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紫央は、日中は扉の利用者の邪魔になるので、部屋で睡眠を取り、夜になって利用者のいない時間帯に起き出して作業をすることになった。
洗って乾かしていたブラシの状態を確認する。
毛束を指で触るとしっかり乾燥している。
「うん、サラサラになってる」
ブラシを持って、白い扉の前に向かう。
上の方から作業するには、紫央には身長が足らないので今夜は椅子も持参している。
紫央は椅子を扉の前に置いて、扉の上方を仰ぎ見る。
それでも、つま先立ちでようやく届くくらいか…
昨夜3分の1が終わっているので、気持ち的にだいぶ楽だった。
椅子の上でつま先立ちになり、扉の上の方から優しく毛束に絡め取るように、ブラシを動かす。
このペルラの粉が地面に落ちないように、かなり気を使う作業だ。
気を付けていても、少しは粉が落ちたり舞ったりしている。
「よお、紫央。精が出るな」
椅子に上がって、つま先立ちになりながらブラシで掃いていたら、後ろから声を掛けられる。
紫央が振り返ると、リストがいた。
「あれ、リスト。どうしたんですか?」
「おお、報告に来た帰りだ。約束どおり土産に酒を持ってきたぞ」
紫央は粉を含んだブラシを、新しいものに替えた。
「報告ですか?」
「この間のクランのことだ、あの時は確かなことは言えなかったが俺の思っていたとおりだった」
リストが聞いてほしそうなので、とりあえず水を向ける。
「思っていたとおり、というのは?」
紫央は作業しながら聞く。
「クランを最初に持ち込むように依頼したのは虎族だ。やつらは、西の森を挟んで北側に生息している」
虎族っていうのもいるのね。
「調査したら、虎族側の西の森も自然破壊の被害にあっていた。どうやら商人から密輸したクランが、妊娠していたと知らずに飼っていて、出産間際に餌場を求めて逃げ出したようだな」
「出産後に、クランの幼体が散り散りになっていたのを、お前らが香で狐族側の森に呼び集めたみたいだな」
「そうだったんですか...」
紫央は5本目のブラシを使い終わって、椅子から下りる。
ブラシを纏めて袋のなかに入れて、ブラシに付いた粉を袋の中で落とす。
「紫央、地道なことしてんな」
「しょうがないんです。他に方法がなくて...」
「ふーん、仕上げにペルラを静電気で集めたらどうだ?」
静電気…確かに、仕上げにいいかも。
「でも、どうやって静電気を効率よく起こそうかな」
「とりあえずそのブラシと、紫央が着ている服をこすり合わせたらいいんじゃね?摩擦帯電させてから掃いて、後は濡れた布にでも、ブラシを包んで置けば?」
「そういやさっき、アリビオにをスコタディを連れて来るように頼まれたが、その粉の後処理のためか」
また、変換されなかった…
「スコタディってなんですか?」
「ルバ神が創造した全てを食らう生物だ。扉に付いたペルラの粉だけ食うとか、器用なことは無理だが、集めた粉は食える」
「明日連れて来るから、今夜中に終わらせるように頑張れよ」
今夜中?!
聞いてない…
「じゃ、俺は今夜はゲストルームに泊まるから。頑張れよ〜」
今夜中なら、手伝ってくれてもいいのに…紫央は恨めしく思いながら、リストの背中を見送った。
なまじ、昨日アリビオが手伝ってくれたから、誰か手伝ってくれないかなって、期待しちゃうな。
深夜になって、アリビオが来てくれた。
「紫央、遅くなりました」
あれ?交代って言ってたけど…またアリビオが手伝いに来てくれたの?
アリビオが紫央の言いたいことを察して、先回りして伝える。
「今夜中に、終わらせるようリストに言われたでしょ?昨日手伝った俺の方が、一度やってるので効率よくできると思って俺が来ました」
そう言って紫央の顔を見て微笑み、手を差し出しブラシを催促する。
「紫央は扉が機能したらすぐに帰った方がいいです。ルバ神が紫央に会いたがっているんでしょう?また、加護が増えると本当に帰れなくなりますからね」
紫央が目をパチクリとさせた。
なんで…?話したっけ??
そういえば、聞かせてくれって言われてそのまま忘れてた。
アリビオが紫央の反応を見て、説明する。
「明け方に、紫央の部屋に行ったの覚えてないですか?質問しようとしたら、紫央が真実の目を使ってくれと言ったのでその時、能力を行使しました」
紫央の作業する手がピタリと止まる。
動揺で、動きが固まった。
温泉で、アリビオの体を盗み見たのがバレた…
紫央の様子を見たアリビオが、作業を中断して、からかうように、紫央を覗き込む。
「俺のこと、美しいと思っていたのを隠したかったんですよね」
アリビオが、蠱惑的な笑みを浮かべて紫央を見つめる。
紫央は無防備な状態で、3秒ほどアリビオと目を合わせることになってしまった。
アリビオの金の瞳は息を呑むほど美しく、今までになく悪戯な視線は秒で紫央を酔わせる。
私の…息の根を止めにかかってる…
紫央は耐えきれず、膝から崩れ落ちる。
このっ!!神の領域の顔面偏差値男…!
紫央は俯いて耐え忍んだ。
「大丈夫です、肝心なところは湯気で隠れていたし、紫央も見ないようにしてくれていたのが、わかりましたから。さて紫央、そろそろブラシを替えてください」
紫央は悶えた。
「もう…後生ですから、その話は…」
俯きながら、新しいブラシを手渡す。
アリビオは、ご機嫌なようで手際よく、全ての作業を終わらせる。
紫央は一番最後に、リストの助言どおりにブラシで静電気を起こして、さっと払って仕上げる。
全ての作業が終わる頃には、空は白んでいた。
この美しい人も、これで見納めか...




