4.食の恨みは怖いんです
エルフィリアは暖炉の前でうたたねしていたが、薪がはぜるパチリという音で目が覚めた。
眠い目を擦ると、どうやらリオネッタが戻って来たようだ。先ほど飲み切った紅茶は片付けられ、水の入ったコップが置いてある。
エルフィリアはありがたくその水を飲むと、目が覚めて来た。喉のあとどこに水が落ちたか分かるほど冷たかったからだ。
空気が冷たいから、水も冷えてしまうのだろう。
「お目覚めですか?」
サイドテーブルと逆側から、リオネッタに声をかけられ、エルフィリアはそちらがわを振り向くようにして見た。
コートを脱いだリオネッタがそこにいた。彼女の着ているワンピースは生地は分厚そうだが、それとエプロンでなんとかなる気温ではない。明らかに寒そうだ。
「コートはどうしたの? 寒くない?」
「基本的には各部屋ではコートは脱ぐのが決まりですから」
「? でもさっきは………。あ、この部屋が寒すぎたからね」
この部屋は外並みに寒かったので、エルフィリアが注意しないのであれば、コートを脱がずとも良いかという判断だったのかもしれない。もしくは、彼女自身のためではなく、ミーナのためかもしれないが。
「私は気にしないから、邪魔じゃないならこの部屋ではコートを着ててもいいわよ。2人しかいない侍女に風邪を引かれても困るから」
「……ありがとうごさいます。適宜、ご厚意に甘えさせていただきます」
リオネッタは生真面目そうだが、寒いのは苦手なのかもしれない。決まりだから、というのを強く推すこともなく、静かに礼を言った。
エルフィリアは、リオネッタにもミーナにかけた保温ようの魔法をかけようと立ち上がった。そして、リオネッタの肩に手を置いて魔法をかける。
ワンピースそのものにかけたが、下からの空気の出入りもあるので効果は気休め程度だろう。
しかし、リオネッタの寒さは少し治ったらしい。明らかに体のこわばりが緩んだのを感じた。
「ありがとうございます。これは、馬車での魔法でしょうか?」
「ほとんど同じよ」
「私にも使えるでしょうか?」
どうやら気に入ってくれたようだ。リオネッタはまじまじと自分の服を見ながら、尋ねてきた。
母の研究していた魔法が喜んでもらえるのは嬉しいことだ。
「もちろん。ミーナにも聞かれたから、2人にまとめて教えるわ」
「ありがとうございます。それと、そろそろお食事の時間なのですが、ご用意しても?」
「お願いするわ」
ついに食事の時間がやってきたようだ。食事は大切だ。この寒い国でエルフィリアが楽しみにするなら食事ぐらいしかない。
つまり、ここでどの程度の食事を出されるかは、快適に暮らしていけるかの分かれ目となる。
食事をとりに行くのは、ミーナの仕事のようだ。ミーナは作業中の管理簿をエルフィリアに確認を依頼しつつ手渡すと、部屋を出て行った。
整理された管理簿を見ると、一見、王女としてふさわしい品々の用意があるように見える。
しかし、エルフィリアには管理簿を見ただけで、自国の周到な嫌がらせの正体が分かっていた。
「リオネッタ、ヴァルデンでは禁色があると聞いたわ。それはどういうルールがあるの?」
「直系王族が持つ青い瞳に由来して、明るい青を禁じています。エルフィリア様は王家に入られますので身にまとって問題ありません。むしろ、推奨されるぐらいです」
「でも、この国では青いドレス、宝石は売れないわよね?」
「はい。それはどうして……まさか」
リオネッタはまだ衣装室を見ていない。しかし会話をしていて気づいたことがあったようだ。
エルフィリアはミーナのまとめた管理簿を手渡した。リオネッタはその管理簿をパラパラとめくり、小さく息を吐いた。
そして、何かを言いたげな目でこちらを見た。これは説明しないと状況が飲み込めないだろう。同情を引く気はなかったのだが、端的に伝えることにした。
