「暴食豚」と家を追い出されても、その男は余裕でした
趣味は創作小説投稿、さんっちです。広く浅く生きてます。
見た目を変える理由は悲観的なモノより、出来るだけ前向きでありたいもんです。
「フィディアス。お前は我がシュギット侯爵家に相応しくない」
当主は目の前の息子に、拒絶を告げた。当人は一瞬目を丸くしたが、やがていつもの無表情になる。
手入れされていない髪にニキビだらけの顔。さらに極度の肥満体など、美形から程遠い容姿。再婚相手の侯爵夫人と連れ娘ハンナがクスクス嗤う。
「侯爵家を継ぐのはハンナだ。貴様と違って、容姿も性格も優れているからな。いくらでも婿は見つけられ、跡継ぎも出来るだろう」
「・・・ハンナは、当主になるための教育を受けていません」
「これからやれば良いではありませんか。無能なお兄様が10年間かけてきたことでも、私なら数年でこなしてみせますから。
社交界に出ないから交友関係も無く、日中の大半は自室に引きこもり、様々な菓子をひたすら貪る。
我が家の負担でしかない【暴食豚】に、侯爵家の当主になる資格があるとお思いでして?」
明らかな敵対心を込めて、ハンナはフィディアスを睨む。いつしか鋭い目は夫人にも、そして当主にも伝染した。
「貴様が食い尽くさなければ、我が家の収入の要である砂糖を、より多く商売に回せるというのに。
貴様がいなければ財政も余裕になり、外交にも一役買う菓子事業を拡大できるというのに。
貴様がいなければ家の名誉も回復して、仕事相手やハンナの婿も上位貴族になるというのに。
この無能が、この金食い虫が!さっさと消えてしまえ!!」
醜い役立たず、暴食する豚。それが彼らから見た、侯爵令息フィディアス・シュギットだ。
怒り狂った侯爵は、ティーカップをフィディアスへ投げつけた。温い紅茶が、バシャッと彼の服を汚す。
「あらあら、本当に豚みたいな模様ね」
「やだっ。豚に紅茶なんて贅沢過ぎるわ」
隠す気のない陰口を受けながらも、フィディアスはフッと微笑む。
「承知しました。明日の朝までに、この屋敷から去ります。
今後はシュギット侯爵領に足を踏み入れず、二度と侯爵令息を名乗らないと誓いましょう。
つきましてはこれから、この屋敷から自らがいた痕跡を全て片付けてまいります」
そう言えば、精一杯の礼をしたフィディアス。そのまま足早に去った。
扉越しの笑いを背に、彼はため息を1つ。その様子を見た従者が、心配そうに近寄ってくる。
「フィディ、服が・・・」
「気にするな、それより決まったぞ。今夜にはここを出る」
ニッと笑いながら、堂々とそう言い切ったフィディアス。
その様子を見て、協力者の従者も承知の意を込め、フフッと微笑んだ。
●
日付が変わって数分だけ経った真夜中。ランタンで照らされた道を、老馬が荷台を引きながら進んでいく。
馬を操るのは、先程の使用人・・・いや、元使用人の子爵令息シアン・ヘルティ。流石にこの時間まで起きているのが初めてか、ふぁ~と大欠伸をかます。
「悪いな、こんな夜更けに。言ってくれれば交代する」
荷台に乗るフィディアスは端で小さくなり、申し訳なさそうに声をかけた。
「な、何を言うんだよ。フィディも眠いだろ」
「そうでもないさ、この時間まで起きているのが普通だからな」
フィディアスが毎晩のように徹夜しているのは、使用人なら皆知っている。当然、仕事のために。
「しっかし大丈夫かぁ?フィディがいなくなると、シュギット侯爵家は賄えねぇだろ。あの家は大半、お前が回してたのによ。
ってか何だよあの当主、婿養子のくせに何も知らないんだな。あの家は先代や奥様、そしてフィディがいるから成り立ってるのに」
「母が生きてた頃から、義母と浮気してたくらいだからな。侯爵家の利益だけ食ってた、本当の無能で金食い虫だよ。あの男は」
マジかよ、とシアンは顔を渋くする。今の夫人と連れ娘に夢中な当主に、侯爵家の財狙いの女たち。おそらく没落は目の前だな、と呆れていた。
シュギット侯爵家は、爵位を受けた亡き祖父、その娘の亡き奥方。そして唯一血を引くフィディにより地位を成した。
優れた味覚を持った祖父は、優れた菓子職人になるべく、大陸のアチコチで武者修行した人だ。やがて王族ご用達の菓子を作るにまで腕を上げて、爵位を受けた後から菓子事業を始めた。
その一人娘だった奥方は、誰でも美味しい菓子を食べられるように、砂糖の安定した生産に力を入れてきた。かつては高級品ばかりだったこの国の菓子も、今では安価で楽しめるようになっている。
こうしてシュギット侯爵家は、祖父と母に多くの仕事が舞い込むことで発展する。その隣で1人立ち会い続けた、実の息子フィディアス。
2人の死後、彼はその仕事を全て請け負った。幼い子供が、たった1人で。
侯爵家の砂糖を使った商品を全部味見しては、様々なアドバイスを送り。
家族がろくに管理できない家の雑務も、独りで必死にこなす。
交流会にも娯楽にも人前にも全く出ず、長いこと閉じこもって。
いつしか家族から遠巻きにされ、その悲しみから、さらにこの生活に身を沈めた。
過労にストレス、運動不足に偏った食生活。フィディアスの心と体を犠牲にした結果、菓子事業は大きく発展したのだ。
「・・・ゴメン」
「ん?どうしたんだ、突然」
「フィディが独り追い詰められているのを、何も言えずに見てただけなんて」
