3.飴と鞭は大切です
エルフィリアがちょっとした仕返しを終えたところで、しばらく姿の見えなかったリオネッタが再び現れた。
「お待たせいたしました」
「紙とペンは部屋になかったの?」
「……少し、お部屋に不備がございまして」
リオネッタは言葉を濁したが、エルフィリアは理解した。
薪と同じで、使えないようにしていたか、あるいはなかったのだろう。だから部屋を出て、取りに行って遅くなったのだ。
「早々に追い出して正解だったわね」
「ご英断かと」
「身分も高そうなのに、どうしてあの人たちは私の侍女なんかに?」
リオネッタは終始無表情だが、わずかに彼女が困ったような様子になったのが分かった。これはエルフィリアには言いにくい事情なのだ。
「なるほど。妃候補ね。私の侍女のフリをしながら王太子の寵愛を望んでると」
「……ご明察の通りです」
推測を口にすると、リオネッタは肯定した。予想は当たっていたようだ。
「王太子殿下に寵愛を受けてる人はいるの? 噂では王太子殿下はあまり女性に興味がないと聞いたのだけれど」
「おりませんのでご安心ください。殿下もむしろ喜ばれると思います。あの2人には辟易していらっしゃったので」
恋路を邪魔したわけではなさそうで何よりだ。エルフィリアが平穏に暮らすには王太子の機嫌を損ねるわけにはいかない。
それにもう、エルフィリアは「仕返し」をしてしまったので、あれが王太子の愛人だったら困るところだった。
「それはよかった。そうそう、リオネッタに頼みがまだあるの」
「なんでしょうか?」
「先ほど、なぜか薪を管理する部屋に雨が降ったみたいでね、魔法によるものだと思うから、反射の魔法で処理したの。薪を濡らした犯人は、薪と同じだけ水をかぶると思うのだけれど……城に濡れたものがいないのであれば、私は追及しないと伝えてちょうだい」
エルフィリアがにっこり笑ってそういうと、リオネッタは静かに頷いた。
おそらく意図は伝わっただろう。
水に濡れたと騒ぐものがいなければ、犯人探しはしない、つまり、文句を言って騒ぐものがいても大事にしたくないなら報告するな、と釘を刺したいのだ。
向こうにとっても、いくら敵国から来た王女とはいえ、あからさまに虐待しては外聞が悪い。秘密裏に処理したいはずだ。
「では手紙を書くわ。少し待っていて」
とりあえず先ほど思いついた給与交渉をしたためようとしたのだが、あまりにも寒くてペンを持つ手が震えている。
どうにか手の震えをおさまらないかと思ったが、体が温まるのは時間がかかる。
「仕方がないか、これ、集中力いるからやりたくないんだけど……」
エルフィリアは魔法で解決することにした。具体的にはペンを魔法で浮かせて、魔法操作によって文字を書くのだ。
繊細な魔力コントロールが必要なので疲れるのだが、震える手で書いたら間違いなく読みづらい字になる。
レオナールとヴァルデンは口語に差異はないが、文字は異なる。母国語ではない文字を震える手で美しく書くのは難しいので仕方がないのだ。
もちろん、多少、字が汚くても許されはするだろうが、美しい字でないと威厳が損なわれるし、給与交渉に響いても困る。
どこの国であれ快適に暮らすには、身の回りの世話をしてくれる使用人への飴と鞭が大切なのだ。
自国でもその線引きを間違えなかったから生きてこられた。
この国ではとりあえずリオネッタとミーナを筆頭に職務に忠実なものには飴を与えて、明らかな造反者には鞭を与えることにする。これは慈悲深いからではなく、エルフィリアなりの生存戦略なのだ。
夫となる予定のアレンディスに愛されれば安泰かもしれないが、自分の生活の基盤を他人に依存するのは恐ろしい。
ーーー寵愛よりも快適な暮らしが大切よ。夫より使用人に好かれる方が生きて行きやすいはず。
一時的な寵愛(?)を受けた母の孤独な死に方を思えば、夫に依存することがどれだけ愚かなことかわかるというものだ。
無駄な思考を挟んでしまったが、手紙を書くのだったと思い出して、エルフィリアは集中して手紙を仕上げた。
