5.物理的に冷たい婚約者と初対面です
食事の後、エルフィリアは食後に出されたホットワインを楽しみながら、暖炉の火をしばらく眺めていた。
そしてしばし時間がたったあとに、待ちかねていた入浴タイムが来た。
気になっていた蒸し風呂は日中に利用するらしいので、夜はお風呂だ。
浴槽にたっぷり張られたお湯には薬草が入れられていて、浴室内には薬草の香りで満ちていた。
その薬草風呂を横目で見ながら、まずは髪や体を洗われる。
自分でやっても良かったが、せっかくなのでお任せすることにした。
洗われている最中は、正直なところかなり寒かったのだが、暖かそうな薬草風呂を前にして、なんとか耐えた。
そうして全ての石鹸の泡を洗い流したところで、ようやく待望の湯船に浸かる時間が来た。
本来であれば侍女二人は控えているらしいのだが、入浴の手伝いのために薄着になっているのに、この寒い浴室に拘束するのが申し訳ないので、部屋に戻ってもらうことにした。
そうして、一人になった静かな浴室で、エルフィリアは待望の風呂に向き合った。
まずはそっと足先を湯船につけると、気温差のせいか、この湯船のお湯の温度が高めなのか、熱すぎて一度足先を引っ込めた。
しかし、相変わらず体は寒い。浴室は風呂の湯気でやや温まっているが、それでもエルフィリアの体感だと外と変わらないぐらいひんやりとしていた。
エルフィリアは今度は浴槽のふちに腰掛けて、そっと足を沈める。最初は熱すぎると思ったが、ふくらはぎぐらいまで淹れていくと、だんだんとお湯の温度に慣れてきた。
自分の体が冷たすぎて、ややお湯の温度も下がったのかもしれない。
エルフィリアは掛け湯をした後、ゆっくりと体を湯船に沈めた。体の冷えがお湯に溶けて行き、じわじわと体の緊張がほどけていく。
息を吐き出すと、お湯の白い湯気に混ざって、白い息が出た。
「この国に来て、初めて温まった……」
自国より寒いことを理解していたつもりだったが、理解できていなかった。エルフィリアが住んでいたのはレオナール王国の最南部にある王都で、まだ夏の気候だった。
ヴァルデンの王都はどちらかといえば北部かつ標高の高い位置にあり、この国の秋の気候が、エルフィリアにとっては真冬ぐらいの寒さがあった。
「そういえば、アレン殿下はどんな人かしら。氷の王太子と名高いから、やっぱり無愛想で冷たい感じなのかしら」
嫁ぐと決まって1週間ぐらいで放り出されたエルフィリアだったが、隣国の王太子のことは、以前から知っていた。
氷の魔法にも剣にも精通している北部の英雄だが、女嫌いで冷たいため、得意の氷魔法のこともあり氷の王太子と呼ばれているらしい。今回の婚姻は、エルフィリアと結婚できる適齢期の王子として選ばれたのだと思うが、どうして王太子の正妃として、エルフィリアを迎えようと思ったのか不明だ。
こちらの素性調査も住んでいて、エルフィリアがレオナールで政治的に価値がないことがむしろ好都合だった可能性はあるが。
「考えていても仕方がないか……」
明日になったら対面の機会があるので、そのときに考えればいい。
起きてもいないことを不安がっても仕方がない。それは無駄に労力を使うだけだ。不安に感じることで何か備えられるのであればそれは意味があるが、今の所、アレンに対して得るフィリアが準備できることはない。
「この暖かさともお別れか」
湯船に浸かりすぎていても、湯冷めして逆に体を冷やしてしまうだろう。エルフィリアは快適だった湯から出るべく、一度立ち上がった。
「寒い!」
すぐにしゃがんで、お湯の中に戻った。
結局その日、リオネッタが呼びにくるまで、エルフィリアはお湯から出られなかった。
そうして次の日の朝、交代で火の番をしてくれた二人の次女のおかげで、エルフィリアは快適に眠れた。ただし、暖炉の前においたソファーの上でだが。
