2.悪意には初手の対応が大切です
エルフィリアは自分自身で扉を開け放つと、まずは玄関ホールがあり、もう一枚扉を開いてようやく部屋に足を踏み入れた。
暖炉があるという割には明らかに火が入っていない。寒々しい部屋だ。というか、窓が開いている。
先ほどまで立ち話をしていたであろう侍女たちは、掃除用具をもっているわけでもないので、本当に雑談していたのだろう。
コートまで着込んで、この部屋の気温を下げるとは随分と身を切った嫌がらせである。
突然の見知らぬ女の登場に5人の侍女は困惑した様子だったが、この見知らぬ女がエルフィリアだと勘付く頭はあったらしい。
全員が姿勢を正して並び、視線を下げた。しかし、ちらりと互いに視線を送り合っているところを見ると、エルフィリアの反応を待っているのだ。
先ほどの声から判断すると、悪口を言っていたのは2人だ。しかし残り3人も悪口を止めることはなかったし、空気感からすると同調しているように見える。
「私につく侍女をとりまとめるのは誰?」
「私、リオネッタでございます」
ーーーなるほど、リオネッタは筆頭侍女だから出迎えにきたのね。
となると、彼女がミーナを選んだのもわかる。おそらく、侍女の中でエルフィリアに最も好意的な者を選んだのだ。
リオネッタは真面目に職務をこなしていて気も利くタイプらしい。
「私の侍女の人事権は誰が持つの?」
「エルフィリア様の裁量でよろしいかと。急激な増員は難しいですが……」
「いえ。私がやりたいのは減員よ」
エルフィリアがきっぱりと宣言すると、リオネッタはなるほどと、頷いて続けた。
「それでしたら、特に許可はいりません。エルフィリア様付きを離れたとしても、皇城全体で雇用されていますので、配属を変えるだけのことです」
「では、リオネッタとミーナ以外は、私付きから外して」
エルフィリアが宣言するとその場に動揺が走ったのが分かった。悪口を言っていたのは2人以外の3人も不要だと言ったからだろう。
「承知いたしました」
中々、とんでもない発言のはずだが、リオネッタは淡々と承諾した。
「リオネッタ様!? 正気ですか? 私たちを辞めさせて、2人だけでお世話が回るとでも?」
「それがエルフィリア様のご希望であれば、叶えるのが私の職務です。それに、人員を減らす分には、ヴァルデンの国益も損ないません。人件費が減りますから」
詰め寄る侍女たちにも、リオネッタは淡々と答えた。彼女がそういうのであれば、なんとかはできるのだろう。
それに、彼女たちには知らない事実がある。
エルフィリアはほとんどのことを自分でできる。エルフィリアに侍女7人は明らかに過剰だ。
エルフィリアは自国では公式行事のドレスを着せることとぐらいしかやってもらっていなかった。教師がついて教育は受けていたが、通常は侍女がするような仕事はかなり手を抜かれていたので、洗濯も掃除もすべて魔法で解決していた。
食事は食材は届けられていたが、料理をする料理人は、エルフィリア自ら1人クビにしたあとは、補充されることはなかった。
そんなエルフィリアにとっては、侍女7人も使うことの方が面倒だ。それに、自分の悪口を言っている人間を側に置くぐらいなら、自分が掃除する羽目になっても遠ざけておいた方が快適な暮らしになる。
自国で1番の面倒事は人間関係だとよく学んでいたので、エルフィリアは彼女たちを追い出すことに躊躇いがなかった。
それに、悪意には初手で毅然とした対応をしないとどんどん加速してしまうのだ。
「リオネッタはこれを報告するわよね?」
「はい。城を統括する侍女長がいますので、報告いたします。おそらく代わりの人員を提案されるとは思いますが……」
「断ってちょうだい。彼女たちのいう通り、私はそこまで精力的でもないから、侍女7人はもったいないわ。2人で十分よ。それに、身の程をわきまえないものは嫌いなの」
エルフィリアの言葉に、反応したのは悪口を言っていた2人だ。
「身の程をわきまえないのはどちらですか? 自分で何もできないくせに、侍女を5人も減らすなんて!」
「そもそも、自国でも価値がない癖にこの国に来て敬われるとでも?」
