158 反作用
「どうちて、風がないのに速い?」
「魔道具か、捕虜の人力か……見たとこ、帆が張ってるから、風の魔道具か」
私の頭に『?』が浮かぶ。
魔道具と言うから、エンジンのようなものがあるのかと思った。
だけど、そうではないらしい。
風の魔道具とは……つまり、風を起こすということだろう。
だけど、船の上にたとえば巨大扇風機を置いたところで、船はほぼ進まない。
納得いかない視界の中に、頑張って羽ばたいたガルーの視界が広がる。
あれが、魔道具……?
二人の海賊が、腕を掲げて帆に向けている。
その腕にはまっている、あまりにも不似合いな装飾品。
私の首飾りも魔道具だから、きっとあれも魔道具だ。
作用反作用というものは、どこへ行ったのだろうか。
船に乗っている人が起こした風で、どうして船が進む……?
これもリト学だろうか、と思ったところで、ハッとした。
風魔法は、『風』なのだ。
あの時だって、私に反作用は来なかった。
「りと! ちゅぎの大砲のあと、移動ちて!」
「は? どこにだよ」
言いながらほどなく、大砲を一つ切り捨てた。
「りと、移動! 右へななほ!」
「え、は? なんだその細かい指示」
「もういっぽ!」
よし、この位置。
「うぇ・すぱ!!」
最適迎角から、帆にたっぷりと風を送る。
……やっぱり。私に反作用は来ない。吹き乱れる風で、髪がかき乱される程度。
であれば……。
「うおおお?!」
「な、なんだ?! そ、操舵ぁ!! 舵手、戻れぇ!」
リトに乗っていて良かった。
急に動いた船に、いろんな人がごろごろ転がっていく。
数人がこけつまろびつしながら慌ただしく走り回り、帆が気持ちよく膨らんだ。
「……お前、何した?」
じろり、と首だけで振り返るリトは、きっと何をしているか分かっているから、動かないのだろう。
「りゅー、風魔法した」
「なんで使えんだろうなあ……?」
「練習ちた」
練習したと言うほどしていないな、と思いつつ、なんともちょうどよく使えるようになっていたものだと思う。
「うぇ・すぱ!」
「おおおおお?!」
私が魔法を更新するたび、悲鳴なのか何なのか、船員が声を上げる。
舵を取りにくいのかもしれない。
海賊船はもうかなり小さくなって、もう追ってはこられないんじゃないだろうか。
「リュウ、もういいぞ。疲れてねえか?」
「りゅー、ちゅかれない」
「普通、疲れんだよ。そのくらいデカい魔法何度も使ったらな」
もう大丈夫か、と背負子を下ろしたリトが、私を見て首を傾げる。
「なんでお前、今さら目つむってんだ?」
「りゅー、目々開けていい?」
「何言ってんだ、勝手に開けてたろ?」
「開けてない」
むっとしながら、戻って来た自分の視界の眩しさに瞬いた。
「いや、大砲の方角とか……ん? つうかお前、背負子に座ってて大砲が見えるわけねえな?! どういうことだ?!」
そう、背負子に座った私の視界はとても低いし、リトと背中合わせになる。
大砲など、見えやしない。
「がるーの目々で、見た」
「ピルルッ」
脳内に流れていた映像がほぼ重なって、ガルーが肩に戻って来た。
小さな身体で大分頑張ったのだろう、ぐったりしていて慌てて魔力を注いだ。
「は……? 召喚獣って、そんなことできんのか……?! つうかそれだとお前が目閉じてた意味なくねえ?!」
それはそう。でも、約束を破ってはいない。
素知らぬ顔をする私に胡乱な目が向けられたところで、冒険者のカドルが走ってきた。
「おいおいおい、リト、どういうこった?! そのガキ、一体何をしたんだ?!」
「あーーーいや、護身用に魔道具を持たせてたの、思い出したんだよ」
「そういうことか! 確かに風なら間違っても大事にはならねえ! 何つういい魔道具もってんだよ!!」
あちこち血がついているけれど、カドルは満面の笑みでお礼を言った。
「マジでどうなるかと……コブ付きでもリトを乗せられんならって、あの時頷いた俺、グッジョブすぎる! このチビもマジで動じねえ~~! むしろなんか活躍してなかったか?!」
「だから言ったろ」
他の冒険者も集まって来て、口々にリトを褒めているらしい。
「そんな恰好で寄ってくんな。こいつに見せたくねえ」
「い、今さらすぎねえか……?!」
私も、そう思うけれど。
リトは適当に負傷者をあしらって私を抱き上げ、その場を離れてしまった。
私は、リトが褒められているのを聞きたかったのに。
「りと、ちゅよいって」
「まあ……Bランクだからな」
「大砲、切った」
「あれは……普通やらねえからな?! お前がいるから、仕方なく!」
「りゅーいなかったら、どうする?」
どっちにしろ、大砲で穴が開いたら困るんじゃないだろうか。
「海賊船の方を乗っ取る」
「それは、普通やっていい?」
「まあ……」
大砲を斬るのと、どっちが普通じゃないことなんだろうか。
考え込む私の頭をぽんとして、リトは誤魔化すように言った。
「船室に、もう大丈夫だって言ってやれ」
「りゅーの、おしごこ」
「そうだ」
きらきらと目を輝かせた私は、パンとキンタロたちを引きつれ、さっそく船室へ下りて行った。
勢いよく扉を開けて回ろうとして、ふと気が付いた。
急に扉を開けたら、きっと怖い。だって、この人たちは勝ったことを知らない。
***
急激に船が動いてしばし、随分静かになった。
戦闘の終わりを感じさせるその静けさは、安堵していいものなのか、戦慄すべきものなのか。
勝ったのか、負けたのか。
船室で身を潜めていた乗客たちはじりり、汗のにじむ手の平を握ったり開いたり、審判の時を待っていた。
「……なんだ?」
ふいに、ひとりが顔を上げ、耳を澄ませた。
「な、なに? どうしたのよ?!」
「いや、何か、妙な声……?」
「まさか、拷問、とか……」
ざっと血の気の引いた客たちに、声を聞いた者が慌てて首を振った。
「ち、ちがう、もっと気の抜けた――、ほら!」
一斉に集中したその耳に飛び込んできたのは、確かに人の声のようで。
「たらよう~こちょ~のはぁ、たまねしせいちゅうよぉ」
「きゃうわうっ!」
……歌、だろうか? それとも呪文?
「この成長しないド下手くそぉ! 我らが清き美しき歌をそんな駄声で歌うでないわ!」
……どうやら歌で合っていたらしい。
段々近づいてくる歌と、合いの手に入る犬の声。
癖になりそうなそのリズムに、客たちは困惑の顔を見合わせた。
コンコン、とノックされた扉の向こうから、珍妙な歌と『きゃうわうっ』が聞こえる。
「もう全然、あむなくないので、鍵を開けて出てきて大丈夫でしゅ。大人しく、出て来た方がいいとももう」
聞きようによって物凄くアヤシイセリフが、全く怪しく聞こえない。
すぐさま開けた扉の先には、案の定あの幼児。
「りゅー、嘘なない。もう、大丈夫」
「そう……か。良かった……」
真剣な顔でそう言った幼児に、乗客たちの身体から一気に力が抜けてへたり込んだのだった。