ペンが1人でに文字を書いていくのが面白いのか、ミーナとリオネッタの視線を感じたが、なんとか集中し切って書き終える。
その手紙を折りたたむと、封筒に入れて封蝋をした。
そしてそれをリオネッタに手渡す。
「これを渡してちょうだい。報告のタイミングは任せるけれど、今は特にやってほしいこともないから、今行って来てもいいわ」
「では、報告して参ります」
リオネッタは預かった手紙と共に、部屋を出て行った。
「火を起こしたのですが、温まるまで時間がかかるので、お部屋を案内してもいいですか? 他のお部屋はとても寒いと思うので、このコート、着てください」
部屋に残ったミーナは、エルフィリアのブランケットを預かると、自身のコートを着せた。コートを脱ぐと彼女は大して厚着ではないので、寒そうだ。
宝飾品は要らないが、暖かい服にはお金を使おう。そう決意したエルフィリアは、ひとまず今は、ミーナの厚意に甘えることにした。
「では、ご案内しますね。まずは先ほど少しご覧になられたと思いますが、こちらが薪の部屋で、この奥が脱衣室があって、右側が浴室、左側がバーニャです」
「バーニャ?」
「蒸し風呂のことですよ。蒸気を浴びて、白樺の枝で体をたたいて温めます。そのあと、この脱衣所のベットで体を覚まします」
説明されてもいまいち想像できなかったが、まあこれは体験してみれば分かることだろう。
とりあえず頷いておいた。
「次にこちらです」
脱衣室がある方とは逆の壁にある扉を開くと、廊下と右手に階段があった。廊下の奥にはいくつか扉がある。
「この階段は上の階と繋がっていて、殿下のお部屋と繋がっています。上もちょっとだけ部屋は多いですが、ほとんど同じような作りですね」
「殿下って……王太子殿下?」
「もちろんです。婚姻されるまでの間は、夜間は施錠しますが、婚姻されてからは基本的に施錠しません」
「なるほど……使わずの階段にならないといいけど……」
ボソリと呟いた言葉は、ミーナには聞かれなかったようだ。
ミーナは廊下を進んで、手前から順番に紹介してくれた。
「手前から、衣装室、その他の品々を管理する備蓄室、夜番担当の侍女の部屋が2つに、お手洗いと、1番奥が寝室です」
「……寝室って暖炉ある?」
「はい! エルフィリア様のお部屋にはあるはずです。でも……ちょっと嫌な予感がします」
ミーナは元気に返事してから、ハッとしたような様子で足早に奥の部屋に向かった。
そしてまっさきに暖炉を確かめた。
暖炉は部屋に入ってすぐ左側にあり、ベッドは右側にある。彼女はそこにしゃがみ込むと、何やら確認して、そして暖炉の中に頭を突っ込んだ。どうやら煙を排気するパイプを確認しているらしい。
そうして戻って来たミーナは煤だらけで、エルフィリアは思わず浄化の魔法をかけた。
「わあ!すごい! こんなに綺麗になるなんて! ありがとうございます! ……ってそうじゃなかった! 大変です。煙突が塞がれていそうです。このままじゃ煙だらけになっちゃいます! もう!あの人たち、ほんと手の込んだ嫌がらせするんだから! 信じられない!」
浄化の魔法には目をキラキラさせて喜んでくれたミーナだっだが、その後続けた言葉は、ここにはいない彼女たちへの怒りを露わにして言った。
ミーナは感情表現が豊かで、コロコロと表情が変わる。
「煙突の不調はすぐには直らないわよね?」
「直らないと思います……どうしましょう? エルフィリア様はこんな寒いお部屋で寝られないですよね……?」
南部出身のエルフィリアに対する嫌がらせとしては非常に効果的だ。あの侍女たちもそれなりに頭は切れるらしい。
それに、ミーナが気づかなかったら煤だらけになったのはエルフィリアだっただろうから、大したものである。
これもやり返したいところだが、このパイプは城の他のパイプとつながって排気しているかもしれないので、下手に触りたくない。
この暖炉の修理は城の者に任せた方がいいだろう。
「とりあえず、これが治るまではさきほどの部屋で寝るわ。あそこにあったソファを暖炉にもう少しだけ寄せて、布団をソファの上に置けば寝れると思うから」
