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沈黙の川辺 (拾う者の孤独)



川があった。

街を抜け、住宅地の裏を流れる小さな川。

春には桜が散り、夏には子供の声が橋の下にこだました。

けれど今は違った。

川辺には空き缶、コンビニ袋、錆びた自転車。

水の中には投げ込まれた家電やタイヤの影が沈んでいる。



男は週末ごとにこの川を歩いた。

長靴を履き、軍手を嵌め、手にはゴミ袋を抱えて。

誰に頼まれたわけでもない。

小さな町の掲示板に貼られたボランティア募集の紙を、

ふと目にしただけだった。



最初は何人かいた仲間も、

今は誰も来なくなった。

「どうせまた捨てられる」

「拾っても無駄だ」

それは正論だった。


それでも男は拾った。

夏の陽炎の下で、冬の凍る川面のそばで。

一人で集めたゴミ袋が、何百袋になったかわからない。



その日も同じだった。

川の中に沈んだ空き缶を引き上げ、

破れかけの袋に詰めていた。

対岸の草むらには、捨てられた弁当ガラが白く光っていた。



ふと、視界の端で人影が動いた。

制服の少年が、缶ジュースを飲み干し、

何気なくそのまま川へ放ろうとしていた。


指先から缶が離れかけた、その瞬間——



世界が止まった。




少年の指先の缶が、宙に浮かんだまま止まっている。

川面の波紋も、カラスの鳴き声も、遠くの車の音さえも消えた。



男は缶の下にそっと手を伸ばした。

掴むと、まだ冷たい。

少年の目は虚ろなまま空を見ている。

無垢にも見え、無責任にも見えた。



「……またか。」


何度拾っても、何度片付けても、

翌週には同じゴミが流れてくる。

自分のやっていることは何なのか。

何の意味があるのか。



虚しさが胸を刺す。

拳が缶を握り潰す。

怒りが滲む。


いっそ放り込んでしまおうか。

自分の手で川を汚してしまえば、

この無意味さも言い訳にできる。



けれど手は離れなかった。

水面に映る自分の姿が、くしゃくしゃになった缶を握りしめて立っている。



「……もういいさ。」


投げるのは簡単だ。

けれど、拾わない自分を自分が許せない。



男は潰れた缶をゴミ袋に放り込んだ。

止まった少年の肩をそっと叩く。

言葉は届かない。



次の瞬間——

世界は動き出した。



缶を投げるはずだった少年の手は空を切った。

あれ?という顔で掌を見ている。


男は背を向けた。

草むらの弁当ガラを拾いに歩き出す。



ゴミ袋の中で、潰れた缶が他のゴミと擦れて小さく鳴った。


男は思った。

一人では足りない。

拾うだけでは追いつかない。



「やり方を変えよう。もう一人で抱えるのはやめよう。」


男はポケットからスマホを取り出した。

川の写真を撮り、SNSを開く。

何度目かの「一緒に拾おう」の投稿文を打ち直す。



振り返ると、少年が立っていた。

何をするでもなく、川面を見つめていた。

男と目が合うと、少年は少しだけバツが悪そうに笑った。



ゴミ袋が風で鳴った。

川面に冷たい光が揺れた。


男はスマホの画面を見つめながら、小さく息を吐いた。



——その日、世界は3分間だけ止まった。


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