ソファで寝るという提案にリオネッタも渋い顔をしたが、ベッドを運ぶのが難しいということもあり、結局、毛布と掛け布団とクッションだけを運び込み、ソファを簡易的なベッドとすることに彼女も了承したので、そこで寝たのだ。
朝起きると、温かいスープとパンが用意されていた。リオネッタにこれは全て食べて良いと念押しされたので、朝食はその言葉に甘えることにした。
そうして朝食を終えると身支度だが、その前に、リオネッタが見繕った、ぎりぎりヴァルデンで着れそうなドレスに精一杯の魔法をかけることにした。
リオネッタが選んだのは真紅の絹のドレスで長い袖と比較的胸元があまり開いておらず、金の蔦の刺繍がアクセントに施された、レオナールで冬の礼装になるドレスだ。両方の肩口から、金のレースのマントが流れている。
これは売れそうな色をしているが、流石に全部禁色にするのは躊躇われたのだろう。9割ほど禁色でも、まともな色のものもあって助かった。
リオネッタはトルソーにかけたそのドレスを目の前に置いて、選定理由を話してくれた。
「エルフィリア様は礼法上は禁色を許された方ですが、最初の挨拶では、避けた方がよろしいかと思われます。長袖で禁色でないものとなると数が少なく……」
「問題ないわ。寒いのは仕方がない」
「夜の間にローブだけ調達いたしましたので、こちらをお使いください。こちらは正装としてお使いいただけます」
リオネッタがドレスを着せたトルソーにかけたのは、深紺の厚手のローブだ。肩口には金の留め具がつき、背中には金糸で花が刺繍されている。
「これ、家紋に見えるけれど……?」
「アルミナーク公爵家の家紋です。それの持ち主がエルフィリア様に使っていただけるならと」
リオネッタは淡々と言うが、それは嘘に違いない。エルフィリアは自国でも蔑ろにされていた王女で、ヴァルデンからしたら敵国の王女だ。
ヴァルデンの名家であるアルミナーク公爵家が手を差し伸べるのはおかしい。
「アルミナーク公爵家? 現公爵が、国王陛下の弟なのよね? そんな家の方のローブなんて、リオネッタ、あなた、何をしたの?」
「大したことはしておりません。私はアルミナーク家に縁があり、そのローブの調達に何かを差し出したりはしておりません」
取引していないというが、そんなことがあり得るだろうか。
しかし、侍女の厚意をこれ以上詮索するのも悪手な気がする。実際問題、ドレスについてるレースローブなど、風除けにもならないただの飾りだ。
リオネッタが持ってきたローブを羽織っていいなら羽織らせてもらった方がいいに決まっている。
悩んだ末に、エルフィリアはこの厚意を受け取ることにした。
「ありがとう。では、遠慮なく。これにも魔法をかけても?」
「はい。こちら、持ち主は差し上げて良いとの意向です」
「では後でお礼をしたいからその人が好きそうなものを見繕ってちょうだい」
「……かしこまりました」
明らかに質のよいローブで、公爵家のものだと言うのが納得の品である。それに公爵家の人の持ち物なら、基本的に宮中のドレスコードに準じているはずだ。
エルフィリアは、自分のドレスとローブにそれぞれ念入りに暖かくなる魔法をかけた。ドレスは元が薄いので対して効果は見込めないが、このローブは羽織ればかなり暖かくなりそうだ。
「本日は、昼食前に謁見していただき、その後、お部屋でアレン殿下と昼食会の予定です」
エルフィリア全力の魔法を施した服を着せられながら、今日の予定を説明される。
「お部屋というのは……この部屋?」
「はい。ヴァルデンの慣習で、婚約者と最初に対面した日には、2人で昼食を取るのが慣わしです」
「それって……誰が作るの? 殿下の料理人?」
「殿下の食事とエルフィリア様の食事はそれぞれの料理人が作ります。ヴァルデンでの下げ渡しの慣習がある食事は、個人での食事かつ、昼食か夕食ですので、基本的にどなたかと召し上がる時はお気になさらないでください。一食分のみが正規量です」