堂々と言い返してくるあたり、どうやらよほど見下されているらしい。
一応がつくもののエルフィリアは王女で、彼女たちよりも身分が高く、敬われるべき存在ではある。
とはいえ、彼女たちが強気なのは、誰かが彼女たちの後ろ盾をしているのだ。彼女たちはそこそこ身分の高い令嬢なのかもしれない。
「さっきから失礼すぎます! 寛大な処置なのに、謝罪も感謝もなくまだそんなことを言うんですか!」
様子を見ていたミーナが、横から入って文句を言った。彼女は正義感が強いタイプなのだろう。
「うるさい! 没落しかかった男爵家の娘が私に口答えするの!?」
「あなたが伯爵家の令嬢であろうと、ここにいる限りは侍女という立場です。ミーナの言うことの方が理があります。あなたたちは慎みなさい」
リオネッタの声は、落ち着いているのによく通る声だった。
それに、彼女たちもリオネッタのことは立てているらしい。彼女には敬語を使い、敬称をつけていた。
だからなのか、リオネッタに言われると、2人は言い返さずに黙った。
「あなたたちは、私の侍女をしたくないのだと思ったのに、私の差配に文句を言うの? いっそあなたたちだけ2人を残しましょうか? あなたたちの綺麗な手が傷だらけになるかもしれないわね」
絶対にそんなことはしたくないが、エルフィリアがおどしを込めて言うと、2人の顔色がサッと変わった。2人だけ残されるなどごめんなのだろう。
「これ以上、私の部屋で騒がれても迷惑よ。とにかくリオネッタとミーナ以外はこの部屋から出て行って。私付きの侍女はこの2人だけで十分だから」
今度こそ、誰も文句は言わなかった。実際のところ、エルフィリアの世話などしたくないというのが本音なのだろう。
彼女たちはゾロゾロと部屋を出て行った。
そうして、部屋は3人になり、静寂が訪れる。
そこでようやく、エルフィリアはミーナが震えていることに気づいた。
さっきは怒りで震えていそうだから、今は違う。寒いのだ。
彼女はエルフィリアにコートを貸してくれていて、このほとんど外と同じ気温の中、薄着でいる。
エルフィリアはとりあえずコートを脱ぐと、ミーナの肩にかけた。ミーナは驚いたように目を丸くしたあと、首を横に振って言った。
「大丈夫ですよ! エルフィリア様が風邪を引いたら困ります。あの人たち、暖炉に火を入れるのをサボっただけじゃなく、窓を全開にしていくなんて!」
「やっぱり嫌がらせよね? これが通常の気温ならどうしようかと思ったわ」
エルフィリアはコートは受け取らず、魔法で全ての窓を閉めた。さきほどは魔法を使っていることを示すために詠唱したが、このぐらいなら無詠唱でも問題ない。
続いて、冷え切った部屋の温度をマシにするべく、馬車にかけたのと同じ魔法をかけた。
何もしていないよりはかなりマシになったが、まだまだ寒い。レオナールであればこの魔法で十分あたたなくなるのだが、足りなさそうだ。
「すごい!暖かいです!」
それでもミーナは喜んでくれた。北国の寒さになれた彼女なら、この程度でも暖かい方なのかもしれない。
「暖炉に火が欲しいわね」
「私、これからやりますね!」
ミーナが元気よく言って、薪をとりに行く。
火が入るのを待っている間、ソファに案内されたので、大人しく座ったあと、横に控える無表情な侍女に尋ねた。
「リオネッタ、侍女7人でこなすべき仕事について教えて」
「業務内容、ということでしょうか?」
その質問は想定していなかったのか、リオネッタは目を丸くしながら質問に質問で返してきた。
「そうよ。どこまでが範囲なの? レオナールとは勝手が違うと思うから、聞いておきたいの」
「そうですね……エルフィリア様の身支度、身の回りの品の管理、お部屋の掃除を含む管理、洗濯物を出す、料理の配膳でしょうか」
「洗濯物を洗う係と、料理を作る係は別ね? これは担当が付くわけではない?」
「洗濯物は全て集約されます。エルフィリア様のものは王族の皆様のものと混ざって洗われて返却されます。シーツに個別の識別はしておりませんので、エルフィリア様の衣装以外の、城で管理しているものは、王家の皆様方で共有しているものでございます」
