プロローグ
千代鶴紫央は、意識が朦朧とする中で重たい瞼を開く。
「う....ん....」
え....?
輪郭がきれいなM字を描く厚すぎない肉感的な唇にまず焦点が合って、次いで艶めく金の瞳と、深い緑の髪の色を持つ端正な顔が迫ってくるのがわかった。
は??
紫央は思わず目の前の、人外の美貌の顔を手のひらで押しやった。
よくわからないけど、近い!近い!!
紫央は、ここでようやく朦朧としていた意識が覚醒した。
美貌の男は地面に片膝をついて、倒れていた紫央の背中に片腕を回して背中を支えていた。
もう一人、前方から男が近付いてくる。
『デリット神、気付いたようです...』
紫央を支えている男が喋ったので、紫央は男を見上げる。
『影響は、白の扉だけか...その娘が巻き込まれたようだな』
なんて言ってるのか全くわからない....
紫央は思わず口に手を当てる。
二人が話してる言語が、聞いたことがない言語だったので、紫央はかなり困惑していた。
こちらに近付いてきた男は、金の瞳に暗めの紫の髪の色で、こちらも美しい男だった。男は丈の長い白色のローブを着用し、腰の辺りに緩いベルトをしている。
白のローブの男は紫央の目をじっと見つめたあと、不意に紫央の額に触れる。
え.....なに??
白のローブの男が紫央の額から手を離すと、男の右手が眩く光り、赤い実が突如現れる。
『アリビオ、それを処分しようと思ったが気が変わった』
白のローブの男も紫央の側で片膝をつく。
『デリット神...?!』
紫央を支えている美貌の男が何かに驚いたようで、体が一瞬震えたのが紫央に伝わる。
紫央はひやりとした。
なになになになに.....コワイコワイ
『私が、この小娘のためにロホの実を与えるのが信じられないか?』
『いえ...ただ....わざわざ膝をつき、手ずからなされるとは思いませんでした』
白いローブの男は、紫央の意思など確認することなく、赤い実を唇に押し当て、果実に爪を立てると果汁を紫央の口腔内に垂らす。
体が乾いたスポンジのように果汁を吸収しているようで、紫央は得体の知れない果汁が体に取り込まれるたび、恐怖を感じるよりも、もっと欲しくてたまらなくなった。
次第に夢中になって、果実を握っている男の手を自ら掴み果実を貪ろうとする。
紫央の目が夢うつつになってくる。
紫央の背中を支えていた男が、何かを話す。
『これ以上は...少し様子を見られては?』
紫央はまぶたが重たくなって閉じていく。
『そのようだな....目が覚めたら言葉も通じるだろう』
『それでは__加護を授けたのですか?』
紫央は急に炭酸飲料が飲みたくなり、家の近くに設置してある自動販売機を思い出した。
財布から小銭だけ取り出し、握りしめる。
紫央は靴を履きながら、玄関のドアを開けた。
夕日が玄関に差し込む。
「ちょっとだけ、出てきま〜す」
夕飯の仕度をしている母親に声をかける。
「すぐに戻るのよね?」
母親が手を止めて、玄関まで出てきて紫央に聞く。
「すぐ近くの自販機に行くだけ」
「工事中のところを通るときは、気をつけてね」
「はーい」
家の前の空き地は、新たに家が立つため草が刈られて、地面がきれいに均してあった。
空き地の後側には森が広がっている。
工事が始まる前までは、鬱蒼とした草むらの中に、『空き家』の立て看板が草に埋もれるようにさしてあり、3階建ての古い家屋がそのままずっと放置されていてた。
空き地の後ろに広がる森など見ることもなかったが、空き地が更地にされて森が見渡しやすくなっている。
家が立てば、また見ることないだろう森をなんとなく眺めた。
森の入口付近に白い板のような物がある。
紫央はなんとなく気になってそこに向かった。
白い板はよく見ると、小さな扉のようだった。
丈が紫央の腰ほどある草に埋もれるようにして、扉だけが立っている。
「変なの...扉だけって」
紫央は当初の目的通りに、自動販売機に炭酸飲料を買いに行こうと、扉を背にして一歩踏み出した。
「ぁ...っ」
そうだ...
