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24話 10年


リトが、固まっている。

しゃくりあげて泣く私を目の前に掲げたまま、ぴしりと音を立てそうな様子で呼吸まで止めている。


どうやって泣くかも分からなかったのに。

もうやり方が分からないと思ったのに。

まさか、こんなことになるとは思わなかった。

だって、私には止められないのだ。


「ぅええええ、っく、ちや、ちやう、ぇえええ、ちやうぅうう!」


もう、何が何やら分からない。

ただ、伝えなくては。

そうではない、私は、今決して困っているわけではないと。

いや、困っているから泣いているのか。

止め方がわからなくて困っているから。


何という理不尽。

では、私は永遠に泣いていなくてはいけない。

泣く前に、きちんと止め方を確認すればよかったのだ。

口に入った涙は、ずいぶん塩辛い。

こんなにも塩分と水分を漏出させて大丈夫なものだろうか。


もう何を考えているのか分からなくなったころ、リトが再起動した。

恐る恐る私を胸元に収め、あふれ出る涙を拭いながら抱え込む。


「な、泣くなって。えーと、まず俺は嫌か? 嫌だって言われても、しばらくは一緒にいなきゃいけねえけど……」


とんでもないセリフが聞こえて、私は激しく首を振った。


「ちやう! りと、しゅき!!」


泣き声の合間に力いっぱい叫ぶと、リトがぐっと唇を結んだ。


「…………そうかよ」


ふわ、と何かがリトから暖かく広がった気がした。

大きく上下した体がそうっと私を包んで、じっと動かなくなった。

そうすると、コントロール不可能だった泣き声が、徐々に落ち着き始める。

リトは、こんなこともできるのか。

だけど……リトが、リトはまた泣かないだろうか。

ハッとしたと同時に、泣き声は収まった。


ひく、ひくと弾む体は残るものの、もう大丈夫だと思われる。

私はそっと手を伸ばしてリトの頭を撫でた。


「りと、りと、泣なない?」


ピクリと動いた頭が、ゆっくり持ち上がって苦笑をこぼした。


「だから……泣いてんのはお前だっつうの」


温かい指が、ぐいと私の目元を拭って笑う。

確かに泣いていた私は、こくりと頷いた。


「らけど、りゅーは、困ってない」

「困ってなくても泣くだろうが。悲しいとか辛いとか、嫌だとか……ま、感情が昂った時に泣くもんだろ」


どれも違う。憮然として知識を探った。

そういえば、自問自答をすることがなくなった。関連する知識のごく表層は自然と頭に浮かべられる。ただし、奥まで探すには意識することが必要だ。


人間が泣くのは――感情の昂った時、それはそう。だけどストレスや共感、むしろストレスを解放するために泣くこともある。そして私が泣いたのはきっと。


「しやわせやよよこび……りと、りゅーはしょれで泣いたらけ」


人は、強い幸福や喜びの瞬間に、泣くこともある。まさに、それだ。

導き出した答えに満足して、深く頷いた。


「リュウは、嬉しいのか」

「うえしい」


何か考えるような顔でつぶやいたリトに、すかさず答えた。

これは、嬉しいで間違っていないはず。


リトは、そうか、とひとこと言って笑ったのだった。




「リトがいゆなや、計画はちょっちょ見まおしがひちゅようかも」


大泣きしたリュウは、そう言って腕の中で難しい顔をし始めた。

ひくり、ひくりとしゃくりあげる体はそのままに、妙に落ち着いた様子が可笑しい。

泣いたせいだろう、普段よりさらに高い体温は、抱えるリトが汗をかきそうだ。


まさか、いつも淡々としているリュウがこんなに泣くとは。


改めて、再会したリュウの様子を思い返して歯噛みした。

甘かった。自分に腹が立つ。


リュウは、他より手がかかる部分とかからない部分がある。それが、孤児院という環境には絶望的に合わなかった。

面会はせずとも、様子を見に行けばよかったのだ。

そうすれば、もっと早く気づいたろうに。


胸元にことんと軽い衝撃を受け、ふと視線を下げたリトの顔に笑みが浮かぶ。


「お前、無防備だなあ。なんでこんな見知らぬオッサンに懐いちまったんだよ」


まだ濡れた睫毛のままで、すうすうと眠るリュウ。

やわらかく丸みを帯びていた頬が、ずいぶんこけてしまったのが痛々しい。

パサついた髪は、少しは艶が戻ってきたろうか。

涙の跡を拭ってやると、きゅっと顔をしかめて手足を突っ張った。

腕の中で大胆に寝返りを打とうとするものだから、慌ててベッドへ下ろしてやる。


「不思議なもんだな」


世話がかかることしかない。面倒で、金も手もかかる。

正直、リトにメリットはないと思える。

けれど。

思い出す、あの時職員に抱かれて手を振ったリュウの姿。

あんな風にするくらいなら。


リトは、小さな小さな手を取って呟いた。

こんな手で何ができるんだろうと思うような、短い指。柔らかい手のひら。


「誰にも掴まらないように、してたんだけどな。まさかこんなちっこい手に掴まるとは思わなかったわ」


まんまと掴み取られたリトは、苦笑して小さな手を握った。


「あと……10年くらいか? 大丈夫か、俺。ほんの数日でコレなのに、10年一緒にいて」


しかし、懐いてくれるのも今のうち。10年と経たないうちにリトの元を去ることだってあるだろう。

物心つけば、家族でもない男と一緒にいるよりも、孤児院の方がいいと言われるかもしれない。

リトは既にモヤつく胸の内を笑って、握った手を軽く額に当てた。


「お前にやるよ、俺の10年」


こんな男の軽い軽い10年など、いらないかもしれないが。

それでも、お前が生きていくのに必要な10年ならば。


「……違うか、俺がお前の10年をもらうのか。それはなんか、重いな」


リュウの人生の10年を、リトが作る。

それは、あまりに重く、そして魅力的な響きを持ってリトの胸に刻まれたのだった。



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