これは良いことを聞いた。ということはドレスに嫌がらせをされることはあっても、シーツなど共用のものに手を出される可能性は低い。エルフィリアに嫌がらせをするつもりで、誤って国王に届いたら大惨事だからだ。
「なるほど。料理は?」
「料理は有事の際の責任をはっきりさせるために明確に担当がいます。食品の購入は私も一緒に管理しますが、調理は完全に担当の料理人が行います。エルフィリア様には3人の料理人がつきます」
ヴァルデンの貴族の風習では、自分のために作られた料理は自分を担当する者たちに分け与えるのが通例だと言う。勝手に分け与えてくれるのか、それとも全部持ってこられたものをエルフィリアが分配するのか読めないので、出された量をみて判断する必要があるだろう。
直接聞いた方が早いのだが、それを本人たちに聞くのはマナー違反であるし、遠慮して嘘をつかれるかもしれない。
今の話をまとめると、侍女の2人と料理人5人がエルフィリア付きと言えるだろう。
ーーーまあでも、2人とも細そうだから、そんなに量を食べていそうには思えないわね。
リオネッタとミーナは厚着なので分かりづらいが、少し覗いている手首などはかなり細い。南部はやや豊満なほうが富の証で、王族付きの侍女なら、もう少し肉付きが良いことも多かった。
エルフィリアの食事量は大して多くなかったので、例外だが。
「エルフィリア様のお付き、と言う意味でしたら、女性騎士が2人配属される予定です」
「予定、ということは手配が間に合っていない?」
「はい。ですから夜の扉の守りは私とミーナが交代で行うことになるかと」
それは悪いことをしてしまった。本来なら7人で回す予定の夜の番を2人で交代させることになる。
「城に衛兵はいないの?」
「もちろんおりますが、護衛にも責任者を立てる必要がございます」
「……。夜の番は免じましょうか? 正直に言って、掃除や部屋の管理は私が自分でやれると思うの。でも夜の番は代わってあげられないからーーー」
「ーーー掃除をエルフィリア様が?」
「そりゃ、私が人を減らしたんだから、あなたたちに全部押し付けるわけにはいかないでしょう? 7人分の仕事がないとはいえ、2人で賄うには多いのも分かってるわ」
「いえ、快適に暮らしていただくために働くのが侍女の勤めです。夜の番も2人で交代で問題ありません。どのみち、暖炉の火を絶やしたら、エルフィリア様はお眠りになれないかと」
2人で問題がないかは懐疑的だが、確かに暖炉の火が絶えたら寝れない気がする。今でもだいぶ寒いのだ。ぐっすり寝れそうな気温ではない。
そんなエルフィリアの葛藤を見抜いたかのように、リオネッタは静かに続けた。
「エルフィリア様付きの侍女が7人になったのは政治的背景がございます。本来の仕事は4人いれば回るものです」
「いや、そしたらやっぱりあなたたち、通常の倍働かないといけないんでしょう? ……人件費は私の予算として割り当てられてるの?」
「はい、割り当てられています」
「なるほど。そしたら、お願いしたいことができたから、紙とペンを用意してくれる? 手紙を書くから、それを報告の時に、城の統括の侍女長に渡して」
「承知いたしました」
リオネッタはすぐに紙とペンを取りに行くべく一礼して去っていく。
人件費は5人分浮いたはずなので、2人分ぐらいを使ってリオネッタとミーナの給料をあげてもらおう。リオネッタはもともと給料の高い侍女だろうから2倍にはならないだろうが、ミーナはかなり上がるのではないだろうか。
自国の侍女よりよほどまともに働いてくれているので、エルフィリアの裁量で叶えられるものはできるだけ与えておきたい。
それで彼女たちがまともに働いてくれれば、あるフィリアも敵国であっても快適な暮らしができるだろう。
ーーー寒いのはこの人たちのせいじゃないけど、この寒さだけは快適さとは程遠いわね。
先ほどから話していて吐く息が白く、その白い空気を見るだけでさらに寒い気持ちになっていた。ソファに置いてあったブランケットを肩と足にかけているが、それでも寒い。