「エルフィリア様をソファに寝せるなんて……! いっそ、人手を呼んであそこにベッドを配置させます!」
「そこまでしなくていいわ。あなたみたいに真面目に働いてくれる人とは限らない。人手をむやみに増やすのも不安だわ」
下手に人手を募って、ベッドを壊されでもしたらたまったものではない。基本的にはエルフィリアに悪意のあるものの方が多いはずなのだから、部屋に入れる人間の数はできるだけ最小限にしておきたいところだ。
「リオネッタさんと相談しておきますね……」
「あなたのせいではないから気に病みすぎないで」
落ち込んでしまったミーナを励ましながら、この部屋は寒すぎるので、メインの部屋に戻ることにした。
幸いにもメインの部屋は十分過ぎるほど広い。エルフィリアが寝るには十分すぎるサイズのソファがあり、このソファは、これで寝返りを打ったところで落ちないだろうと言うぐらいの奥行きがある。
ミーナは気にしているが、このぐらいはまだ耐えられる範囲だ。
メインの部屋に戻ると、暖炉の火で少しは暖かくなっているが、正直に言って、暖炉のそば以外はやはりまだまだ寒い。
エルフィリアはミーナにコートを返してから、暖炉のそばのロッキングチェアに座ってブランケットにくるまることにした。ちょっと乾燥は気になるが、仕方がない。
そうこうしているうちに、扉がノックされ、ミーナがでるとエルフィリアの輿入れ荷物が運び込まれた。一応、一国の王女の体面を保てる程度の準備はされていたので、そこそこ荷物はある。量の割りにドレス類は役に立つものがあるのか不明だが、まあ売るなりなんなりはできなくはないだろう。
「エルフィリア様、お荷物を整理したいんですが、担当の差配にご希望ありますか?」
荷物を受け取ったミーナが、尋ねてきた。
「整理って、具体的に何をするの?」
「お輿入れの際に持ってきていただいたものは、基本的にはエルフィリア様の個人の財産として管理する必要があるので、記録をとり、管理します。これらの品々を売りたい場合も、換金されたお金はエルフィリア様のものになります。またエルフィリア様には個人で動かせる予算と、お部屋の維持費や生活にまつわるような公式の支出予算が組まれていますので、前者は同じく私財とともに管理することになります。通常は、侍女長以外に担当者をつけるのですが、私はまだ管理の経験が浅く、かといってリオネッタ様だと少し……仕事が多くなりすぎてしまいそうな印象です」
一気に色々と説明されたが、用はプライベートのお金と公費を分けたいという話だ。
荷物が届いたのが、あの敵意だらけの侍女たちを追い出した後で良かった。プライベートのお金が減ってしまうところだった。
「目録があるから、それを整理のときに参考にして。経験の浅さは気にしないから、ミーナがやってちょうだい」
「かしこまりました! ご期待に添えるように頑張ります!」
一応、エルフィリアも目録があっているかは確かめたし、写しも持っている。ミーナが多少、着服したとしても、うまくやってくれるなら、多少は目こぼして構わない。
それに、ミーナは経験は浅いと言うが、かなりしっかりしているので、能力的には問題ないだろう。
「そういえば、荷物の整理って、あの部屋でやるの?」
「はい。どうしてですか?」
「……寒くない?」
「エルフィリア様はお優しいんですね。でも大丈夫ですよ! 私たちは寒さに慣れていますから」
慣れるとあの部屋で作業できるようになるのか。
エルフィリアはコートを着てもあの部屋にいたくない。
「じゃあ、そこの扉は開けておいていいわよ。寝室は使わないから扉を閉めておいてほしいけれど」
「そんなことしたらこの部屋が寒くなっちゃいますよ」
「火のそばにいるんだから、ちょっと部屋が寒くなっても平気よ。どのみち、冷気がそちらに残ってたら、この部屋も大して温まらないわ」
エルフィリアのエゴで侍女の数を減らしたのだから、侍女の健康管理をするのは当然の責務だろう。それに、今の所リオネッタとミーナは好意的なので、このままこの好意を保ってほしいという下心もある。
