第3話
レオナはアレクサンダー・セキュリティーの地下にある医療部門に足を運んだ。
業務にあたる社員の負傷等に対処するために二十四時間体制で医師が常駐しているほか、緊急の科学分析のための職員も待機しているが、レオナは奥の研究区画へと進んでいく。
研究室のひとつの明かりがまだ点いていることを確認して中を覗き込むと、眼鏡の奥の目と視線が合った。
「まだいてくれてよかった」
「お疲れ様です。ニュース観ましたよ」
フィオンが会いに行ったのは、医療部門の医師兼研究員のダグラス・ラングだった。
「お見事でした。言われ慣れてるでしょうけど。上も喜ぶでしょうね」
「課長も言ってたそれ」
適当に世間話をしながら、レオナはゴミ袋をラングに差し出す。
「グリゼオス服用者のサンプルが偶然手に入ったから渡しておく」
渡された袋の口を開きかけたラングは、隙間からの匂いで中身を悟り、すぐにまた閉じた。
「どこの誰のですかこれ」
「第六小隊のフィニアン・バーク」
それを聞いた途端、ラングの整った相貌がなんとも言えない酷い歪み方をした。
「よりにもよって近場も近場じゃないですか」
社内でもまあまあ変人扱いされているラングですらドン引きである。
「しかもあの真面目な副隊長さんだなんて」
「仕事が長引いたせいで薬飲めなくて大変そうだったから手伝っただけ」
「それなら五千歩ほど譲ってまだマシですかね」
そう言いながらラングはサンプルの保全作業の準備を始めた。
「てっきり、彼も狼の遺伝子持ってるから手っ取り早いと思って誘惑したのかと思いましたよ」
「私の倫理観がそこまで壊れてたら、あの課長でもここに呼んだりしないでしょ」
フアンは今でこそ管理職として規律正しい装いでいるが、本当に規律正しい性格なら警察辞めないだろうなというのがレオナの見解である。それとも、フアンなりに心に決めた規律があるからこそ辞めたのだろうかとレオナは思った。
「副隊長さんは?」
「もう帰した」
「今頃家で悶絶してるんじゃないですか」
「さあね」
「さあねじゃないでしょう」
他人事のような言い草のレオナにラングは呆れる。
「偶然の成り行きとはいえ、憧れの隊長の前で痴態晒した上に実は利用されたなんて知ったら、彼生きていけなくなるんじゃないですか」
「それはないんじゃない。バークもいい歳なんだから」
「じゃあ僕が彼に全部話しちゃってもいいんですか?」
「余計めんどくさいことになるからやめて」
「だったらちゃんと責任取ってあげてください」
あたかも無責任であるかのように扱われるのはレオナも少々心外だった。
「別にバークのことはどうでもいいと思ってるわけじゃないよ」
「思ってたら最低ですよ」
「やけにバークの肩持つじゃない」
「あなたに腹が立つだけです」
時々レオナはラングのことを口うるさいオカンのように感じる。
ちなみにレオナの辞書には、オカンと乙女は性別年齢不問と書いてある。
「まったく。いい気なもんです。僕のこと振っておいて」
独り言のようにラングは愚痴った。
「そういうの根に持つとモテないよ」
「モテなくていいですよ」
端正な顔をマスクで覆いながら、ラングはレオナを睨む。
「あなた以外には」
レオナはそれを聞いても、へえ、と適当に相槌を打つだけだった。
「こういう時ですらそういう態度だから腹が立つんですよあなた」
手袋をしながらラングは吐き捨てた。
「分析が済んだらデータ更新しておきます」
「ありがとう」
一言そう言って微かに笑みを見せ、レオナはラングに背を向けた。
ひとり研究室に残されたラングは溜息を吐く。
ときどき。
ラングは、いつも掴みどころのないレオナの横顔を思い出しながら作業に取り掛かった。
ときどき、一瞬素直な感情を見せたりするから、あの隊長は狡いのだ。
[つづく]
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