3)父との再会
門を入ってすぐの待合室で待つこと半時間、カリヤ侯爵がやってきた。父はレアの姿を見て目を見開きしばし言葉も出なかった。
なにかの間違いとばかり思っていたが、レア・カリヤという貴族令嬢が訪ねてきたと言われれば捨て置くことも出来ず。来てみれば、亡くなった妻とよく似た娘がそこにいた。
エイト・カリヤ侯爵は立ち竦んだまま「いったい、どういうことだ」と眉間に皺を寄せて詰問した。
「お久しぶりです、お父様。来年から私が王立学園に入学する予定であることはご存じですか」
レアはソファから立ち上がり行儀良く挨拶をすると尋ねた。
「そういうことは家政婦と執事に頼んである。手続きは滞りなく行われるだろうから心配は要らない」
エイトは一瞬、言葉に詰まったのちにそう答えた。
レアは、どうせ忘れていたんだろうとわかった。
「つきましては、家庭教師をお願いします。母が亡くなってから勉強と魔法の実技を教えてくれる人がいませんでしたので」
「家庭教師の手配も執事たちがしているだろう」
「されていません。私は生まれてからこれまで母以外の方に勉強や魔法を習ったことはありませんし、二年前に母が亡くなってからは図書室の本を読むくらいしか勉強はできていません」
「なんだって!」
エイトは思わず叫んだのちに、待合の部屋の戸口に立つ案内の守衛を横目で見た。
王宮で高官を勤めるカリヤ侯爵家の娘ともあろう者が、母親以外に家庭教師もつけていないとはとんだ醜聞だった。
エイトは「こちらに来なさい」とレアの手を取った。
レアは、父に触れるのはこれが初めてね、と少し驚いた。
レアが連れて行かれたのは高官が与えられる執務室だった。秘書か部下らしき女性の机があり、奥にある立派な机がエイトのものらしかった。さほど広くはないが、さすが高官、個人の執務室があるだけでも偉い。
エイトはレアを部屋に入れると、仕事をしていた部下に「茶を用意してくれ」と追い出した。
「それで、家庭教師がついていないというのはどういうことだ?」
レアは入り口そばにある応接セットのソファに座らされ、尋ねられながら睨まれた。エイトもテーブルを挟んだ一人掛けに腰を下ろしていた。
「そのままの意味です。家庭教師なんて来たことはありません」
「気に入らない家庭教師を辞めさせたとかではないのか」
「辞めさせようにも、居ないものは辞めさせられません」
レアは呆れて答えた。
「そんなはずはない」
「屋敷に来もしないお父様が、なぜそんな自信満々に言い張るんですか」
「家政婦と執事は家庭教師を雇っていたはずだ」
「あのアミとかいう人はそんなに信用できるんですか」
「なにを言っているんだっ! 信用できないものを雇うものか!」
「お言葉ですけど、私がどんな生活をしているかお父様はご存じなんですか。私が武術を習いたいと手紙を書いたのにお返事も寄越さなかったじゃないですか」
「そんな手紙を貰ったことはない」
エイトはさらに眉をひそめた。
「手紙を書いて侍女を介して執事に託しました。母が亡くなってから何十通も手紙を書きましたが、返事をいただいたことはありませんでした」
「もらったことはない」
「ここ最近は家庭教師を雇ってほしいとかピアノの修繕をして欲しいとか、母が亡くなったあと、なぜか無くなった竪琴をまた買ってほしいとか。それから、護身のため武術を習いたいとか。一つもご返事はありませんでした」
「馬鹿な!」
侯爵の顔が、血が上ったのか朱に染まった。
「それから、これは手紙にはあまり書きませんでしたが、食事も改善して欲しいです。朝からチーズを乗せたステーキとか、食べたくありません。十時のおやつと三時のおやつと夜食も要りません。三度の食事も毎度、傭兵が食べるようなスタミナもりもりの食事は十三才の娘には重すぎます」
「言えばいいだろう! 料理人にでも、家政婦にでも」
「言いました! 何度も! まったく改善されてませんし、無理矢理に食べさせようとします。おまけに、テルゼア豆の匂いのする食事が毎食出てきますし」
「て、テルゼア豆?」
思いがけない言葉にエイトは目を剥いた。
「私がおかしいと気づいたのはそれです! 明らかに悪意があるんですから! 私が一時期、異様に太ってたのはそのせいです。今は気を付けてるのでましになりましたが」
