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4話 文字と名前


(それにしても、落ち着きすぎちゃいねえか?)


 あまりにも淡々とした『ゆぅー』の様子は、リトの胸に安堵よりも不安をもたらしていた。

 もしや、襲われた衝撃で精神や記憶に影響が出ているのかもしれない。

 しかし、それらは回復薬でも魔法でも、いかんともしがたいものだ。


 落とした視線に気づいた『ゆぅー』が、顔を上げて視線を絡める。

 柔らかく涼やかな瞳の色、睫毛までアイボリーの、繊細な色合い。

 幼子特有の、桃のようにふっくりときめ細かな肌。


 しかし愛らしいその全ては、『動かない表情』その一点で、見る者に人形のような硬質感を抱かせていた。

 整っているがゆえに、不気味とさえ感じるかもしれない。


 しかし、とリトは思う。もしもあの出来事を忘れているなら、もしも幼子の心の防衛機能が働いた結果であるなら。

 それは、正常に戻そうとするのがいいことなのかどうか。


 暗くなる表情を隠しながら食堂へ下りたところで、リトの腕に収まっていたひな鳥が、急にもそもそ動き始めた。


「おい、落ちるぞ! どうした?」


 そうっと下ろしてやると、途端に前へつんのめりそうになって支えてやる。

 もしや、歩けないのだろうかと勘づいて、リトに嫌な汗が流れた。


「いと、いと、こえは! こえは!」


 リトを誘導するように引っ張るのに合わせ、小さな身体を運んでやると、メニュー棚へ必死に手を伸ばそうとする。

「なんだ、やっぱり腹減ってたのか。これはメニュー表、だな」


 薄っぺらい冊子をひとつ引き抜いて席へ座ると、『ゆぅー』はリトの膝で舐めるようにメニュー表を眺めている。

 

 もしや、文字は読めるのでは――


 そんなリトの淡い期待は儚く露と消え、現在周囲の生ぬるいクスクス笑いが突き刺さっている。


「――鳥とバベナ草の蒸し物とサラダセット。鳥は、時期により変更あり。エナ焼きとサラダセット……」


 もういいだろうかと音読をやめれば、すかさず大きな瞳が振り返ってリトを叩いて催促する。


「勘弁してくれ……」


 結局、指でなぞりながらメニュー表最後の一文まできっちりリトに読ませ切った『ゆぅー』。

 そして再び始まった、『こえは?』攻撃。カトラリーからテーブルの木の節まで、目につくもの全ての名前を答え終わったリトは、ぐったりとテーブルに伏した。

 満足したらしい『ゆぅー』は変わらぬ無表情でひとつ頷いて、リトの大きな手を取った。


「? なんだ?」

「ままえは、『ゆぅー』とちやうちやう、こえ!」


 発声は拙いままだが、気のせいだろうか、リトの耳には文章らしくなってきたように思えた。そして、しきりとちまちま手の平をひっかくのは、もしや文字を書いている?


「お前、字を書けるのか?」


 リトが半信半疑で向かいへ座らせ、ペンと紙を渡してみたところ、確かに文字らしきものを書いている。


「ええと……『リュウ』? なんだそれは」


 随分時間をかけて書いた文字は、たったそれだけ。ペンが置かれているのを見るに、目的は果たされたのだろう。


「ままえ」


 じっとミントグリーンの瞳がリトを見て、とんとんと自らの胸を叩いた。


「ままえ、名前だろ? ……あ。もしかして、お前の名前は『リュウ』なのか?」


 ――伝わった。


 それは、リュウに劇的な変化をもたらした。

 光が弾けるような未知の感覚が、全身を巡る。


 リトは、その人形のように乏しいリュウの表情が、微かに緩んだのを目にしたのだった。


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