「あなたには伝えておくけど、私は自国でそれなりに冷遇されていたの。この国では着れない薄手の青いドレスに、金がベースになった青い宝石のついた宝飾品がほとんど。王太子殿下の髪は銀髪だと聞いたし、王家の皆様も銀髪が多いと伺ったわ。つまり、私が身につけるなら銀をベースにした青い宝石の宝飾品よね?」
「ご認識の通りです。……早急に仕立て屋と宝飾品の商人を呼びます」
手の込んだ嫌がらせだ。実用性がない上に換金もしづらい品を輿入れの品として用意するとは。父である国王はこんな面倒なことはしないので、おそらく正妃のせいだ。
「ついでに、売るルートがないかは確認してもらえる? この品々はなんの思い入れもないの。できれば換金したいわ」
「かしこまりました」
リオネッタは淡々と承諾の返事をした。彼女が同情したりしてこないのは、ありがたい。この無表情さも、時に優しさになり得るのだ。
「もう一つ頼みが。明日には、ヴァルデン国王陛下、王妃陛下、王太子殿下お目にかかると言ってたわよね? 衣装室でギリギリ寒さに耐えられそうで、礼法に反しない服を探してちょうだい。一応、レオナール基準の冬服はあるはずだから、あなたが選んだ服にできるだけ暖かくするための魔法をかけるわ」
「承知いたしました。選んでまいります」
衣装室へと足早に向かうリオネッタの背を見送ると、エルフィリアは小さくため息をついた。
「1着ぐらいまともに着れるドレスがあってほしいわね」
珍しくまともに準備していると思ったらそんな罠があったとは。
エルフィリアは目録の確認と実物を一部見ただけだった。だから、明らかにこの国で出番がないサマードレスが大半を占めているとは思っていなかったのだ。
ミーナの目録には丁寧に色と形、素材などが書いてあるが、レオナールで用意された目録は、ドレスの数しか書いていなかったので気づかなかった。
どのみち、自国にいた時に気づいてもその嫌がらせは止められなかっただろうから、気づいても仕方がなかったとは思うが。
しばらく手持ち無沙汰になったので、再び暖炉の前で待っていると、ミーナがワゴンと一緒に現れた。
しかしなぜかミーナの表情が暗い気がする。
「お待たせしました! お食事、並べますね」
元気な様子で宣言したが、どことなく表情に違和感がある。エルフィリアは他人の顔色を伺って生きて来たので、他人の心情を察するのは得意なタイプなのだ。
そして、エルフィリアはすぐに、ミーナが暗い顔をしている理由に気がついた。
テーブルに並べられた料理が、一人前のコース料理だった。部屋で食べるので一気に並べる略式なのはいい。
冷菜、温菜、スープ、主菜、付け合わせ、デザートと一通り揃っているが、明らかに食べ切れる量しかない。
エルフィリアの記憶が正しければ、エルフィリアが食べないものが侍女や料理人の食事となる。彼女が暗い顔をしているということは、おそらく本来はここに食べきれない量が並ぶはずなのだ。
つまり、エルフィリアがこれを食べきれば、彼らの今日の食事はない。
料理人が嫌がらせをしている場合は、侍女2人と分け合えばいいが、料理人も被害者の場合は、これを5人に分け与える必要がある。
スープだけは鍋で用意されているが、人数分ありそうには見えない。
どう切り出すべきか。
エルフィリアが悩んでいると、服を選んでいたリオネッタが戻って来た。
そして彼女もまた、並べられた料理を見て、何度か瞬きをしてミーナの顔を見た。ミーナはリオネッタを見た後、ちらりとエルフィリアを見た。
エルフィリアの前では話しづらいのだろう。ただ、本来はマナー違反とはいえ、5人分下げ渡すか2人分下げ渡すかでは食べられる量がかなり違う。
エルフィリアは悩んだ末に直球で尋ねることにした。
「この食事は、今日私のために作られたもの全て並べたの?」
「今日は……その、不測の事態がありまして、あまり多くないのですが、明日からはもっとたくさん、お出しできると思います」
ミーナが言い淀みながら言ったことを考えると、おそらく、今日は誰かの邪魔が入ったが、明日からは確保できる見立てがあるということだろう。
