匠とか呼ぶもんだから、先輩呼びにさせただけで……。
とかなんとか、言い訳しているうちに、ほのかに暖かくなってきた。さすがに半袖になるほどではないが、空気がまるで春の陽気のように……そして、カミソリの様な痛みを伴う風が、心地よい風に変わる。
しかし、温まったからといって重さが消えるわけじゃない。
俺の脚は、すでに乳酸が溜まり、千切れそうなほどの激痛を訴えていた。ペダルを漕ぐたびに、デリバリー・ランサーのクロモリフレームがギチギチと悲鳴を上げる。200キロという異常な積載量は、ママチャリの設計限界を遥かに超えている。
それでも、俺は止まらない。俺が止まれば、ユウキの轍は途絶え、基地で震える調査隊の命は消える。
「……ッ、ユウキ! 前方、魔素の密度が跳ね上がった。……来るぞ!」
俺の警告とほぼ同時だった。
ガアアァァァァァッ!!
吹雪のカーテンを物理的に引き裂き、その「巨躯」は現れた。
内臓を直接握り潰されるような重圧感。立ち上がれば5メートルを優に超える質量。それは、かつてこの地の生態系の頂点に君臨したヒグマが、冬眠に失敗し、飢えと魔素の汚染によって変貌を遂げた怪異――ウェンカムイ、アイヌ語で悪しき神。
全身の毛は、鋭い氷晶の棘と化して鎧のように体を覆い、吐き出す息は周囲の樹氷を一瞬で粉砕する。理性を失い、ただ目の前の動くものを食い尽くすためだけに存在する冬の暴君だ。
「ヒッ……っ、あ、あんなの……!」
ユウキが恐怖に呑まれ、カブのラインが乱れる。
「ユウキ、落ち着け! いいか!お前のカブは強い!
速度を落とさず、あいつの股下へ突っ込め!」
「そう!!私のカブは強い……!!強いんだーーーー!!」
ユウキの叫びに呼応するように、背中のカグヤが静かに動いた。
彼女が俺の腰から片手を離し、空へと掲げる。その瞬間、周囲の吹雪が不自然に凪いだ。いや、カグヤの放つ膨大な魔力が、荒れ狂う自然現象すらも屈服させたのだ。
「……私の休暇を邪魔するなんて、いい度胸ね。身の程を知りなさい、ウェンカムイ」
ウェンカムイの巨大な右腕が、空気を圧縮しながら振り下ろされる。
直撃すれば、カブもチャリも一瞬でひしゃげた鉄屑になるだろう。
だが、カグヤが指先を弾いた瞬間、空間そのものが結晶化した。
パキィィィィィィィン!!
鼓膜を劈く硬質な衝突音。
熊の爪が、カグヤの展開した極氷障壁に激突し、粉々に砕け散る。
S級の魔力に弾かれ、逆にウェンカムイの巨体が大きく仰け反った。
「今だ、ユウキ! 最大トルクで踏み込め! 奴の足元を『轍』で固めろ!」
「……っ、いけぇぇぇぇぇ!!」
覚悟を決めたユウキが、カブのアクセルを限界まで捻る。
スノーラモードのクローラーが雪原を爆走し、ウェンカムイの足元の深雪を、ガチガチの氷へと変質させた。
ズザザァァァッ!!
足場を失ったウェンカムイが滑走したその刹那、カグヤが冷静に氷の槍を喉元に突き刺した。山のような巨体が、地響きを立てて沈む。
「スゴい……っ、凄すぎぃぃぃぃぃ!!」
ユウキの歓喜の叫び。
「……油断しないで、ユウキ。とどめをさしても、残心しなさい。」
カグヤの声が、冷静に、だが確かに高揚を含んで響く。
「よし、ユウキいよいよ、本番だぞ!」
「はい!!」
前方に現れたのは、秩父ダンジョン最大の難所。垂直に切り立つ、高さ数百メートルの巨大な氷壁だ。
ギルドの雪上車が諦め、どんな名うての冒険者も冬には立ち入らない、氷の壁。
俺とユウキは、止まらずにその「壁」を見据えた。
「ユウキ、行けるな?」
「はい! 私のカブは止まりませんよ!!!」
ユウキとカブの力強い咆哮。俺たちは全力で氷の壁に向かっていった。
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