エルフィリアの疑問を正確に把握したリオネッタは、あまりぼかさずにはっきりと知りたかったことを教えてくれた。
そういう慣わしであれば、今日は出されたものを素直に食べて良いということだ。夕食はどうなるかわからないが、王太子との食事の量が少ないとは考えられない。
夕食が少なくともなんとかなるぐらいの量は食べられるだろう。
「ありがとう。あまり宮中のしきたりに詳しくないから、教えてもらえると助かるわ」
「可能な限りお伝えしますが、正式に講師もつくかと思われます」
「それは助かるわね。私、勉強は好きなのよ」
深く考えずに言ってから、それは無気力姫エルフィリアの設定と矛盾していることに気がついた。
しかしリオネッタもミーナも特に気にした様子はなく、支度を進めてくれる。
ドレスを着た後は、緩やかなウェーブのある黒い髪を編み上げて、頭の上で何十にも巻いてシニヨンを作る。
そうして真紅のドレスに深紺のローブを羽織れば、それなりに北部の王太子妃に見える気がした。
「エルフィリア様、お綺麗です!」
「道中に嫌がらせされて、このローブが汚れないといいけど……」
ローブはかなり高級品なので、自分のローブが揃ったら、もしかしたら返した方がいいかもしれない。
だからこの薄手のドレスがどうなってもいいが、ローブだけは汚されないで死守したいところだ。
ーーー汚れ防止の魔法もかけよう。
エルフィリアはあまり魔力は多くないので、一つ一つの魔力の効力は高くない。ただ、便利な魔法は普通な人よりもたくさん知っている。
「そのローブを汚す猛者はいないはずですから、大丈夫ですよ!」
「ミーナ」
「あ、失礼しました! でもその、とにかく、今日はエルフィリア様に無礼なことをするものはいないはずです」
なぜリオネッタが止めたのかはわからないが、アルミナーク公爵家は思っている以上に強い力があるのかもしれない。
「このローブ、本当に大丈夫なの? 持ち主にご迷惑をおかけするのでは?」
「たとえかかったとしても問題ございません。本人も覚悟の上です」
リオネッタはやたらとキッパリと言い切るが、どうしてそんなに自信があるのか不思議だ。しかし、彼女があまりにもはっきりとそういうので、エルフィリアも追及しないことにした。
どのみち、これがなければ部屋の中で凍死しそうになるかもしれないのだから、背に腹は変えられない。もしこれの持ち主に迷惑をかけたら、リオネッタに手伝ってもらいながら謝罪とお礼をたくさんしよう。
そう決意すると、部屋の扉がノックされた。ミーナは、このメインの部屋から一枚扉を隔てたところにある玄関ホールに向かった。そしてなにやら話し声が聞こえた後、ミーナが戻ってきた。
「王太子殿下がお迎えに来てくださりました」
「お迎え?」
「謁見の間までエスコートしてくださるんですよ」
もちろん部屋に淑女を迎えに来たらエスコートするぐらいしかやることはないだろうが、氷の王太子とな高いアレンがまさかこの部屋にまで来るとは驚きだ。
このまま謁見の間に向かうということで、エルフィリアが外に出ることになった。
そうして玄関ホールを抜け、廊下に出ると、そこには美しい銀髪と青い瞳の冴えた美貌の持ち主がいた。
紹介されなくてもわかる。彼が、ヴァルデンの王太子アレンだ。
「初めまして。エルフィリアと申します」
「アレンだ」
特に表情は動かず、端的すぎる挨拶をしたアレンは、まさに氷の王太子と言っても過言ではない冷たさだ。
これだけ冷淡だからそんなあだ名が付いたのだろう、と思っていたのだが、無言で差し出された腕に掴まった瞬間に、勘違いに気づいた。
ーーー冷たっ! え、なに、この人、物理的に寒いんですけど!
 