「ほら、作業に行って。私はただ火のそばにいるだけなんだから。あ、あとそうだ。気休めだけど」
エルフィリアは立ち上がると、ミーナのコートに触れて、魔法をかけた。ちょっとだけ暖かくなる魔法だ。ミーナはすぐに気づいて、目をキラキラとさせて言った。
「馬車だけじゃなくてコートにも使えるんですね! よければこの魔法、私に教えてくださいませんか?」
「良いわよ。慣れれば簡単で、魔力消費も少ないからいいと思う」
「では、またどこか、お暇な時間あればお伺いしますね!」
ミーナはそういって元気よく衣装室へと向かった。
彼女が整理している間、ぼんやり暖炉の中で揺れる火を見つめていた。
エルフィリアは自国で無気力を装っていたので、こうしてじっとしているのは得意だ。ただ、寒すぎて暖炉に近づきすぎたのか、ずっとそうしていると喉が乾燥してきてしまった。
ーーー動きたくない……でも仕方ないわね。
本来なら、ミーナを呼びつけて飲み物を持ってきてもらえば良いのだが、長年なんでも自分のことを自分でする生活に慣れてきたエルフィリアは、ほかの仕事をしている彼女を呼び出すという発想がなかった。
エルフィリアはブランケット2枚でいもむし状態ながらも、なんとかぐるりとあたりを見回して、この部屋をまじまじと観察した。
メインの居室部分は、4人ぐらいまでなら食事を取れそうなダイニング部分と、暖炉とソファとロッキングチェアのあるスペースに分かれている。
ダイニング部分にはワゴンがおかれていて、ポットのようなものがあった。
エルフィリアはブランケットと暖炉の暖かさから断腸の思いではなれると、そのポットを手にとった。
ポットの中は水が入っていて、当然冷たい。
エルフィリアはそのポットの水を魔法で温めてお湯にすると、ワゴンに乗せてあったティーセットを取り出して、自分でお茶を入れた。暖かい湯気が茶葉の香りを運んでくれる。この茶葉はエルフィリアが好んで飲んでいたのだが、ヴァルデンにもあって良かった。
自分で淹れた紅茶を手に、ロッキングチェアに戻ると、それの隣にあった小さなテーブルにソーサーとティーカップをおいた。そしてふたたびロッキングチェアの前でブランケット2枚装備し、紅茶をのんびりと楽しむ。
目と肌の乾燥からは逃れられないが、紅茶のおかげでひとまず喉の渇きと乾燥は抑えられそうだ。どうせなら飴も欲しいところだが、あまり贅沢は言っていられない。
先ほどは彼女たちに身の程をわきまえろという主旨のことを言ったが、それは自分自身にも言えることだ。この国ではエルフィリアは王太子の婚約者ではあれど、敵国の姫だ。その立場は薄氷の上で成り立っている。この薄い氷を割らずにその上に立っているためには、多少の戦略と忍耐が必要だ。
ーーーとはいえ、寒いわ。この寒さだけはなんとかしたい……。そもそも、寒いのになんで石造りなの? 木の方が暖かそうなのに。
淹れたての紅茶なはずなのに、部屋が寒いせいで、すぐにぬるくなってしまう。レオナールではどちらかというと永遠に冷めないと思っていた紅茶が、こんなに一瞬で寒くなるのは、北国にきたのだという実感をせざるをえなかった。
ーーーそもそも、私が薄着なのがいけないのよね。私が使えるお金は、食べ物の備蓄と、暖かい服にできるだけ使おう……。
そう思いながら、あっという間に紅茶を飲みきり、空になったティーカップをサイドテーブルにおいた。そして、ブランケットにくるまって目を閉じる。特にやることもないときは、寝るのが1番、というのは自国で無気力姫を演じていた時に学んだことだ。
今日は到着してから精力的に動きすぎた感じはあるが、基本的にはここヴァルデンでも無気力で無害だが、攻撃されれば反撃も辞さないというバランスを保つ予定だ。
攻撃的すぎては非難の的になるし、反撃しなすぎては舐められる。
何事も飴と鞭が大事で、今日はもう鞭は振るったので、これから出すなら飴を出すしかない。
そう思ってうたた寝をして、起きて夕食の時間になった時、飴を出すのだと決意した自分をちょっとだけ後悔する事件が起きた。




