15)憎悪
本日、一話目の投稿です。
「まさかレアがサシャ殿下と婚約とはねぇ」
エリにこっそりと言われ、レアは照れていいのか困っていいのかわからなくなった。
こそこそと話しているのは、まだサシャとレアの婚約は公になっていないからだ。王家の側から婚約披露の宴の日程などが発表されるまでは秘密だ。カリヤ侯爵家が広めるわけにはいかない。
それでも、婚約は正式に決まってはいるので身内などには報せて良いことになっている。レアは親友のエリにだけこっそりと伝えた。
とはいえ、エリに話せないこともある。たとえば、レアは王族の婚約者となったとたん護衛がついた。今も学園の衛兵の振りをしてレアの警護をしてくれている。要らない気もするが、なんだか怖いので付いてくれるのは安心する。王族関係者になってしまったので狙われることがあるらしい。
「ホントよね」
レアは心ここにあらずな状態で相槌を打つ。考えることがありすぎて、最近はずっとこんな感じだ。
「あぁ、でも、図書室でお喋りすることがあるって言ってたから、まるきりの予想外でもないんだけど」
とエリが思い出したように付け足す。
「そう?」
「そうよ、でも、レアが色気も素っ気もない感じだったから、ちょっと思い付かなかっただけ」
「色気は今もないわ。なんで私なんだろって今も謎だし」
「レアは可愛いし、カリヤ家は侯爵家だわ。何年か前に赤っ恥を掻いたけどもう過去のことだし」
「そ、そう?」
「私としては、レアみたいに気さくで人の善い令嬢が王族に加わるのは嬉しいけどな。臣下の一人として思うわ」
「うわ、物は言い様ね。貴族らしくないって?」
自覚はあるが苦笑いが出る。
「そうとも言うけど。でも、本気よ。ロザ嬢みたいに感じの悪い人だと余計に近寄りがたくなるじゃない? 慰問とかも彼女は一度もしたことないみたいだし」
「うーん。ちょっと私たちとは違う価値観かも」
「そうよねぇ」
教室の隅で密やかに話しているうちに授業の時間になった。
身が入らないままに午前中の授業が終わった。
なんだか集中力がなくて困る。サシャ殿下の婚約者として恥ずかしい成績になったらまずい。
レアはこれまで成績は良かった。順位はいつも十位以内だった。たぶん、他の令嬢たちと違って勉強以外にやることがなかったからだろう。茶会も夜会もお洒落も、カフェでのお喋りもなにもやることがないのだから。化粧の時間ひとつとっても、レアは皆無だった。
それらの時間をすべて勉強につぎ込めば、誰でも十位以内の成績を維持できるだろう。
「あぁ、でも、王室管理室から教育係が付くんだっけ」とレアは嫌なことを思い出した。
サシャは第二王子として学園を卒業後は王家の執務を手伝うらしい。外交や福祉関係が主だという。
あとは各種の催事関連。国の行事には残らず関わる。王室管理室に担当部署があるらしいが、当たり前だが任せきりになどできない。時間のかかる部分はやってもらうとしても、主役は王族なのだ。
王家直轄領が各地にあるので視察に行く仕事もある。
こんなに細々とやることがあるなんて思わなかった。外国語も習わなきゃならない。そうでないと外交が思うようにできない、周辺国は日常会話くらいは話せて当たり前だと言われた。
レアはもし喋れたとしてもニコニコしてる以外にできないと思う。けれど、王室管理室の説明ではそれじゃ済まないらしい。
兄たちには「頭の柔らかい若い内に習えばいい」と励まされたが、レアには脅しに聞こえた。
若い内って、何歳までだ。五年くらいで習得できるだろうか。徐々に「はやまったんじゃないか」と怖じ気付いてきた。
王室管理室の教育担当ってどんな先生だろう。
先日、説明してくれたのはルーベラという人だった。彼女の印象は悪かった。悪いとしか言い様がない。厳しそうで意地悪そうな人だった。
必要な厳しさなら我慢しようと思える。けれど、あの人はそういうものではなかった。ルーベラ・コーラという中年過ぎの女性は終始、氷像のような冷淡顔だった。
同じ話すにも言い方ってものがあるだろう。
周辺国には、ほぼ国交のない小国もある。ほとんど名も聞かない国だ。そんな国の言語も学ぶの? とレアは甚だ疑問だった。口には出さなかったが顔に出てしまった。
ルーベラに「恥ずかしい思いをするのは、あなただけではありませんからね」と言われたが、かなりきつい言い方だった。
二言目には「幼いころから婚約者の候補だったかたは当たり前に習ってることです」とか言う女だった。だからなんだというのだ。この婚約の打診は王家からだったというのに。
もうこれを「婚約は無理です」と投げ出す理由にしていいかなと、ちらりと思いはしたが、それではルーベラの望み通りじゃないかと気付いたとたん、血の気が引いた。嫌すぎて。
あの女に屈するなんて屈辱で今度は血圧が上がりそうだ。
王子の婚約者と決まったとたん、この有様だ。
はぁ、心が折れそう。折れるの早すぎだろ、と一人でボケとツッコミをしながら教科書を片付ける。
でも、サシャ王子はあの人をレアには付けないだろう。一応「コーラさんは苦手」とサシャには伝えてある。
