特製カレーのお味
いよいよ高月シェフのカレーを実食だ。楕円形の皿によそわれた白米の甘い香りと、並々と注がれたカレーから漂う芳ばしい匂いが混ざり合い、とても食欲がそそられる。
そして4人が囲うテーブルの中心にはトッピングの福神漬けとらっきょう、キンキンに冷えた麦茶ポットが用意されている。
時刻は18時を過ぎた頃。夕食としては少々早い時間だが、キッチンに用意されたカレーの香りを耐え忍びながら夜まで過ごすというのもなかなか酷な事であろう。
「じゃあみんな揃った事だし、いただきますしよっか!」
高月の対面に座る那須が声をかける。高月と神栖が隣りあい、神栖の対面には峯という席順だ。
「いただきます」
「あー違う違う。みんなで一緒にするの。そのほうが言葉に気持ちが籠るでしょ」
「神栖君、お昼に予習しただろー?もう忘れてんのかー?」
「…………。そうでした」
そう言って那須と峯が神栖に注意する。少々ご機嫌斜めな様子の神栖少年だが、まあそんなことはさておき、
「手と手をあわせて、いただきます!」
まるで幼稚園や小学校のような掛け声だが、これが那須宅のやり方なのである。
気持ちを込めて「いただきます」と「ごちそうさま」を言葉にし、料理を作ってくれた高月、そしてその料理の具材となった動物、野菜やそれに携わった人々へ感謝の気持ちを示す。
日本人としては幼き頃から誰もが慣れ親しんだ、もはや当たり前とも言える挨拶だが、だからこそ決してそれを疎かにしてはいけない。
気持ちを込めて挨拶する事で、常に感謝の想いを忘れる事なく過ごす…というのが那須桃葉の教育論なのである。
さてそんな話も程々に、一同はスプーンを手に取りカレーを口にする―――――
「どう?あずちゃん特製カレーのお味は」
「………美味いっス。具材が程良く煮込まれつつも、しっかりそれぞれの食感も残ってて食べ応えを感じるっス」
「だってさ、満点の食レポだね」
那須が高月の方へと目をやると、なんだか顔を赤く染め、モジモジとしている。
「嬉しい……です」
「あずちゃん、相変わらず可愛いヤツめー。神栖君、福神漬けとらっきょうもあるから、欲しかったらここから取ってな」
こうして4人は仲良くカレーを食べ進める。
――――――――――――――――
そして皆がカレーを食べ終わった頃、那須は徐に口を開く。
「さてさて、夕食もひと段落ついたところだし、ここからはちょっとお真面目トークしよっか」
那須はコップに注がれた麦茶をグイッと飲み干した後、一息ついてからゆっくりと話し始める。
「神栖君が昨日まで学校に通ってなかった事、峯ちゃんは勿論あずちゃんも知ってると思うんだけど。実はあずちゃんも中学生の頃から不登校になってたんだ。」
そう、高月あずきも学生時代に不登校を経験している。彼女は学年としては神栖御琴より5個ほど上、高月が不登校となっていた頃まで数年程遡るのだが、その原因は―――――
「あずちゃん、虐めを受けててさ。
あずちゃんと私、あと峯ちゃんとこの後来る諏訪ちゃんも、実は同じ中高一貫校の出なんだけど、そこ女子校だったんだよね」
学生の虐め。決して加害者によって一件一件の優劣が決まるわけではなく、等しく悪である事に変わりはないのだが、女子生徒間での虐めと聞くと何となく、より陰湿なものとなる……そんなイメージを持つ者も少なくはないであろう。
実際の所かつて高月が受けていた虐めもその例に漏れず、その陰湿さゆえに、虐めの発覚もかなり遅れてしまったのだそう。
那須の言葉をただじっと聞いている神栖の隣で、高月は俯きながら体を震わせていた。きっとその記憶を思い出す事さえとても辛いのであろう。
そんな彼女の様子に神栖は気づいたものの、彼は掛ける言葉が見つからなかった。
「私はその時高校2年生、あずちゃんはまだ中1だったかな。
校舎裏に人だかりが出来てる事にその時偶然気づいたんだけど、その人だかりの中心で何が行われてたかは多分、神栖君の想像通りだと思う。
その時は峯ちゃんと諏訪ちゃんも一緒だったから、高校生三人で割って入って、何とかその場を収める事が出来たんだけど。正直私は悔しかった。取り残されたあずちゃんは身体中アザだらけでさ。
その後はすぐにあずちゃんを保健室へ連れてって、私たち三人が先生達にもう必死になって働きかけたお陰で、主犯格四人は一時停学後それぞれ転校してった。
あんな現場を見せつけられて、万が一にも有耶無耶にされたらなんて考えると、とても許せなかったから」
