9)罪
本日、一話目の投稿です。
サシャは世間に流れ始めた噂「美しい聖女がサシャ殿下の婚約者となる」に戸惑っていた。
そんな事実はない。
聖女が国教の式典に参加し王族も列席していたため、式典のあとの謁見で見かけた。それも、謁見の間で聖女が陛下に挨拶するのを並んで見ていただけだ。
たったそれだけの関わりしかない。個別に挨拶を受けたこともない。それでなぜか婚約するという噂が流れた。
母も「最近のデマは一欠片も真実がないのね」と呆れていた。
噂の出所がわからなかった。王室管理室が神殿にそれとなく探りを入れたところ、ようやく情報が出てきた。
過去、聖女を国に縛り付けるために、王族との婚姻がなされたことがある。だが、今は廃れている。当時の王と神殿がそんな取り決めをしたことが一時期あったというだけだ。昔、強烈な聖女がいた時代の話だ。
近年の聖女は、聖魔法の使い手ではあるが、治癒の力は他の治癒師とそう変わらない。我が国には優秀な薬師も多くいるため、薬師と治癒師の共同による治癒で怪我人や病人を癒やしている。魔草を利用した治癒は古の聖女の治癒もかくやというほどに優れている。
魔獣避けにもなる聖魔法だが、それにもすでに代用があるのだ。光魔法属性をもつ薬草を利用した「準聖水」を使って瘴気の浄化もできる。
つまり、聖女を国に縛り付ける必要性がない。
他国では今でも聖女を余所へ逃がさないために王族や高位貴族との婚姻を強いているところもあるらしいが我が国は違う。
ところが、この度、神殿に仕えている聖女はかなり力が強いので、そのうち王族や高位貴族が婚姻を申し入れるかもしれないと、神殿の下っ端たちが盛んに話しているという。
これが噂の元のようだ、と王宮に返答が来た。
噂の原因はただの推測という、悪意はなさそうだがあくまでデマだった。
変な噂は困る。レアに誤解されたくない。
サシャは、父を通じて王室管理室に対策を講じて貰った。
国王も「王家の関わるデマは捨てておけんな」と動いてくれた。母も夜会などで「単なる事実無根の噂」と真実を広めてくれた。
「誤解」という言葉は嫌いだ。この世にある不快で厄介なものの一つだ。
それに、誤解を放置する行為は危険だ。ときに、取り返しの付かない結果を生む。まだ自分にはそういった経験はなくとも、想像すればわかる。
誤解されるほうも辛いが、誤解するほうだって痛手だ。なんでも話して理解し合わなきゃ駄目だろう。夫婦になるのだから。
ふいに、あの「夢」の記憶がよぎる。
ことある毎に思い出される不愉快な夢。
不愉快だけれど、必要な夢だった。だから運命の神がみせてくれたのだろう。
魔力持ちの子供がみるという。
前世での強い思いがあるほどにみるらしい。
あの夢の男のようには絶対にならない。絶対に、だ。
その後。
サシャは聖女との婚約の噂は無事に払拭されたと報告を聞いた。
ようやく安堵することができた。
レアの耳に入る前に消えてくれていればいい。それだけが心配だ。
レアとは相変わらず図書室で会っている。レアは閉架書庫が気に入っているようだし、人は少ない。二人きりで会える良い機会だ。
相変わらず色っぽい雰囲気にはならないが、親しくなれていると思っていた。
□□□
聖女アンジェは今朝方届いた雑誌をぺらりとめくり安堵して呟いた。
「良かった」
小さな呟きは聞こえなかったのか、アンジェに付いている侍女が振り返る。
「いかがなさいましたか」
ネリという侍女だ。まだ年若い。
でも、この世界では二十歳の侍女はもう熟練と見做される。
慣れないわ、と思いながらアンジェはネリに頬笑みかけた。
「なんでもないわ」
「その雑誌のアンジェ様はとてもお美しいですね」
ネリがうっとりと雑誌を眺めている。
「見たの? そうね、腕の良い人が撮ってくれたみたいね。この記事も良いわ」
「ですが、本当なのですか? アンジェ様は御子をお産みにならないというのは」
ネリは残念そうに切なげに、聖女に視線を向け尋ねた。
「本当よ。私は子を産まないわ。一生、ね。だから、結婚もしないわ」
「アンジェ様はお子様はお好きですよね? 孤児院では子供たちをとても可愛がってらっしゃる」
