表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/94

沈黙の指輪 (荒野の十字路)



爆音の直後だった。

空が揺れたような錯覚。反射的に身を伏せると、砂が舞い、視界が白く染まった。


──耳がおかしい。

最初はそう思った。

でも違う。何も聞こえない。


音が、世界から抜け落ちたようだった。

立ち上がると、味方の兵士が銃を構えた姿勢のまま、まったく動かない。

目を見開いた敵兵も、弾け飛んだ破片も、すべてが空中で静止している。


「……なんだこれ」


声は出た。自分の声だけが響いていた。

近づいて仲間の肩を叩こうとしたが、指先が届く直前で手を引っ込めた。

怖かった。


足元に落ちた薬莢は、地面のすぐ上で止まっている。

風はない。煙は空に貼りついたまま。

砂埃さえ、空中に浮かんだままだ。


「夢じゃないのか……」


舌を噛んだ。痛い。

これは現実だ。

現実の異常だった。


深く息を吸った。

胸の中で鼓動だけがやけに大きく響く。

まるで、世界で生きているのが自分だけになったような錯覚。


ふらふらと歩き出す。

しばらくして、ポケットに手を入れた。

そこにあるものを、確かめるように握る。


──小さな、銀の指輪。


いつか、彼女に渡そうと思っていた。

この戦争が終わってからじゃ遅い。

だから、「終わる前に」言おうと決めていた。


でも、叶わなかった。

会いに行く途中で、また戦場に引き戻されてしまった。


こんな形で“誰もいない世界”に放り出されるなんて、思いもしなかった。


ポケットから指輪の入った小箱を取り出し、蓋を開けた。

銀色の輪が、太陽の光を受けてかすかに光っている。

──太陽すら、止まっているように見えた。


「今なら……言えるな」


声が静かに漏れた。

誰も聞いていない。誰も笑わない。誰にも届かない。

だからこそ、たった一人に向けて、言葉を吐いた。


「……結婚してくれ」


答えは返ってこない。

でも、言えた。

それだけで、胸の奥が少しだけ温かくなる。


足元の平たい石の上に、小箱をそっと置いた。

本当は、彼女の指にこの指輪を嵌めたかった。

でも今は、それが大事ではない気がした。


誰にも見つからなくていい。

この場所で、時間に埋もれてしまってもいい。


それでも──

小さな希望だけは、ここに残していきたかった。


もし、自分の鼓動が止まっても、

この想いだけは、世界に残る気がした。


そのとき、風が吹いたような錯覚がした。


現実が、音を取り戻す。


遠くで爆発音。誰かの叫び声。銃声。

いつもの戦場の喧騒。


彼は立ち上がった。

振り返らず、指輪も拾わず、歩き出した。

願いを“そこ”に置いて、前を向いて進む。


彼の背中には、もう迷いはなかった。



---


その日、世界は3分間だけ止まった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