エルフィリアが寒さを誤魔化すために二の腕をさすっていると、悲しい顔をしたミーナが薪を抱えて戻ってきた。
「どうしたの?」
「薪が濡れてるんです……。私、新しいのを取りに行きますね!」
どうやら徹底的に嫌がらせする気だったらしい。屋内にある薪が自然に濡れるとは思えないから、嫌がらせだろう。
「待って。私がなんとかできると思うわ。それをそこに置いて」
「これを、ですか?」
ミーナは不思議そうな顔をしていたが、素直に暖炉の前に薪を置いた。
エルフィリアは暖炉のそばに近づき、しゃがんでそっと薪に手を触れる。
湿っているというより明らかに水に浸したような感じがする。これはちょっと乾かすというのは難しそうだ。
「バケツある?」
「はい!あります!」
ミーナは元気よく言うと、隣の部屋に入り、すぐにバケツを持って戻ってきた。
「それも隣に置いて」
「はい。でもあの、何をされるおつもりですか?」
「見てればわかるわ」
エルフィリアは、立ち上がって、薪の方に手を突き出した。そして、詠唱する。
【水よ、木の器より出でて、満ちよ】
その詠唱とともに薪が魔力に包まれ、水を放出した。そして宙を通ったその水はバケツに降り注がれる。
「これ、お風呂場でやった方がいいわね。バケツじゃ足りないわ」
バケツを満たしたものの、薪の水分量の方がまだまだ多そうだ。
もう一度持たせるの申し訳ないので、エルフィリアは魔法で薪を浮かせた。
「すごい! エルフィリア様は便利な魔法をたくさんお使いになるんですね」
「私からすれば、あなたたちが使ってないことの方が驚きよ。それはさておき、浴室は?」
「こちらです」
ミーナに案内されて浴室に向かうと、大きな鏡のある脱衣所には、左右に扉があった。しかもなぜか、脱衣所に1人がギリギリ寝そべれそうな幅のベッドのようなものもある。
浴室が二つあるのだろうか。
そんな疑問をかかえながらも、とりあえずミーナが扉を開けた右側の部屋に入った。
浴室はかなり広かった。洗い場があって、大人が5人ぐらい入れそうなかなり大きい丸い浴槽が置いてある。
お湯はまだ張っていなくて寒々しい感じはするが、自国にいた時の部屋付きの風呂より大きくて格調高い。
とりあえずここならば濡れても問題ないだろう。エルフィリアは薪を床に置くと、先ほどの魔法をもう一度使った。すると、相当念入りに水に浸けられていたのか、かなりの量の水が流れ出ていった。
魔法を終えると、ミーナがすぐに薪を確かめた。そして満面の笑みを浮かべて言った。
「すごいです! ちゃんと乾いています! これなら使えそうです」
「ならよかった。薪はどこに置いてるの? 全部濡れてるんでしょう? 乾かすわ」
「では持ってきますね! 私はその間に、暖炉に火を入れます!」
「場所だけ教えてくれればいいわ。濡れている薪の量によっては、もう少し複雑な魔法で、その場所からこの浴室に水を吐き出すから」
ミーナは少し悩んだものの、それならと言って、薪のある場所へと案内してくれた。
場所は思ったよりも近く、脱衣所から出てすぐのところにある、小さな部屋に大量の薪が置かれていた。ただ、すぐに問題に気がついた。
「思ったよりも、盛大にやってくれたわね」
部屋の中で雨が降ったような惨状だったのだ。バケツでちょっと水をかけたレベルではない。おそらく魔法の力だろう。
「水魔法かと思います。カトレアさんと、マチルダさんは高位貴族で、水魔法がお得意なので」
「なるほど。でも、魔法による嫌がらせなら……さっきやったよりもっといい方法があるわ」
「良い方法ですか?」
「とにかく、私がこの場はなんとかするから、あなたは暖炉に火をお願い」
ミーナは不安そうな表情だったが、暖炉に火を入れないと寒いのも事実なので、ぺこりと頭を下げるとその場を去っていった。
「さて、悪意には初手の対応が大切よね」
嫌がらせには小さな嫌がらせを。このぐらいの仕返しは、許されるだろう。
そして、エルフィリアは、自分でも悪い顔をしている自覚をしながら、詠唱した。