一食ぐらいなら、エルフィリアはなんとかなる。この後はどうせ寝るだけなのだから、満腹になるまで食べなくても良い。
彼らは動き回って最後の食事が侘しいのは辛いだろう。
それに、飴と鞭でいうところの飴を与えると決意したのだ。この場では食事を気前よく譲ってあげるべきだろう。
「不測の事態は仕方がないわね。明日からは気をつけてちょうだい」
エルフィリアは明るく言うと席に着いた。そして、よそられたスープを見る。体を温めるためにスープは確保したい。
逆にいえばそれ以外は譲ってもいい。
「ミーナ、そのスープ、具材をもう少し足してもらえる?」
「かしこまりました」
ミーナはワゴンに乗せている鍋の蓋を開けた。白い湯気がふわりと広がって、スープの暖かさを視覚的に訴えてくれる。
スープの具材は、見える限りだと鶏肉とじゃがいもと玉ねぎだ。すこし具材を足してもらえればそれなりにお腹には溜まる。
ミーナが具材を足した陶磁器のスープカップをテーブルに静かに置いた。
ーーーいきなりひもじい思いをするとは思わなかったけど、仕方がないわね。
「私、今日は移動で疲れたから、胃を休めるためにスープだけいただくわ。残りは全て下げてちょうだい。あなたたちで食べていいわよ」
エルフィリアがそういうと、ミーナとリオネッタが2人揃って息を呑んだ。
その発言は予想外だったらしい。食事を使用人に下げ渡すのはレオナールにはない風習なので、エルフィリアが知らないのではと思っていたのかもしれない。
2人は顔を見合わせた後、リオネッタが静かに進み出て、もう一度鍋の蓋を開けた。
「スープだけでしたら、もう少し具材もお召し上がりください」
そして、彼女は有無を言わさず、鍋から具材を掬い上げ、スープの具材を追加した。もはや具材の方が汁より多そうだが、お腹は満たされそうだ。
主菜の鴨のローストも美味しそうで後ろ髪引かれる気持ちだが、仕方がない。
エルフィリアは今日の夕食の唯一のメニューであるスープを楽しむことにした。
まずは汁をスプーンで静かにすくって飲む。温かいスープは体をあたためてくれる。鶏肉と玉ねぎの風味と塩味が広がり、味は申し分ない。
調理の手は抜かれていないので、料理人は特にエルフィリアに敵意はなさそうだ。
ーーーそうなると、誰かに食材をダメにされた説が濃厚ね。まだ知らない人なのか、それともさっき追い払った侍女たちが腹いせにそうしたのか……。食の恨みはどこかで晴らしたいわね……。
エルフィリアはスープを食べながら犯人について考えた。
しかし、陶磁器のスープカップは決して大きくないので、思考が固まる前に食べ切ってしまう。
それでもエルフィリアの今日の食事は以上である。
「食後にお飲み物を飲まれますか? お酒をお出ししてもよろしければ、ホットワインをご用意します」
「ええ。ぜひお願いするわ」
ホットワインは飲んだことがないが、温かいワインなら体が暖まりそうだ。食べたとはいえ、そこまで量も多くなかったので、エルフィリアの体を温め切るには、スープではやや物足りなかった。
「ミーナ。ワゴンを運ぶついでに、ホットワインの準備をお願い」
「かしこまりました! ………あの、本当にもう、運んでしまってよろしいですか?」
リオネッタの指示に元気に答えたミーナだったが、残っている食事を見て、エルフィリアに気遣わしげに尋ねて来た。
「ええ。大丈夫よ」
「……ありがとうございます」
本来の礼法では使用人は下げ渡された食事に礼は言わないはずだ。
礼を言うことで次を望んでいるように聞こえるからだと本には書いてあった。
だから礼法に詳しそうなリオネッタは静かにスープの具材だけ増やしたのだろう。
しかし、ミーナは若くて知らないのか、あるいは、どうしてもお礼を言いたかったのかーーー。
小さな声で言われたそのお礼は、きっと、純粋な彼女な気持ちだと、エルフィリアは感じたのだった。




