沈黙の道化 (前線のキャンプ)
仲間たちが笑った。
彼が冗談を飛ばすと、仲間たちは笑う。
焚き火を囲み、皿を片手に乾いたパンをちぎって、缶詰の豆と一緒にかき込む。
「でな、そのとき俺がこう言ったんだよ。“お前の顔、地雷よりヤベえぞ”ってな!」
火のまわりで誰かが吹き出した。
もう一人が「それはねぇだろ」と肩を揺らして笑った。
彼は、道化を演じていた。
笑いがあれば、沈黙は怖くない。
孤独も、恐怖も、冗談の下に埋めてしまえる。
──ただ、それだけだった。
だから、いつもふざけた。
仲間を笑わせた。
死の匂いが消えないこの前線で、唯一流れる「マジじゃない」時間。
その時だった。
音が、すっと消えた。
焚き火の爆ぜる音が消え、笑い声も消えた。
向かいの仲間が、口を開けたまま静止している。
驚いて手放した豆の缶詰が宙で止まり、傾いたまま落ちてこない。
「……え?」
彼は周囲を見回した。
誰も動かない。
笑い声もない。
火の揺れすら、絵のように止まっていた。
「冗談きついって……。誰だよ、こんな仕掛け考えたの」
ひとりで喋ってみた。いつものジョークの延長みたいに。
でも、誰も笑わない。
誰もツッコんでこない。
彼だけが、世界にぽっかりと置き去りにされたようだった。
手元のカップを見た。ぬるくなったコーヒーの匂いだけが漂う。
一口すすると、やけに味が濃く感じた。
彼は、ふっと息を吐いた。
「……やめてくれよ。こんなの……笑えないぜ」
静かすぎて、鼓動の音が痛いほど響く。
やがて、焚き火の向こう。
自分の冗談で笑っていた、あの顔たちを見つめた。
いつも、自分が彼らを笑わせていると思ってた。
でも本当は、自分が笑い声にすがっていた。
ふざけないと、崩れてしまいそうだったから。
「……怖ぇよ、こんなの」
一人ごとのように、呟いた。
ポケットから取り出した、小さなメモ帳。
落書き帳のように、つまらないネタが並んでいる。
最後のページに、くしゃくしゃな字で書かれていたのは──
「いつか、全部終わったら、ちゃんと謝りたい」
怖い。でも父親に、会いたい。
それが、本音だった。
「……あーあ、バレちまったな。俺はつまんねぇやつだよ……」
焚き火の前で、彼は一人、道化をやめた。
顔から笑みが消える。
それでも涙は出なかった。
ただ、静かだった。
やがて、風が吹いた。
焚き火がまた爆ぜ、誰かが言った。
「あれ? なんで黙ってんだ?」
彼は笑ってみせた。
「悪ぃ。ネタ切れだったからアドリブな?」
そしてまた、冗談をひとつ。
だが、その声には少しだけ、本当の自分が混じっていた。
--
その日、世界は3分間だけ止まった。