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紫央は、与えられた一人部屋のベッドでごろごろしていた。
寝そべりながら、新しくもらったりんごを一口かじってみる。
「なんだか、落ち着かない...」
「紫央、今いいですか?」
アリビオが、遠慮がちにドアの向こうから声を掛けてきた。
紫央の部屋は、この箱庭に来て最初に通された部屋だった。
壁紙やカーテンは白を基調としていて、広さは8畳くらいあり、ベッドと造り付けのクローゼットと小さなテーブルがある。
「すぐ開けます」
紫央はテーブルに、かじりかけのりんごを置いてから、ドアを開けた。
アビリオは、見上げるほど背が高い。
「どうしたんですか?」
「俺ら、夜は温泉に入るんですけど、紫央も入りませんか?」
「ああ、デリット神が入るようにって仰った温泉ですね」
私の知っているあの温泉かな....だとしたら嬉しい!
紫央は、思わず口元が緩んだ。
紫央は着替えのワンピースを持って、アリビオに付いていく。
ちなみにここの使者たちの服装はシンプルだ。
女性は肩からしなやかに流れる袖に、広がった袖口が付いている、フレアのワンピースだ。
それにウエストを革のベルトで緩く縛っている。
男性は鎖骨が少し見えるくらいに開いたV字型の襟ぐりと、肩からしなやかに流れる袖に、広がった袖口が付いたシャツと、ストレートのパンツだ。
それに幅広のベルトを腰の辺りにしている。
男女ともに室外では、紺色のローブを羽織っているが、紫央は着慣れないのでローブはまだ使ったことがない。
アビリオの隣に並ぶ。
「神殿内に、温泉なんてあるんですね」
「神気を養うのにいいですよ、扉を繋ぐには神力を使いますからね。紫央は今日は疲れたでしょう」
「そういえば...」
さっきもベッドでごろごろしてたな。
「ただ、紫央はまだ長湯は駄目ですよ」
「長湯は駄目?」
「今は、駄目です。それと、フフ...温泉の効能で、交換神経の興奮状態が鎮まるので、変なことを口走らなくなりますよ」
「そういうことでしたか。確かに、私、興奮状態でした....」
そうか....おかしいと思ったんだよね。
いくらなんでも失言し過ぎてたもんね。
デリット神が来られていつもより緊張してたし、その状態で扉の仕事に就いてたな...
「器に神力が馴染んでいない間は、緊張したり動揺したりすると普段コントロールできている感情が剥き出しになったり起伏が激しくなったりしやすいんですよ」
「コラードやフレンのように、最初から使者として創造された者は別ですが、紫央は元々人ですからね」
「俺の知ってる者は激情型の者もいたし、逆にすぐ眠たくなるやつもいました」
どういう症状が出るかは人によるんだ....
アリビオが、紫央に爽やかな笑顔を向ける。
「大丈夫。その点、紫央のは可愛いだけでしたよ」
紫央は半目で横のアリビオを見る。
「あれを、可愛いって言うのは....アリビオさんだけですよ。フレンの表情を思い出してくださいよ」
「フフフ....フレンは、紫央の状態を知りませんからね。そういえばー…紫央は、エルフの王女に俺を見てドキドキしたと言ってましたね」
言った!言ったけど…
今その話を蒸し返しますか....
「目覚めて、意識が朦朧としてるところに、間近に顔があったら誰がいても驚きますから!......あれは、そういう意味です....」
く、苦しいか。言い訳としては....
「そうですね」
アリビオが笑いを押し殺す。
肩がクツクツと小刻みに震えている。
冷静にならねば....また変なこと言い出しかねない。
廊下をひたすら真っすぐ進むと、正面に衝立がある。
衝立の後ろで通路が左右に分かれていた。
「右側から入ってください。道なりに進むと奥に脱衣場と温泉がありますから」
「アリビオさん、案内ありがとうございます」
アリビオは紫央に微笑むと、そのまま来た道を戻っていく。
アリビオさん、安定の美しさだったな〜
紫央は、アリビオの微笑に見惚れていたことを危惧した。
危なかった!変なこと口走る前に早く温泉行かなきゃ...