王室管理室から説明がある、と聞いたときにレアはよほど不安そうにしていたらしい。それで、サシャが一緒にいてあげると言ってくれた。けれど、王室管理室が「ご多忙な殿下を煩わせるわけにはいきません」と断ってきたのだ。
それで、サシャは少々、ぶち切れた様子をしていた。
レアは王室管理室と切れたサシャの間に立つのが怖かったので「一人で大丈夫です」と、ちっとも大丈夫ではなかったけれど答えたのだ。
サシャはそれでも心配して、レアに魔導具を持たせてくれた。王家の執務で使われているものらしい。「記録の魔導具」だ。王室管理室の説明でわからないところがあったら、サシャが後から補足してくれることになっていた。
レアは魔導具にルーベラ・コーラが言ったことを残らず記録させてサシャに渡した。
その結果、サシャは「レアはあの王室管理室が言いやがったことは気にしなくていいからね」と凄みのある笑顔で言っていた。
そう言われても気にしないではいられないし、今後のことはやっぱり不安でいっぱいだがサシャ王子には遠慮なく相談させてもらおう。
「やっとお昼ね」
と、隣でエリが嬉しそうだ。
「いいなぁ、エリは悩みなさそうで」
「ん? 何か言った? レア」
「ううん、なんでもない。そういえばさ、エリ。兄様から婚約の打診、来た?」
「あ、うん」
エリが恥ずかしそうに頷く。
「なんだぁ、来てたのね。早く言ってよ。まだだと思っちゃった」
これはきっと執事のファインプレーだ。父に任せておくと永遠に放置だ。
「言おうと思ったんだけど、その前にレアから衝撃情報が来ちゃったから」
「あぁ、まあね」
レアは思わず苦笑した。
「えっとね、お受けするって決まりました!」
「やった、嬉し!」
知ってたけれどね。エリはずっとアズ兄のこと「優しい」「格好良い」って言ってたのだから。
「えへへ」
二人でにやついていると、教室の出入り口のほうが騒がしい。
なんだ? と振り返ると、やたら派手な一群がいた。
「ねぇ、ロザ様よ」
エリが心配そうに呟く。
「サシャ殿下の婚約者候補だった人ね」
胸がざわめいた。
廊下にいたレアの護衛が速やかに教室に移動している。ロザは護衛にとっては要注意人物らしい。
まさか、なにか言いに来た、とかだろうか。
婚約者候補のことはサシャから聞いていた。
サシャ殿下には国外の王族から婚約の打診が来ていたが、そちらは丁重にお断りしたという。王家は第二王子を国外に出すつもりはなかったからだ。
国内では公爵家のほうから婚約の話が来ていた。サシャ殿下の婚約は国王夫妻が「急いで決める必要がない」と返答を渋っていた。第二王子だから、という理由だ。サシャは「本当は他にも理由があるんだけどね」と、なにか言い難そうにしていた。
それでも二年ほど前に断りの返答をしたが、断っても納得しない家があった。宰相のご令嬢、ロザ・メリエ嬢の公爵家だ。
サシャいわく「公爵家は遠縁だからか、私の婚約が決まらないかぎり納得して貰えなかった」という。
いくら親戚でも断ってるのにしつこくない? とレアは思ったのだが、王家と並ぶ公爵家ならではらしい。
エリや兄たちから聞いた話でも「ロザ嬢はしつこい」「執念深い」「王家が断っても粘着してくるとは異常」と裏で言われてるみたいだった。
宰相のご令嬢でおまけに公爵家なので表立って言う人はいないけれど、この件で宰相はだいぶ評判を落としているようだ。
当然、評判落ちるでしょ、とレアは思う。「あんたとは結婚できません」と言ってるのに「いや、まだ相手が決まってないんだから私にしろよ」と言い続けたのだから。しかも王子様相手に。「粘着」と言われるゆえんだ。
ロザ嬢は宰相である父親と公爵家という地位に護られ、自分が「異常」と思われていることに気付いていないらしい。
調べないのだろうか、自分の評判とか。噂されてることとか。でも、そんなことを喋っていると知られたら不味いから、噂するほうも慎重になるだろう。
レアが彼女の情報や推測をあれこれ考えている間に、ロザは教室に入ってくると一人の令嬢に声をかけた。
「明日、例の目録を持ってきてちょうだい」
という声が聞こえてくる。鈴を転がすような声とはこういうのを言うのだろう。けれど、やたら威圧的で正直、感じは悪かった。
「は、はい」と答える相手の令嬢も怯えている雰囲気だ。
わざわざ公爵令嬢が教室まで頼み事に来たからか、相手は恐縮している。取り巻きに伝言を頼めば良さそうなものなのに。
そう思いながら視線を逸らそうとして、ばっちり目が合った。
彼女はレアのことなど知らないはずだ。レアはロザ嬢の噂は色々と聞いていたが、姿を間近で見たのは初めてだ。
その彼女は、レアを見ると目付きを険しくした。
一瞬のことだった。鬼のような目。憎悪の籠もった目だ。
背筋が震えた。
それはほんの一刹那のうちに過ぎ、彼女はまるで幻だったかのように表情を元に戻した。元の、貴族らしい無表情に。
レアは平静を装ったつもりだったが、しばらくは体が小刻みに震えるのを抑えられなかった。
ありがとうございました。
また今夜20時に、投稿いたします。




