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沈黙の帰路 (廃屋へ向かう列車)



瓦礫の町が流れる。


列車の窓から見える町はもはや廃墟のようだった。

もう動かない信号。焦げた建物。誰もいない商店。


彼はその景色を、じっと見つめていた。


身体には古傷が多い。杖を突いて歩くようになって久しい。

それでも、どうしても行かなければならない場所があった。


廃屋。

かつて、自分の「家」と呼んでいた場所。

……そして、ひとりの「友」が待つ場所。


遠い昔、自分の家の軒先に、いつの間にか住み着いた子犬。

薄汚れ、臆病で、どこか自分に似ていた。


気づけば、彼は唯一の話し相手になっていた。

飼ったというより、共に生きた。

町のはぐれ者だった自分にとって、初めての“誰か”だった。


やがて戦争が始まり、自分にも招集がかかった。


「誰にも見送られない人生だと思っていた」


出発の朝、犬はじっとこちらを見つめていた。

その視線が、まるで言葉のように思えた。


だから答えた。

「お前は、この家を守れ。俺の代わりにな」


それから、長い戦場の日々が始まった。

銃声と怒号、別れと恐怖。


それでも生き抜けたのは、どこかであいつが待っていると信じていたからだった。


途中、通信で知った。

自分の町が、攻撃を受けたと。


その瞬間、胸が凍った。


けれど信じた。

年老いた犬が、自分の代わりに、俺たちの家を守っている。

今も、あの小屋の前で「待っている」のだと。


その想いは、彼を救った。


そして今、彼は帰る列車に揺られていた。


仮設の線路が敷かれ、町への列車が走り出すと知った日、すぐさま申し込んだ。


列車が町へ近づく。


友との散歩道、駅前の商店街、すべてが変わり果てた姿でそこにあった。


けれど、懐かしい匂いだけは、変わっていない気がした。



そしてそのときだった。


突然、すべての音が消えた。


列車のきしみも、車輪の音も。

揺れも止まり、乗客の声も動きも凍りついた。

まるで世界全体が「一枚の写真」になったようだった。


彼は目を見開き、時の止まった窓の外を見つめた。

空中に浮いたままの落葉、動かない鳥の羽ばたき。

信じられない光景だったが、彼は思った。


——あいつも、今どこかでこの“止まった時間”に触れているのだろうか。


そう思った瞬間、胸の奥が熱くなった。

どこかであいつと繋がっている気がした。


止まった世界に、ぽつりと呟く。


「……生きていてくれ」


その声が誰に届いたのか、彼には分からなかった。

けれどそれは、確かに世界に響いたように感じた。


そして、列車が再び動き出す。

風が吹き、音が戻り、人のざわめきがよみがえる。


降り立ったホーム。杖を突き、ゆっくりと歩く。

かつての我が家が見えた。


家は焼け落ち、壁も屋根も半壊していた。

……けれど、庭の隅。そこだけが、奇跡のように残っていた。


犬小屋。

そして、その前に——


彼は、そこに座る姿を見つけた。


毛並みはボロボロで、足も細くなっていた。

でも、家を守りきった。

ただ、小屋の前に座り、まっすぐ前を見つめていた。


目が合った。


「……帰ったぞ」


その声を聞き、彼は立ち上がった。

足元がふらつきながらも、確かに彼の元へ向かってきた。


地面に落ちた首輪が、彼の目に入った。

あの日、プレゼントするはずだったもの。


彼はそれを拾い上げ、彼の首にそっと巻いてやった。

それが、彼らにとっての「ただいま」だった。


世界は止まったのかもしれない。


けれど、この家の時間だけは、ずっと止まってなどいなかった。



---


その日、2人の世界は3分間だけ止まった。

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