衝立から右に折れて10メートルほど進むと、上がり框があって脱衣場に繋がっている。
仕切りの奥に脱衣場があった。
天井が高く、上の方に明かり取りの窓が付いていて、そこから星の光が差しむので、ほのかに明るい。
ドレッサー横の棚の上に、籠が置いてあり中に肌触りが柔らかそうな大判の厚手の布が数十枚置いてある。
整然と整えられていて掃除も行き届いている。
ここには、使者以外の人もいるのかな....?
使者さまたちは、掃除なんてしないよね。
紫央は手早く脱いで、籠から大判の厚手の布を一枚拝借すると、体を布で巻いて隠して、そのまま道なり沿って歩く。
角を曲がったところで、岩に囲まれた温泉があった。
お湯がどんどん湧き出ていて岩の囲いから、溢れたお湯が流れていく。
乳白色の色のお湯のようだ。
紫央の想像した温泉と寸分違わず温泉だった。
手近にある手桶でお湯を汲んで、かかり湯をしてから湯の中に入る。
すごく気持ちがいい...
お湯は乳白色なのにさらりとしている。
「見た目から、とろりとしてるかと思ったけど...意外だな〜」
お湯の温度もいい...
精神的な疲れも癒やされるわー
空を見上げると、夜空には無数の星が瞬く。
こうやって気持ちが落ち着くと、感傷的になりそう。
う....早く帰りたい...
確かに、ずっと興奮状態が続いてたかも。
私ってこんなお気楽な性格じゃなかった気がする...ナーバスになりたくないから丁度いいけど...
紫央は湯のなかに顔を浸けた。
「ぷはっ....」
そういえば、明日はシャンプーやらを調達しなくては。
フレンさんに聞いてみようかな。
紫央は角の取れた岩に寄りかかって、夜空を仰ぎ見る。
そろそろ出ようかな....
紫央は大判の布で、前を隠して脱衣場に向かった。
そんなに長湯したつもりはないけど...
紫央の足元がふらつく。
脱衣場の棚に、手を置いて呼吸を整えていると、不意に人の気配がして顔を上げた。
脱衣場の出入り口のところに、目を丸くしたアリビオがいた。
「.....す、すみません!」
アリビオが急いで体を反転させた。
「...え」
紫央はただでさえのぼせて頭がぼーっとしていたところに、アリビオと対面したことでさらに頭が混乱して何も考えられなくなる。
そのまま、出ていこうと背中を向けたアリビオの耳にドサリという音が聞こえる。
アリビオが、咄嗟に後ろを振り返る。
紫央は、大判の布で前を隠した状態でその場にぺたりと座り込んでいた。
「大丈夫...です。ちょっと、目眩が...した、だけ...」
大判の布とはいえ、巻き付けていたわけではないので心許ない。
うつむいた紫央の頬を、濡れて張り付いた横髪の雫が、顎先を通って首をつたい谷間に流れ落ちる。
アリビオが一瞬大きく目を見開いて、勢いよく顔を横に背ける。
そのまま身に着けていたローブをさっと脱いで、紫央の傍まで行くと、視線を外して膝をつく。
素早く手探りで、紫央の体にローブを巻きつけた。
「長く入りすぎましたね。よければ部屋まで、運びます」
この状態で運ばれるの恥ずかしすぎる....でももうフラフラして立てそうにないからお願いするしかない。
「…足元がふわふわして、おぼつかないので助かります」
それを聞いてアリビオが、紫央の背中と膝裏に腕を当てて横抱きにして立ち上がる。
脱衣場から出て部屋へ向かう。
「あの、俺...言い訳していいですか?」
言い訳?
なんだろう
「言い訳って....運ぶと言ったけど、重たくて落としそうとかですか?」
安定感があってそんな風には感じられないけど、他にアリビオが私に言い訳することあるのかな...
「ふふ...紫央が重いなんて、まさか」
「そうじゃなくてですね、俺...勝手にもう上がっているだろうと思い込んで...浴室で鉢合わせしてしまって、すみません」
「そんなこと…」
アリビオさんいい人過ぎる。