レアはそれでもまだ少しむっちりとした手に一瞬視線を落とした。胸もかなり成長している。まだ十三歳だというのに。
「そんな馬鹿な! あの豆を勝手に使うのは違反だぞ!」
エイトがそう言ったところで軽いノックののちに先ほどの部下が茶を持って入ってきた。レアの前にも置いてくれた。
「知ってます、母が教えてくれてたので! 処方されたことはありません! そもそも治癒師にかかったこともないです。ここ三か月でとても痩せたんです。胃の調子が悪いと言い張って気を付けて食事を減らしたので。おかげでこのお洋服はリボンで胴を縛ってる有様です。あぁ、お洋服もそろそろ買って貰えませんか? 私、これでも育ち盛りなんです。下着がここ二年間くらい買っていただけていないので小さいしボロくて穴が空いているんです」
「なっ!」
エイトはそっと茶を運び終わった部下を横目で見た。彼女は表情を取り繕えなかったらしく、目を見開いている。高官である侯爵の娘が穴の開いた下着を使っているなんて、そんな情報を聞かせられても困るだろう。
エイトはさらに顔を赤く染めた。
「あ、アヤ、茶菓子も頼む」
とまた部下を追い出す。
「まぁ、洋服がなくても死なないので良いですけど。ですが、来年、入学試験を受けるのに、魔法の指導と勉強の教授がまったくないままでは不安です。自分で本を読んで予習復習には励んでいるつもりですが、入学試験の難易度がわからないのでこれで良いのかとか。教えてくれる人を雇ってもらえませんか」
そこまでレアが説明したところで、アヤと呼ばれた部下の女性がドアをバタンと閉めて出ていった。エイトはアヤの口の堅さを心配した。
「い、いったい、何を言ってるんだ!」
「お父様、もしも私が言ったことが嘘だと思うのなら、こっそり調べてください。お父様は法務部の高官なのですから、虚偽の報告があったときの調べ方はご存じですよね? 正面からバカ正直に聞きに行くのでは無く、きちんと裏を取れるような調べ方をしてください」
「お、お前は、父をなんだと」
「私はここ三か月、ずっとお腹が痛くて食事が出来ないと訴えてきました。そうしないとあの料理を食べなければならないからです。食事を残すのは行儀が悪いとしつこく言われるんです。それで、ずっとお腹が調子悪いと言っていたのに、お父様にその報告は来ていますか? 来ていなければ、そういう悪意のある者が屋敷にいるということです。私の手紙も捨てられてたんですよね? ちゃんと調べてください。それまでは私は帰りません。ここで暮らします」
「ここで暮らすと言っても、私は独身宿舎住まいをしているんだ」
「高級官僚なのにそんな狭い宿舎なんですか」
レアは、王宮勤めはそんなしみったれなのか? と驚いて父を見た。
「しみったれではない。もっとも近い住まいで便利なのだ。金の問題ではない」
「お金がたっぷりあるのでしたら、私は宿に住まいます。それも駄目なら、もう孤児院に入ります。孤児院の方があの家よりもよほど教育して貰えます」
「なに言ってるんだ、カリヤ侯爵家の娘が孤児院など!」
エイトのこめかみがぴくぴくと震えている。
レアは父の血圧が心配になった。この父親には情など感じないがあの家政婦と、おそらく共犯であろう執事を始末してもらうまでは死なれては困る。
レアが孤児院に入りたい、と言ったのは脅しでもなんでもなく本気だ。けれど、侯爵にしてみれば、そんなことが知られたら法務部で高官を勤める自分の立場は地の底だった。
門衛の待合室に娘が一人で供も付けずに訪れたことだけでも何を言われるかわかったものではない。ここでの会話もまずいものばかりだった。
「娘を捨てたような有り様にしておきながら、なにを言ってらっしゃるのかわかりません。孤児院の方がマシだからそう言ったまでです」
「屋敷のことは調べる! 今日は私の泊まっている宿舎に泊まればいいっ! その後は調べが長引いたら宿でも良いっ」
「では、ちゃんと敵陣を調べるように調べてくださいね。私の手紙を処分するような連中を調べるやり方、お父様はちゃんとご存じですよね? 本当ですね? 私やお母様が親しくしていた侍女がいつの間にかいなくなってしまったのもご存じだったんですか?」
