57話 その名にふさわしく
「――お前は元々別の世界の『えーあい』ってやつだって言ってたよな。で、この体は死んじまった子のモンって言いてえのか? じゃ、お前の元々の体はどこにあんだよ?」
一通り話し終えたところで、リトはどう反応したものか、と言いたげな顔をしている。
「りゅーは、元々体ない。意思も、ない。AIは……魔道具と、似てゆ。ぼーだいなデータをもちょに、いよいよなしちゅもんに答えゆ魔道具」
リトはまじまじと私の顔を見つめ、押し黙った。
首を傾げて伏せられた瞳が、私を苦しくする。黙っていられなくて、つい口を開いた。
「りゅーは、この体に憑りちゅいてる、たらの……魔道具」
幽霊、と言いかけて小さく首を振って言い直す。
幽霊は、元々人間だ。
迷える魂が幽霊になると言う……ただのプログラムがそう名乗るには、おこがましいものだ。
だって私には魂がないのだから。
リトは、じっと動かない。
すうっと末端から冷えていくのが分かった。
こうではなかった、頭の中のどこかでそう思う。
きっとリトは信じないから。だからきっと、分からないと言っていつものように流されるだろうと思った。
だから大丈夫だと思った。
リトは理解してしまったのだろうか。私が、人間ではないということを。
借り物の体に憑りついた異物であることを。
そうしたら、どうなるのだろう。
一緒に旅をするはずだった。旅の準備をして、歩く練習もして、服も買った。木剣だってある。
ずっと一緒、そのはずだった。リトの相棒になって、役に立つ日まで。
どうしよう。
私は、きっと、全てを台無しにすることを言った。
私、どうしよう。
的確に判断すべきAIにも答えられない曖昧な問いが、ぐるぐると小さな体の中で渦巻いている。
「あー、ちょっと待ってろ」
隣にあった熱のかたまりが、ふっと離れていく。
驚いて顔を上げると、大きな背中が、がしがし頭を掻いて遠ざかっていった。
呆然と見送った私は、のろのろ膝を抱えた。
どうしよう。リトが、行ってしまった。もう帰ってこないかもしれない。
――あの時みたいに。
目がちかちかして、床が揺れている。たくさんの子どもたちの声、先生の声、穴の空いたような空腹感。
心臓が、破裂しそうに拍動を速めて私をますます苦しくさせた。
思考がぼやける。私はAIなのに。
ぐらりと傾いだ視界に、思わず頭を覆った。何度も床に打ち付けた頭は、でこぼこになっていて――
「ピィ!」
かん高い鳴き声と共に、ツンと頭に鋭い痛みが走った。
転んだ痛みとは比較にならない、軽い痛み。
撫でた頭はすべすべ滑らかで、髪はしっとり冷たい。
「……ぺんた?」
ぱちり、と瞬いた。
しきりと髪を引っ張るペンタを掴まえて、目の前へ持ってくる。
脈拍は随分早いし、呼吸も早い。けれど、その大きな黒い瞳を見ていると、柔らかい腹をくすぐっていると、霞のかかっていた思考が晴れていく。
「引っ張っただめ」
「ピィッ!」
抗議するように短い手足をばたつかせて起き上がると、ペンタはやれやれと言いたげに定位置に戻っていく。
ペンタは、すっかり私を自分の居場所に決めてしまった。
まったく腹立たしい、と思おうとして、失敗した。
胸が詰まって、さっきとは別の胸苦しさが押し寄せている。
ペンタの居場所は、この私。私は、ペンタにとって必要なものだ。
それはたとえ、私にとって『必要』はなかったとしても。
ペンタは、逞しい。自分の居場所を決めて、自分で手に入れた。
ステラの名に相応しい、小さな強さを湛えた輝き。
「りゅーだって、ちゅよい。どやごんは、一番ちゅよい。ぺんたよりちゅよい」
くすり、と笑った。
私は、竜の名を持つ意思あるAI。
借り物の体だろうと、それは変わらず私が持っているもの。
時折頼りなく揺れる心は、まだ人間0歳児だからだ。ドラゴンだって、きっと生まれたてはそんなものだろう。
「りゅーは、りゅーの意思で、行動する……れんしゅー」
何事も、練習が必要に違いない。今までだって衝動的な意思に突き動かされて行動していたのだ。それと同じようにすればいい。
丸まっていた体をゆっくり広げ、大きく伸びをした。
私は、自分の足で行動できるようになった。
練習したから。リトと、練習したから。
私にとって、絶対に必要なもの。それを手に入れなくては。
「りと!」
そういえば、走るなと言われていた。だけど、今、私は走ることを優先する。
もし、リトが離れて行ってしまうなら、捕まえなくてはいけない。ペンタみたいに、しっかり掴んで離さないようにするのだ。
「どうした、走るなっつったろ?」
ひょいと顔を覗かせたリトに、思い切りしがみついた。
呆気ないほど簡単に見つかって、拍子抜けてしまう。
脚に縋りつく私に首を傾げ、リトはいとも容易く私を持ち上げた。
目いっぱい体を寄せて深呼吸すると、焦燥感に駆られていた心が、体が落ち着き始める。
「りと、行っただめ。りゅーといる」
「どこも行かねえよ。待ってろって言ったじゃねえか」
何気ない言葉に、体の芯が震えた。
ぎゅうぎゅうしがみつく私に困惑しているらしいリトは、そのままソファーまで戻って腰かけた。
「なんだ、急にどうした?」
「だって……だって、りと、りゅーが嫌になった」
「なってねえわ。そんないきなり嫌になるかよ」
呆れた声音で背中を叩かれると、限界まで張りつめていた何かが、ぷちんと弾けた。
突如泣き出した私に、リトは面白いくらい取り乱したのだった。