形だけの当主に支配されていた侯爵家では、フィディアスを庇った者は、あの家族に敵視される。いつしか誰もが黙認するようになり、歪んだ空気に包まれていた。
肥満体で美形とは言い難い容姿、だがそれを存在否定のように言われるとは。端から見れば、ただただ不愉快だ。
昔から、何も出来ない自分が嫌だった。だから今、逃亡に協力したシアン。
「・・・俺、もっと出来たことがあったんじゃないかって、後悔してて」
そう呟くと、「なに言ってるんだ」とフィディアスは笑う。
「覚えてないのか?祖父と母さんの葬儀の時・・・」
○
小さな2つの墓の前で、幼いフィディアスは泣いていた。独りになってしまったことに、涙が止まらなかった。
ーーーどうして2人だけで、一緒にいったの。
ーーー僕も連れて行ってよ、寂しいよ。
そんなことを呟いていると、スッと近付いてきた同じくらいの人影。それがシアンだ。
この頃からフィディアスとは仲が良かった。葬儀も父親が近くにいない中、唯一隣にいてくれたくらいには。
ーーー朝から何も食べてないだろ?コレ・・・。
そう言ってシアンがくれた、小さな籠。中には少し焦げたクッキーが、ギッシリ入っている。
ゴメン、少し焼きすぎた・・・と謝るシアンを見つつ、甘い香りに空腹を感じたフィディアス。おそるおそる手に取り、口に入れた。
サクッとした食感、ほんのり感じる甘み。ジワッと泣きそうになるほど、優しい優しいお菓子だった。
一方で焦げたところから、酷い苦みが襲ってくる。泣きじゃくって感度が高くなっていたのか、フィディアスは思わずビクッと震えた。苦っ、と小さく声を漏らすほど。
ーーーや、やっぱりマズいか?ゴメン、もう2度と作らない・・・。
しゅんと肩を落として、いなくなろうとするシアン。そんな彼を、フィディアスは慌てて引き留める。
確かに美味しいとは程遠い、でもたった1回で諦めてほしくないから。
ーーーまた、作ってよ。いくらでも食べるからさ!
○
それからだった。シアンが菓子を作ってはフィディアスが食べる、お菓子の関係が出来たのは。優れた味覚を受け継いだフィディアスの指導で、シアンの腕はメキメキと上達していく。
やがて事業のためにと、菓子の種類や手間、そして砂糖の使用量に作る頻度も増えていった。
やはりフィディアスの不健康な生活と今の容姿には、自分も関わっていたのでは・・・。
「でもシアンの菓子、誰かの為に作ってくれてたんだろ?俺、その思いを失ってほしくなかったからさ。
本当にありがとう、お前がいてくれて良かった」
その言葉に、先程までの不安など飛んだ。救われたように、へヘッと笑うシアン。
「まぁ追い出された先で、新しく立ち上げれば良い。侯爵家から独立したって言えば、前向きな理由になるだろ。
シアン、これからも協力してほしい。お前の菓子も、助けてくれるお前も、俺には欠かせないからな」
そんなことを言い合って笑うのだ、人生を諦めたつもりなどない。
「ハハッ、当然!むしろ良かった、俺がフィディの邪魔じゃなくて」
「俺は死ぬまで、お前の菓子を食べるつもりだから・・・覚悟しとけよ?」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃん。・・・だったら1つ、約束しようぜ」
ガラガラと寒空を進む馬車の上、青年2人の明るい笑い声が響くのだった。
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1年後、ヘルティ子爵領にひっそりと建つ菓子屋。試作品を作っていたシアンは、休憩時間にとある新聞記事を見つけた。
シュギット侯爵家の砂糖生産量が、1年でわずか10分の1になり、品質も急降下。それにより取引先が次々となくなり、菓子事業が急送に衰えた。
既に家を維持する財政も、愚かな当主への支援も当然無い。このまま取り潰しは避けられないだろう、と。
一端の平民がとある貴族の没落を、面白可笑しく書いたようだ。間違ってはないし、まぁ想定の範囲なので「へぇ」で済ますが。
「ん、何読んでるんだ?シアン」
ふと声をかけてきたのは、店のオーナーであるフィディアス。
多少の肥満体でニキビ跡も多いが、去年から10キロ以上、体重を落とすのに成功した。
「侯爵家と同じように過ごしたら、すぐに体調崩すぜ。
爺さんになっても菓子が食えるように、生活を整えていくぞ」
それが2人交わした約束。毎食野菜を食べるようにしたり、週に数日は運動したりと、あの頃よりかは健康的だ。
家族というストレスの根源が取り払われ、熟睡できる日々を送れているのも大きいだろう。
「あぁフィディ、シュギット侯爵家が色々ヤバいって出たみたいでさ」
「そうか、思ったより遅かったな」
ふと鼻を利かせたのか、彼はオーブンへと近寄っていく。例え生活や周囲、そして容姿が変わっても、シアンの菓子が好きなのは変わらない。
「ん、そろそろ焼けたか。取りだして良いか?」
「あぁ、んじゃあ俺はお茶でも用意するか」
さてさて、今回のモノは何分で消えてくれるだろう。フィディはどれだけ喜んでくれるかな。
ついでに今回の菓子は、祝い事の引き出物を想像して作ってたりして・・・。
へヘッと微笑みながら、お茶を淹れ始めたシアン。
小さいながらも評判が良いその店には、腕の優れた菓子職人と店主がいる。
fin.
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