ガラスの少年
その日少年は、何もない自分を引きずり、歩いていた。
ガラスの身体をもった彼は、これまで、いつもそのからっぽの身体に美しい色ばかりを流し込み、自分は特別なのだと、そう思っていたのです。
誰もが彼を褒め称えました。
「あなたはなんて美しいのだろう」
「なんてやさしい色合いなのだろう」
「なんと勇ましく燃えているのだろう」
人々は彼の美しさを見て、ときには海のように深い青で、かと思えば空の優しい白であったり、翌日みれば、それが夕焼けのように情熱的で鮮やかな赤に染まっていたりする。彼のつかみ所のない美しさを褒め称えずにはおられなかったのです。
けれど、それはただの色でしかありません。深く優しい青も、情熱的な赤も、ただの流し込まれた液体なのです。
彼は最近いつも疲れていました。人々にほめられ、もてはやされれば、いつだって楽しいし、美しさを賞賛する言葉に「またか」と思いつつも嬉しいのだけれど、心の中にある、“それは本当の自分じゃない”という思いが、彼の足取りを重くさせるのでした。しかし本当のからっぽの自分の姿を人々に見せることは、彼にはとてもできなかったのです。空っぽになれば、今までのように褒め称えてくれる人はいなくなる。それどころか、我々をだました卑怯者だと言われるかも知れない。彼はいつも脅えていたのです。そしていつの頃からか、誰かに誉められるたびに、罪の意識を感じるようになったのでした。美しい色だといわれるたびに、その人をだましているような気がしてならない。その言葉に笑顔を返しながら、申し訳ないという思いがあふれてくるのでした。
やがて不安に耐えられなくなり、疲れ果てた彼の身体にはひびが入りました。そしてそこからすべての色が流れ出し、とうとう彼はからっぽになってしまいました。
しかし、ひび割れ、からっぽになっても、不思議なことに彼には不安も悲しみもありませんでした。様々な色を充たしていたときには、本当の自分の姿がいつ知られるのかと、あれほど不安で苦しかったのに、今こうして何もかもが流れ出し、中身のない本来の姿になってしまうと、なぜかほっとするのです。
そして、そのからっぽの彼を見つけた人々が、だまされていることに気がつき、彼をののしったかといえば、そんなことはありませんでした。哀れんだかといえば、そうでもありませんでした。人々はただ、いうのです。
「たまには透明もいいですね」
「今日は空っぽで、身軽そうですね」
「向こうの景色も美しく見えますよ」
彼はそれを聞いて呆然としました。そして突然笑い出しました。彼はようやく気がついたのです。自分が中身のない空っぽな人間なのだということを、本当はみんな知っていたのだと。彼はただ、自分で勝手に思いこんでいただけだったのです。「みんな僕をすごい人物だと思っている」と。
これまで、彼は自分のまわりに対して、自分をかっこよく見せようとして、自分の中に様々な色を流し込み工夫しているつもりでいました。そしてそれが成功しているのだと思い、みんなが自分のことをすごい人間だと思っているのだと思っていたのです。そして今度は、本当は中身のない自分の正体が、いつか誰かに知られてしまうのではないかと思い、一人で悩み苦しんでいただけだったのだということに、今このときようやく気がついたのでした。そうすると、これまで一人悩んでいた自分がこっけいに思えて、彼はおかしくてたまらなくなり大きな声で笑うのでした。
人々が誰にでも言っているお世辞を、自分にだけ特別に言ってくれているのだと勘違いしていた自分を思うと、どうしても笑いをおさえることができなくて、やっと気持ちが落ち着いたと思っても、すぐにまた思い出して吹き出してしまって、彼はまた息も止まるほどに笑い転げてしまうのです。
「大丈夫ですか?」
といわれても、もうどうしようもありません。おかしくて、おかしくて、たまらないのですから。
ひび割れてしまった彼の身体には、もう二度と、どんな色のどれほど美しい液体も満たすことはできなくなりました。しかし、彼はもう気にしませんでした。
けっきょくのところ、彼が空っぽになっても人々はかわりませんでした。かわることができたのは彼のほうだったのです。
そして今、いつもうつむいていた少年が、手足を広げて寝転んで、空を見上げて笑うのです。どこかへと駆け出してゆきたい気持ちに、ほんの少しだけ戸惑いながら。 了
2004_11_13