「は?」
「私の食事の不自然さとかも調べられるんですか? 誤魔化されずに? 家庭教師を雇ったことになってたんですよね? すっかりお父様、欺されていたということですよね? 大丈夫なんですか? 欺されずに本当に調べ」
「くどいっ! きっちり調べる!」
「やっぱりお母様のご実家に相談を入れたほうが」
父エイトの能力に多大な疑念を抱いているレアは、母の実家に頼ることを思いついた。
「そうだわ、なぜ思いつかなかったんだろう」
ろくでなしの父よりも、シロタ伯爵の方がずっと頼りになるに違いない。
「私が調べる!」
「私、でも、シロタ伯爵家に手紙を書」
「そんな手紙、出さなくても良い!」
かなり不安だったがこれ以上、父を怒らせるのは不味いかもしれないと思い口を噤んだ。
その日は結局、アミたちを警戒させないためにレアは帰ることになった。父が馬車を手配してくれたので馬車賃も使わず楽に帰れた。
侯爵邸から少し離れたところで馬車を降りて歩き、門衛には「ちょっと散歩してた」といえば難なく部屋に戻れた。けっこう長時間留守にしていたのだが、昼頃には帰れたので誰も不審に思っていないようだった。
エイトは娘に自分の能力を疑われて腹を立てたが万が一、娘の言うとおりだった場合、家庭教師の教授料を支払っている金はいったいどこへいってしまったのかと考えた。
着服されたのだろう。
アミはエイトの友人の紹介状を持ってきた男爵令嬢だ。挨拶をしたときの印象は悪くなかったと思うが、そもそも紹介状があれば大丈夫だろうと思っていたため、ろくに彼女を観察していなかった。
侯爵邸のことなど、面倒なので執事に丸投げだった。その執事も先代の執事の甥ということで、しっかりやってくれているだろうと思い込んでいた。
「もしも娘の言うとおりだったらとんだ詐欺師だ。ずいぶん侮られたものだ。おまけにテルゼア豆だって? 何を言われるか。いや、こちらは被害者の側だ。だが、放っておいたらまずい」
エイトの背筋を冷や汗が垂れる。
テルゼア豆は王立研究所で「要注意食材」と認定されている。二十年ほど前に認定されそのままだ。認定が取り消されることはないだろう。「訳あり」だからだ。
自分の領地の食材だ。それを未成年の娘が食わされていたとしたら、他の産物の悪評にも繋がりかねない。
なんてこった、とエイトは髪を掻き毟った。
領地の産物が未成年虐待に使われていた、しかも法務部高官の侯爵の家だ。あの研究は一応「国防」関連だ。万が一、対応を誤ったらとんでもないことになる。
エイトはこれ以上、失態を重ねないために念入りに調査した。
犯罪組織を摘発するくらいの周到さで人を雇い調べさせたところ、テルゼア豆を潰したものがレアの食事に混ぜられていた件では裏が取れた。料理人は関与していなかった。アミがあとからスープや煮込みに混ぜていた。
執事が侯爵邸の金を横領していたこともわかった。家庭教師を雇ったことなどないのに、いない家庭教師の教授料が請求されていた。勝手に使用人を解雇し、幾人かの辞めたはずの使用人の給料まで執事は懐に入れていた。
解雇された使用人たちは契約で定められた退職金が支払われない上に、こちらの都合の退職だったにも関わらず紹介状も書いていなかった。それで、国立の職業斡旋所からカリヤ侯爵家に苦情が何度も来ていたが執事が握りつぶしていた。おかげで法務部高官の家のくせに、職業斡旋所の「悪質な雇用主要注意リスト」に載っていた。
不正は二年間にわたり着服された金額も高額だったため、執事は鉱山に送られた。アミは北の作業所で刑務作業をさせられることになった。テルゼア豆の件ではアミの共犯だった元第二夫人のマナリアも北の作業所送りだ。
エイトはマナリアの実家と執事の実家、それにアミの紹介者に賠償金の請求書を送りつけた。執事やアミと契約するときに紹介者が身元保証していたので払う義務がある。
腹を立てたエイトは徹底的にやった。
法務部高官のエイトが執事と家政婦に欺され、元第二夫人は「家政婦アミに指示を出していた」「アミを侯爵家に入れたのは元第二夫人」として共犯と報じられた。ひとしきり社交界での話題となり悪評がたったことも怒りの原因となったが、自業自得としか言い様がなかった。