「そうね。他人の子は愛しやすいわ。だって、無責任でいられますからね。施設のお世話する人たちが養育して教育して、慈しんで育ててくれるもの。私はただ、ときおり遊びに行ったり、怪我を治してあげて可愛らしさを楽しむだけでいいんだから。心置きなく愛でられるわ。この子が我が儘に育ったらどうしようとか、心配しないでいいのよ、楽だわ」
「そ、それは、あの、失礼ながら考えすぎ、では?」
ネリはどんな顔をすればいいのか、わからなくなった。
「ネリはいい人ね。優しい愛すべき女性だわ」
「え? いえあの、そんなことは」
「ふふ。さぁ、支度しましょう。今日は養護院に慰問だわ」
「は、はい」
アンジェは三十分もかからずに支度を終え、馬車に乗り込んだ。
ネリがそばについているが、いつもは静かな侍女なので馬車の中ではゆったりとくつろぎ考え事に浸ることができた。
雑誌がアンジェの希望通りの記事を載せてくれたから、デマの噂はすぐに消えるだろう。アンジェはあんな嘘の原因になるなど、我慢ならなかった。
聖女が第二王子の婚約者となるという事実無根の噂。
原因は神殿の些細な誤解と憶測のようだった。けれど、真しやかにずいぶん広まってしまった。王家からも問い合わせが来てそんなデマが広まっていることを知った。
まだ若い王子がそんな噂を広げられるなんて嫌だろう。嘘なのだから。
嘘は嫌だ。嘘は腹立たしい。嘘も、ときには必要かもしれないけれど。あの嘘はただ不愉快なだけだった。
アンジェは子を産み育てたくないのだから。自分の気持ちを逆なでされるような嘘だった。
聖女として罪のない日々を過ごしたいというのに。
許し、というものは難しいと思う。
どうやったら許されるというのだろう。
前世の夢で知った自分の罪。
あの晩年は、本当に辛かった。老いた夫婦で娘を介護して終えた。
娘は報いを受けた。毒を飲まされ、体を悪くした。
介護したのは夫だったわね、とアンジェは思い返す。アンジェはとうに放棄していたのだから。
夫は、娘はこんなに苦しんだのだからきっともう罪は償えただろうと、そんなことをいう。
介護する父親のことを怒鳴り散らす娘は反省したようには見えなかった。罰は受けたけれど許しを得られたようには思えなかった。
それとも、心は醜いままでも、罰を受けたのだから「あがなえた」と考えて良いと、そう思っているのか。
夫の考えていることはわかっている。
罪深い娘が許されたのなら、自分たちも許されるだろうくらいに思っているのだろう。
あんな惨いことをしておいて。あんな惨い結果になることに加担しておいて。
許されるわけがない。
もしも神に許されても。もしもあの子たち夫婦が許してくれたのだとしても。そんなことはあり得ないけれど。
自分には無理だ。
あの幸せそうだった夫婦のことを思い出すたびに、自分らの罪は永遠に許されないのだと思う。
あののんびり屋で優しい娘が「そろそろ子供が欲しいって。あの人が言うの」と恥ずかしそうにしていた姿が目に焼き付いて離れない。
ああ、子供が生まれるのね、と思ったのだ。
きっと可愛い孫が生まれる。優しいあの子たちはさぞ可愛がって育てただろう。二人とも気の善い夫婦なのだからと。そう思ったのだ。
幸せに満ち足りていた夫婦を不幸の底に落とし込んで。それに加担したのだ。
忘れられるわけがない。
世界中が許してくれたとしても、自分自身が許せない。
「子供がほしいって」と話していた幸せそうなあの子の姿を思い出すたびに自分の罪を思い出す。許されないと思い出す。
忘れたくないのだ。永遠に覚えていたいのだ、あの笑顔を。決して忘れない。
忘れないかぎり、罪は消えない。消したくもない。
あの惨いことをやった娘の罪が消えるって? そんなはずはないだろう。知らなかったとはいえ、欺されて加担した馬鹿な親の罪が無くなるとでも? そう思いたいなら思えばいい。
人の罪まで知りはしない。
ただ、自分は許されないことをしたのだと心に留めているだけだ。
お読みいただきありがとうございました。
また夜20時に、二話目を投稿する予定です。




