沈黙の指輪 (荒野の十字路)
爆音の直後だった。
空が揺れたような錯覚。反射的に身を伏せると、砂が舞い、視界が白く染まった。
──耳がおかしい。
最初はそう思った。
でも違う。何も聞こえない。
音が、世界から抜け落ちたようだった。
立ち上がると、味方の兵士が銃を構えた姿勢のまま、まったく動かない。
目を見開いた敵兵も、弾け飛んだ破片も、すべてが空中で静止している。
「……なんだこれ」
声は出た。自分の声だけが響いていた。
近づいて仲間の肩を叩こうとしたが、指先が届く直前で手を引っ込めた。
怖かった。
足元に落ちた薬莢は、地面のすぐ上で止まっている。
風はない。煙は空に貼りついたまま。
砂埃さえ、空中に浮かんだままだ。
「夢じゃないのか……」
舌を噛んだ。痛い。
これは現実だ。
現実の異常だった。
深く息を吸った。
胸の中で鼓動だけがやけに大きく響く。
まるで、世界で生きているのが自分だけになったような錯覚。
ふらふらと歩き出す。
しばらくして、ポケットに手を入れた。
そこにあるものを、確かめるように握る。
──小さな、銀の指輪。
いつか、彼女に渡そうと思っていた。
この戦争が終わってからじゃ遅い。
だから、「終わる前に」言おうと決めていた。
でも、叶わなかった。
会いに行く途中で、また戦場に引き戻されてしまった。
こんな形で“誰もいない世界”に放り出されるなんて、思いもしなかった。
ポケットから指輪の入った小箱を取り出し、蓋を開けた。
銀色の輪が、太陽の光を受けてかすかに光っている。
──太陽すら、止まっているように見えた。
「今なら……言えるな」
声が静かに漏れた。
誰も聞いていない。誰も笑わない。誰にも届かない。
だからこそ、たった一人に向けて、言葉を吐いた。
「……結婚してくれ」
答えは返ってこない。
でも、言えた。
それだけで、胸の奥が少しだけ温かくなる。
足元の平たい石の上に、小箱をそっと置いた。
本当は、彼女の指にこの指輪を嵌めたかった。
でも今は、それが大事ではない気がした。
誰にも見つからなくていい。
この場所で、時間に埋もれてしまってもいい。
それでも──
小さな希望だけは、ここに残していきたかった。
もし、自分の鼓動が止まっても、
この想いだけは、世界に残る気がした。
そのとき、風が吹いたような錯覚がした。
現実が、音を取り戻す。
遠くで爆発音。誰かの叫び声。銃声。
いつもの戦場の喧騒。
彼は立ち上がった。
振り返らず、指輪も拾わず、歩き出した。
願いを“そこ”に置いて、前を向いて進む。
彼の背中には、もう迷いはなかった。
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その日、世界は3分間だけ止まった。