主犯格の四人には、それぞれの地元中学校へ転校させるという措置がとられた。このお陰で高月あずきに対する虐めは晴れて無くなった。
しかしだからと言って、彼女がこれまで受け続けた心身の傷が癒えるわけではない。一度虐めを受けた者は、いくら身体の傷が癒えようとも、心に受けた傷を背負いながらこれからを生きていく事となる。
それが虐め問題の厄介な所である。そして高月を取り巻く環境の問題点はもう一つ――――
あずちゃんのお母さん、自分の子供が虐めを受けていたって言うのに、全くと言って良い程無関心だった。人の親を悪く言うのも良くないけど、お母さんの『虐められる方が悪い』って態度には私も心底腹が立った」
それはネグレクトである。高月あずきの両親は、彼女が産まれて間もない頃に離婚し、以降母親と二人暮らしを送っていた。
しかし彼女の母親は日中はパート、夜は繁華街を遊びまわる、とろくに家へ帰ってこない人だったと言う。
母親が帰らない日は決まって居間のテーブルにお金だけを置き、朝まで帰ってこない事もザラにあったらしい。
そして高月あずきが虐めを受けていた事が発覚した頃、那須と峯、諏訪の三人は彼女の母親にこの事を伝える為、毎日のように高月家へ訪れていた。
しかし彼女らが母親と対面するまで、実に四日もかかった。
それに加え、虐め問題について伝えた所で母親は意にも介さない様子。那須は高月のこの現状に、当時学生ながら酷く絶望感を覚えた。
虐め問題は無くなった。
しかし虐めにより蓄積した心の傷は高月を蝕み続けていた。
彼女が塞ぎ込むようになり、不登校と化すまでも、そう時間は掛からなかったと言う。だが、不登校になったとて高月家に彼女の居場所などどこにも無い。
那須らはそれからも学校の教師陣へ必死に働きかけ、何とか別室登校まで漕ぎ着ける事が出来た。だがそれでも母親との問題が残っている。そこで那須はある決断をする―――――
「だからあずちゃんを、私が引き取る事にした」
「――――え?ちょっと待ってください」
神栖が疑問を投げ掛ける。
「当時は先生も学生っすよね?
高月……さんを引き取るってそんな事出来るんスか?」
「勿論親権とか、そういうのを丸々取っ払ってウチで引き取る事は出来なかったよ。でも当時は私も実家暮らしだったから、お泊まり会って名目であずちゃんのお母さんの許可はすんなり貰えた。
それで私が大学二年生の頃だったかな。あずちゃんが高一になったタイミングで、晴れて私の元に引き取った。ルームシェアって形でね。何回か引っ越しもしたけど、あずちゃんにはずっと付いて来てもらってるんだ」
「なんか随分壮大な学校生活送ってたんスね」
「でしょー?あずちゃんにはこんな赤裸々に話しちゃってゴメンだけど」
那須はそう言って笑い飛ばしながら神栖と高月、峯の3人の空いたコップへ麦茶を注ぐ。
一方そんなお真面目トーク中も、峯はずっとスマホを構っていたのだが。
「あ、諏訪ちゃんもうすぐ来れるって。ミーティング早く終わったみたい」
「そ?せっかくだから神栖君も挨拶していきなよ。てかずーっと諏訪ちゃんとメッセしてたの?」
「そそー。ミーティング中だってのに、余程暇だったのかな。ずーっとお話してた」
「2人揃って不届きなヤツめ。」
那須はそんな峯に不機嫌な表情を見せるが、
「でさ、本題。あずちゃんは見ての通りかなり引っ込み思案な子なんだけどさ。神栖君、良かったらこの子の友達になってくれない?」
高月は那須に注がれたコップへ口をつけた後、少し照れくさそうに微笑みながら神栖の方へ目をやる。神栖はそんな彼女と目が合うと、頬を染めながら目線を逸らすも、
「まあ、こんな話聞かされて断るのも寝覚めが悪いっスし、わかったっス」
ツンとした表情を浮かべながらも彼は答えた。
「神栖君、よろしくお願いします……」
「高月さん、スね。ウス………」
「なんで友達になったのに敬語なんだよー?ほら、二人とも敬語禁止、あとアプリで友達登録!」
「それと、友達だってのに苗字呼びは仰々しいだろ?ソコは『カヲルでいいよ』でしょ」
「だからカヲル君じゃないですって。じゃあ僕は“あずきさん”て呼びますんで、僕のことは“御琴”でいいっス」
「わかった。御琴君」
神栖御琴のメッセージアプリ、友達欄にまた一人。高月あずきの名が登録された。
「今度の休日にでもみんなで遊ぼうぜー?ま、神栖君に拒否権は無いんだけどさ」