思い出した!扉が急に開いて嵐みたいな風がおこって扉に吸い込まれたんだ!
紫央は飛び起きた。
見たこともない部屋に戸惑う。
壁紙は黄みがかった柔らかな白に、シンプルな同色のカーテンと、家具なども必要最低限なものだけで、生活感の感じられない部屋だった。
ビジネスホテルっぽい?
これは夢...?
「気が付きました?」
部屋の入口付近から穏やかな声がする。
紫央は声のする方を向く。
この美人は最初にドアップで見た人だ!
白のノーカラーのシャツに、同色のパンツを着用して、シャツの上から腰辺りの位置に、茶色の太めの革ベルトをしている。
「俺の名前はアリビオです。あなたは?」
声もいい...
背が高いから声も低めで.....口調は穏やかで優しい。
「あ、あの私は千代鶴紫央です」
「ちよ...?」
言いにくいかな…外国の人っぽいし。
「紫央です、紫央」
「紫央....俺のことはアリビオと呼んでください」
アリビオが紫央に微笑む。
笑顔がキュートだわ...
なんだか.....初対面の人に、呼び捨てされるのって恥ずかしい。
アリビオは、紫央の側に椅子を持ってきて腰掛ける。
しかもこの人すごくかっこいい…美人っていう方が正しいかな。
リアルっぽくない美貌の男性...
これは、夢....?
明晰夢っていうやつかな。
夢なら.....せっかくだもんね。
握手くらいお願いしてみようかな。
紫央はアリビオの顔をチラッと見て、様子を窺いながら口にする。
「あの...あ、握手いいですか?」
「え...あ、はい」
アリビオが紫央の差し出した手を、優しく遠慮がちに握る。
紫央は体をアリビオの方に向け、ベッドに腰掛けたままの姿勢で、握手をしてもらっていた。
夢サイコー!
「ありがとうございました!」
紫央は握手してもらった手を、胸の前で握り込む。
こんな素敵な人が嫌な顔もせず、見ず知らずの私と握手してくれるなんて...
サービスがいい、良すぎる。アリビオのファンになりそう!
生まれて初めて、ファン心理が味わえた気がするわ...
これは嬉しい...
紫央は感動で、目を潤ませる。
しっかし、この人見れば見るほどきれいだわ〜!
一見ハーフっぽい?かな。
本当にかっこいい!!
アリビオは潤んだ紫央の目を見て、ためらいがちに、紫央の背中に軽く腕を回して優しく背中をトントンする。
これは、ハグというやつだ。
人生初体験だわ!
(アリビオさん、これは私の夢だとしても、サービスし過ぎです!!)
紫央は夢だと思っていても、アリビオのハグに動揺していた。
「紫央は、急にこちらの世界に引きずり込まれたので気が動転してるのですね。俺で良かったら頼ってください。言葉も通じるようになって良かったです」
私、男性とこうやって抱き合ったことないから、どんなものか知らないけど、なんだろう…夢?にしては感触がリアルすぎない?
やっぱりなんか違和感がある...
「....まさか、現実?!」
アリビオが、紫央を抱きしめていた腕を緩めてから少し体を離し、紫央と目を合わせる。
「紫央は、扉のトラブルでこちらの世界に引き込まれてしまったのですよ。これは夢ではなくて現実です」
紫央の脳裏に白い扉の中に吸い込まれたような感覚が鮮明に蘇る。
あれって...
「ここ、日本じゃないのーーーーー?!」
アリビオが紫央の大声に少しだけ後ろにのけ反る。
「俺には、にほんがわかりませんが、ここは紫央の世界と扉で繋がった別の世界です」
現実...
「別の世界って...異世界?!」
紫央は自分で言った言葉を自分で聞いて、ひゅっと息を吸う。
「は、早く帰りたい!!私お母さんにちょっとだけ出てくるって言っちゃった!!うちの心配性の父が発狂するから」
本当にまずい!
警察沙汰になるかも...
「紫央…」
「お願い...お家に帰りたい」
紫央はアリビオの腕を強く掴んで伝える。
アリビオが紫央の必死な表情を見て悲痛な顔をした。




